同性愛者の生きづらさ

今回は同性愛者の生きづらさについて解説しようと思います。
そもそも僕がnoteを書き始めたキッカケはこのカミングアウトの記事でした。

この記事を書いてからもう1年以上が経ち、その間に沢山の記事を書いてきました。
今回の記事ではカミングアウトの記事のように自分自身の体験や感情を伝えるというよりも、同性愛者が具体的にどのように生きづらかったり苦労をしているのかを書いてみようと思います。
なお、僕が男性ということもありゲイに限った話になってしまう箇所もあるかもしれません。

過去に記事で書いたように同性愛者というのは先天的になる説と後天的になる説というのがありますが、ゲイには生育環境に何らかの傾向があるのではないかと僕は考えています。
なおこれはあくまでも科学的根拠はないただの経験則になるので、それはご了承ください。
こういう見立てもあるんだなぁという程度に聞き流していただければ幸いです。

ゲイの人に多い生育環境というのは母親の過干渉や過保護、父親の不在や無関心だと考えています。
※こちらについては詳しくはこちらで解説しています。

母親の過干渉や過保護、あるいは父親の不在や無関心があるとどのように育つのかというと女性的に育つという事がまず言えるでしょう。
そうなると女友達と話している方が居心地が良く、男同士の集団になかなか慣れず怖さを感じるようになります。
これはシンプルに女性という生き物に慣れていて、男性という生き物に慣れていないという事が原因としてあるでしょう。
性差別をするつもりはありませんが、男女の特性の差というのは確かに存在するものです。

しかしながら初めは少し男性に対して不慣れである程度なのでさほど問題はありません。
ところが小学生くらいになってくると段々とイジメなどが発生するリスクが上がります。
小学校なのか中学校なのか高校なのか、どのタイミングでイジメられるのかは環境や運もあるので人それぞれだとは思います。
ただ、身振り手振りが女性的であるとか喋り方が女性的である等の理由でイジメられたりするゲイはかなり多いのではないかと思います。

自分としては普通に振る舞っているだけなのに周りからバカにされるという経験がある事で人は抑圧的になっていきます。
イジメられないようにイジメられないように周りの目を気にしながら生きるようになる人も多いでしょう。
自分らしくいられない時間が多くなりやすいのは確かでしょう。

そうなると自尊心が低下していきます。
自尊心については過去に様々な記事で取り上げていますが、自尊心を簡単に説明するとどんな自分でも尊いと思える感覚の事です。
"どんな自分でも"というところが肝心です。
ゲイの人はありのままの振る舞いを否定される可能性が高いです。
したがって「この自分でいてはいけない」という感覚が強まりやすいです。

また恋愛感情を持ったり、性欲などが芽生える時には強い葛藤を伴います。
もしかして自分は同性が好きなのかもしれない、周りの人と違うのかもしれないという不安に襲われてしまうのです。
世の中はまだまだ異性愛者である前提で回っています。
昔よりは同性愛者の存在が認識されるようになったとはいえまだまだ異性愛者中心主義は根深いように思います。

ここで非常に厄介になるのがカミングアウトの問題です。
もし本当の意味で同性愛者が当たり前に存在するものであるという認識が広まっていれば、自分が同性愛者であると公言する事は当たり前になるでしょう。
きっとタイプの人はこういう人だとかそういう話をするのと同じくらいの軽い話題になるのではないでしょうか。

しかしながらまだまだそのような時代には程遠いのが現状です。
カミングアウトをする事に対して「怖い」と感じる人が多く隠して生きている人も多いのが現状です。
そしてカミングアウトしにくい環境が引き起こす二次的な問題として同じような仲間に出会えないという事が挙げられます。

もちろんSNSやマッチングアプリなどの普及でネット越しではたくさんの同性愛者と関われるようにはなりました。
しかしながら学校や会社という閉鎖的な空間ではまだまだ同性愛者の存在が当たり前になってない事から仲間を見つけられず、疎外感を感じやすいのが実情ではないでしょうか。
差別をしている人がいるとか悪く言う人がいるという事自体も嫌なものですが、個人的にはインターネット以外だと出会いのチャンスが圧倒的に少ないというのが僕自身かなり困っている事です。

ましてや自分自身がカミングアウトするというのも非常に大変な事です。
それも最も多感で葛藤が多い思春期にカミングアウトをするというのはかなり勇気のいる事ですし、リスクを伴う事でもあります。
カミングアウトをしたら拒絶されて心に傷を負った人がいるというのも残念ながら悲しい事実です。

そして何より恋愛をするという事が非常に困難になります。
マッチングアプリやSNSを通じて知り合うという方法もあるにはありますが、個人的にはマッチングアプリやSNS以外で出会うのが難しいという状況はかなり不利であると捉えています。
何故なら対面でのコミュニケーションを重ねる過程で恋愛関係に至るという経験を積みにくくなるからです。

ゲイの人の場合はマッチングアプリやSNSを使う場合にそこでしかゲイと出会えないという条件がある為に恋人を作るために、あるいはセックスをする為にインターネットを利用するという方向性に向かいがちです。
学校や会社などで普通に知り合って、気がついたら仲良くなって恋愛感情が湧いて付き合う事になるというような段階を踏んだ恋愛関係の構築の経験に乏しくなりがちなのです。
つまり恋愛関係に至るような深いコミュニケーションにおける経験値が不足しがちになるという事です。

このような事情によって同性愛者にとっていわゆる思春期や青春時代と呼ばれるような時期には異性愛者と比べてはるかに葛藤する事が多くなるでしょう。
自分が自分らしくいられないという経験により自己表現する機会を奪われ、せっかくの大切な青春時代を苦しいまま過ごす人が多いのです。
僕自身もそうでした。

同性愛者に限らずですが、青春時代にしっかり青春ができていない人というのは大人になってから不満や葛藤を抱えやすくなるのではないかと考えています。
満たされるという経験が不足している、まともな恋愛経験が不足している、マイノリティである事により抑圧的になり萎縮してしまう、自己表現が怖くなる、イジメなどに遭って自尊心が低下する等、同性愛者の人というのは異性愛者に比べてこのような状態になりやすいのではないでしょうか。
実際、同性愛者に対して自殺率が高かったりイジメに遭いやすかったりネガティブな統計データが沢山あるのは紛れもない事実です。

このような理由から同性愛者は異性愛者よりはるかにメンヘラが多いという風に思っています。
そもそも僕自身が元々メンヘラな人間でしたし、今でもそんなに心がもの凄く強いわけではありません。
しかしながら苦労をしてきた分、乗り越えてきたものも多く強くなれたというのもまた事実です。

なぜ僕がnoteでここまで心の問題ばかりを扱うのかというと僕がゲイだからです。
ゲイである事による生きづらさに苦しみ、精神的な不調に悩まされてきた過去が僕自身にもあるからです。
難病である潰瘍性大腸炎になったのもこの様なストレスは無関係ではないでしょう。
そして僕は運良くある程度そのような困難をを乗り越えてきた、あるいは受容できる様になったと思います。

しかし僕がゲイであるからにはパートナーを探すとなると基本的には相手もゲイになります。
僕自身がいくらこの問題を受け入れて克服していったとしてもパートナーや周りのゲイの人たちがそのような問題を克服しているとは限らないのです。
マッチングアプリなどで今まで様々なゲイの人と関わってきましたが、心が健康な人なんて本当にいるのだろうかというくらいに沢山のメンヘラに出会ってきました。
そして多種多様な心の問題を見てきました。
僕は彼らと向き合う為にも心の問題について知識を得る必要があったのです。

ハッキリ言って今までめちゃくちゃ傷つきました。
裏切られる事もある、理不尽に恨まれる事もある、突然絶縁される事もある、とんでもないワガママをぶつけられる事もある。
しかしながらそれは今の自分が自分自身を受け入れて生きているからこその経験だとは思います。
僕が本当に弱ければ彼らはきっと心の葛藤を僕にぶつけてはこないはずなのです。

信じたいけど信じられない、愛しているけど憎い、このような葛藤というのは僕にも経験があります。
「ゲイだと言いたいけど言えない」「自分らしく生きたいけど生きられない」という葛藤がトラウマのようになって多くの同性愛者の心を大人なっても蝕み続けているのだとそう思っています。

できるなら僕は多くの同性愛者に自分らしく生きてほしいと思っています。
(もちろん異性愛者の人にも)
自分にできる事があるなら力になりたいという気持ちがあります。
自分と同じような苦しい思いをして欲しくない、今苦しんでいる人たちにこのまま苦しいままでいさせたくない、そういう気持ちがきっと心の問題と向き合いnoteの記事を書く事の原動力になっているのかもしれません。

この記事を始め、僕のnoteには誰かにとっては知りたくもない事や見たくもない事実というのが書いてあるのかもしれません。
しかしながら都合の悪いものも含めて受け入れて生きていくしかないのです。
都合の悪いものと闘うしかないのです。
それは自分自身の弱みも含めて、です。

同性愛者のようにマイノリティとして生きるというのは葛藤も非常に多いですが、葛藤を乗り越えた分だけ人は輝くのだと心の底から思います。
人が葛藤している姿というのは時に痛ましくもありますが、同時に美しくもあると思っています。
ああ人間しているなぁと、愛しい気持ちになるのです。
同性愛者を始めとしたマイノリティというのは生きづらく自尊心が下がりやすいですが、できるなら自分という存在を丸ごと受け入れて愛してもらえたら良いなと思っています。

そして異性愛者の人たちやマジョリティ側の人たちに対してはマイノリティ側に起きている問題について知ってほしいなという気持ちがあります。
マイノリティ側の努力だけではこの生きづらさは解消できないでしょう。
マジョリティ側の力というのが必要になります。
マイノリティもマジョリティも垣根なく共生できる事を心の底から願っています。

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