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仲間達

ここでは高校生時の仲間達の話です。


今でも大切な存在です!!!


大切な20人


まずは、順心サッカー部の仲間の話から。

私の学年は、選手17人、マネージャー3人の、20人。


埼玉、神奈川、富山、愛知、静岡、滋賀、大阪、大分。


全国各地から集まった私たちの学年は、
寮生10人と、実家から通っていた静岡県出身の選手が10人でした。

菊ふぁむ 寮生10人と菊さん
ハロウィン仮装


一言でまとめると『個性』がある20人が集まった学年。


とにかく我が強く、手に負えない人ばかり。


毎日うるさい人、芸人より面白い人、頭良すぎる人、寝起き悪すぎる人、寝坊する人、すぐふざける人、女子からかけ離れてる人、一年中黒い人、おでこ広い人、天然の人、おかしい人、筋トレバカの人、ずっと誰かに恋してる人。



周りから見たこの学年は、野獣の集まり と誰かが言っていました。

ですが、心優しい人の集まりでもありました。


誰かが落ち込んでいる時は話を聞いてくれたり、励ましてくれたり、朝寝坊しそうな人には誰かが起こしに行く、嫌いな食べ物を代わりに食べてあげる、洗濯物を持ってきてくれたり。

個性は強いですが、仲間のことを考えれる学年でした。

そして本当に仲良しでもありました。


この20人と三年間、同じ目標に向かって頑張りました。

どこか指さしてますね



クックラボ専攻科

クラスメイト。

藤枝順心高校はスポーツ科という学科は無く、


情報ビジネス科PC・情報ビジネス科簿記・クックラボ専攻科・大学進学科・美術デザイン科・調理栄養科


の6つの科に分かれていました。


入試の際に希望の学科を選び、入学式にクラス発表があります。

私は『クックラボ専攻科』 クック→料理  ラボ→研究所
"料理の基礎を徹底的に磨き、主に西洋料理を学ぶ"
この学科を選びました。


料理や栄養に興味があったので、そこを選びました。

しかし、サッカー部は私1人だけ。


他の19人はそれぞれ情報科、大学進学科、調理栄養科を選んだみたいでした。



人見知りでしかなかったので、初めましての人達とうまくやっていけるか不安でした。



正直なところ、1人は本当に嫌でした

人見知りを大発動していたと思いますが、なんとか皆んなと距離も縮め、入学から1ヶ月後ぐらいには普通に仲良くやっていたと思います。


そして、待ちに待った調理の授業は、想像していたものとはかけ離れていました。

一年生で行った調理の授業は、

きゅうり🥒のいちょう切り
玉葱🧅のみじん切り
野菜のピクルス漬け🫑🥕

この3つ。

きゅうりのいちょう切りは、
時間内に60枚、全て同じ厚さに切らなければ不合格


玉葱のみじん切りは、
時間内に同じ大きさに切り揃えれなければ不合格


野菜のピクルス漬けは、
赤黄パプリカ・人参・大根・胡瓜を瓶にピッタリ入るように切り、ピッタリでなければ不合格


簡単そうに見えて難しいものばかりで、本当に大変でした。


料理を作って食べる だけかと思っていた私たちの想像を遥かに超してきました。



料理の基礎を、しっかり脳や身体に叩き込まれました。


一年間で切ったきゅうりと玉葱は、きっと数百個はいっていると思います。



ひたすら切って切って切りまくっていました。



二年生になり、ようやく調理できると思った私達は甘かった。野菜の次は、卵🥚と魚🐟でした。

オムレツ🥚
鯵の三枚卸し🐟

卵3つで一つのオムレツをひたすら作り続け、
鯵をひたすら三枚にカットし続けていました。


だがそれがまぁ難しく、オムレツは卵の混ぜ具合や火加減、フライパンの動かし方、いくつかあるポイントをしっかり抑えないと綺麗には作れませんでした。



鯵に関しては、
鱗を綺麗に剥がし、頭と尻尾を申し訳なく切り落とし、内臓と血を取り除き、身がつかないように骨を取り、三枚が均等の厚さ大きさになるように切る



慎重に丁寧にやらないと失敗してしまうので、
不器用な私にとって激ムズな作業でした。

二年間で、野菜と卵と魚しか使わない調理科は、他の学校にはないと思います



つまらない と思う人はたくさんいると思われます。


ですが、他の学科では得られない多くの物をこの学科では学べた気がします。

全員が合格しなければ次に進めなかったため、


自然と助け合いが生まれ、誰か1人合格すると全員で喜び、

合格すると涙する人も中にはいました。



まさか、玉葱のみじん切りやオムレツであんなに感動するとは思ってもいませんでした。



地味な作業が、クラスの絆を深めてくれました。



三年生になるとようやく、レシピを見て調理する授業になりました。



ようやく出来ると喜んでいた私たちだったが、二年間自分の事で精一杯だった私たちには、



誰かと協力して、考えて、話し合って、決められたメニューを作るという、簡単なようで難しい作業に手こずっていました。

時間内に終わらない日がほとんどで、片付けを放課後や、次の日の朝にやった日もありました。



だんだんとストレスが溜まり、崩壊してしまいそうな時期もたくさんあったと思います。


でも、この調理の授業は二年間で学んだ事の応用だとも思っていたので、


なんとか助け合い支え合ってやっていく中で、どんどん時間に余裕もでき始め、辛いから楽しいになっていきました。




三年間の集大成として作り上げた、クリスマスを題材とした数多くの料理。



夜遅くまでずっと作業してくれた子もいたし、
ギリギリまでメニューを考え続けてくれた子もいました。

掲示物作りも並行して、本当に大変だったと思います。

どこかのお店の料理かのような物ばかりで、本当に自分達が作った⁉︎と自分達で疑うぐらい、凄すぎる作品ばかりでした。

完成の瞬間は、先生も泣きそうになりながら喜んでくれて、何人か泣いている子もいました。


私は、その当時サッカーの事で頭がいっぱいで、何も協力できず、ただついていく事しか出来ませんでした。


泣いている子を見て、本当に大変だったんだなと、皆んなをほんとに尊敬したし、皆んなに感謝しています。

クラスの絆が深まった時間であった。

約20種類ものメニュー
改めて見ると凄いですね

そして最後の授業。

最後の課題は、とにかく楽しもう でした。

最後の授業


きゅうりや玉葱を切る事しか出来なかった私達が、
まさかこんなに立派な物を作れるようになるとは全く思ってもいませんでした。



最後の授業は本当に楽しかった

私はこのクックラボ専攻の授業で、


調理の腕はもちろん、人としてもかなり成長出来たと思います。



サッカー部1人で不安だらけだった最初でしたが、
この学科を選んで良かったなと思いました。



三年間共に過ごしたクラスメイト


そのクックラボ専攻科のクラスメイト達。


31人と過ごした三年間は、私にとって大切な時間です。


勉強や運動が苦手な人が多く、体育祭、合唱祭では毎年最下位でした。



周りからはよく、バカにされたり下に見られたり、偏見で悪く思われたりしていました。


先生方の中でも、手を焼くクラスだと言われていたそうです



でも私はそれが本当に許せなかった


皆んなのことを何も知らないのに、偏見だけで勝手に悪く思われるのがとにかく悔しくて仕方なかったです


31人一人一人、勉強も運動も行事にも頑張っていたのに、それをバカにする人達がいる事が悲しかったです。


私は、31人と三年間を過ごせて本当に良かったと思っています。


誕生日の日は盛大に祝ってくれて、サッカーの大会前には手作りの料理やスイーツをわざわざ作ってくれました。

ウィダーやパンをプレゼントしてくれて、クラスの全員で頑張れ動画も撮ってくれました。



素敵な人ばかりいるクラスメイトでした。


とても感謝しています。改めてありがとうね

誕生日プレゼント
特別に作ってくれたケーキ


学校行事 

順心の主な学校行事は、
体育祭・合唱祭・球技大会・文化祭

その他には、学年によって
半僧坊・ステイマナー・修学旅行・着付け教室


があります。

私が1番好きだった行事は体育祭。


各学年、1クラスか2クラスずつが集まり、
緑・ピンク・オレンジ・青の4つの団に別れ、種目を戦います。



運動がとにかく苦手だった私のクラスは、三年間、団の仲間に迷惑かけっぱなしで、いろいろ申し訳なかったです。



三年間で一度も優勝する事はなかったですが、ものすごく楽しかったです。


三年生になると、ソーラン節を踊りました。



数ヶ月間、体育の授業はソーラン節でした。



筋肉痛でしかなかったので苦でしたが、最後踊り切った後の達成感と感動は特別なものでした。

三年時、緑団🟢
三年生のソーラン節
借り物競走



同期の絆



初めに話したサッカー部20人の話題に戻します。



皆んなとは三年間切磋琢磨し、時には喧嘩、時には仲間割れしたり言い合ったり、でもいつの間にか仲直りして、共に笑い、泣き、悔しい思いもしてきました。

毎年2回ほど、全員で食事に行き、遊びました。



二年生の冬には全員でプリクラを撮り、三年生の夏には川でBBQもしました。


本当に皆んなといるだけで幸せになれました。


最初にも書いた通り、この学年は個性爆弾の集まりです。


先輩からは、手のかかる学年だと思われていたかもしれません。(多分思われてた)


もしこの学年が、先輩でも後輩でも私は絶対嫌です。


ですが私はこの学年を愛しています。


同期だからこそ、分かり合えることも通じ合うノリもあります。


三年間、様々なことを一緒に経験し、乗り越えてきた私たちの絆は深いです。 


絆の深さはどこにも負けません。


そして3月3日。コロナ禍で行われた卒業式。


三年間共に過ごした皆んなとのお別れは辛すぎました。



そしてお別れがこんなにも辛いものなんだと気付かされました。

初めてあんなに泣いたかもしれません、



とりあえず寂しかったです。

卒業してからもなかなか受け入れられず、明日また会えるんじゃないかなとか、明日またグランドでサッカーするんじゃないか と考えてました。



それだけ皆んなは私にとって大切な人達でした。

いつの日か父に、高校の友は一生の友だよ と言われたことがあります。




全くその通りだなと思いました。




卒業してからまだ一度も20人で集まった事はないです。 



いつかまた皆んなでバカしあえる日を本当に楽しみにしています。


結婚式にも呼んで欲しいな、、、


改めて、この学年で皆んなと出会えて良かったです。

私はこの学年で幸せでした!!!!

卒業式
三送会


最後に


私は、周りの人達に恵まれているなと高校三年間を通して感じました。


順心に行かなければ皆んなとも出会っていない



順心へ行って良かったです!



こんな素敵な仲間達やクラスメイト達と過ごせた日々は大切な思い出、財産!


私と出会ってくれてありがとう!

皆んなこれからもよろしくね。

新人戦の応援
球技大会
ラストダッシュ
引退試合


まだまだいろんなことを書きたかったですが、長くなりすぎるのでこれでも短めにしました。

藤枝順心の頃の話は終わります

次は、地元の富山についてです!

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