見出し画像

「子どもの日」に思うこと

これからの地域、日本を背負って生きていく子ども達の教育がどうあるべきかを考えることは社会の大人すべての責任だ。

今日は「こどもの日」ということで、この先の子どもをとりまくあれこれについて色々と考えてみた。

それにしても、GWの東京は、どこもかしこも外国人観光客だらけだ。
確かにコロナ前も多くはいたが、実感としてこんな多くの外国人をみたことはない。
円安の影響も手伝ってのことだろう、
山手線に乗って、周りが外国人だらけだと、さすがに違和感がある。

自分が学生時代、チェコ共和国を訪問した時、
民主化したばかりのプラハの街での物価はコーヒーが1杯20円位で随分驚いたことがあるが、
そこまでのギャップはなくとも、かなりそれに近い「お得感」を訪問する外国人は感じているはずだ。

バブルの頃、日本は世界でもっとも物価が高いと言われていた国だ。
今では逆で、一般人では海外旅行に行ってもその物価についていけない。
この30余年の間に何が起きていたのか・・・。
情けない話である。
海外旅行だけなら我慢できたとしても、仕事で物を輸入しないと商売が出来ない人たちにはもはや死活問題だ。

インターナショナルスクールの文脈で言えば、
外国人の先生の採用はこれからどんどん大変になる。誰も日本円で給料がほしいなどとは思わないからだ。大幅な賃上げでもしない限りは。

毎年子どもの日の前後には必ず、少子化の記事が出てくる。
この先を生きる子どもたちにのしかかるプレッシャーは計り知れない。
世間の大人たちは本当にそれがわかっているのだろうか・・・。

私がかねてから、
「子どもたちをもっと大切にしなくてはいけない」と訴えているのは、本当に子どもたちの未来を案じているからだ。
今どき、国や行政が認めた学校に行かない子には税金も使わないなどとは、本当におかしな話だ。

子どもたちはこの先、間違いなく、我々大人が経験したことのない時代を生きることになるのだ。

例えばそのひとつが、
冒頭の「外国人がどんどん日本に入ってくる社会」だ。
私が今、新しい仕事を考えるとすれば、
インバウンドの人の需要に見合ったビジネスを考えるのではないか。

英語教育の重要性、緊急性を強く感じる。
日本の学校教育はまだまだ英語の重要性を低く見すぎている。

もうひとつ、新聞記事を見ていて気になるのは、
子どもたちのスポーツ離れが進んでいることだ。
コロナの影響もあるらしいが、体を動かして遊ぶ機会がかなり減っているらしい。

IBの10の目指す姿にも「バランスの取れる人」というのがあるが、
簡単な例を言えば、一流のアスリートを育てたければ、トレーニングだけでなく、理にかなった休息や、健康な食生活、精神の安定など、
バランスが取れていることが不可欠だ。

Sound mind, Sound body(健全な精神は健康な体に宿る)

かの有名なアシックスもこれを会社の理念にしていると聞く。
スポーツや、身体を動かす重要性については、サニーサイドにおいても、もっと真剣に考えていかなくてはいけないと思う。

そうでなくても、現代人はデジタル中毒だ。
近視の子どもが増えているのはむしろ当然のことと言える。


 しかし、グローバル化が進む時代にあって、嬉しいこともある。
先日、香港のファミリーからメッセージが届いた。
「サニーサイドのウェブサイトをみて、教育理念に強く賛同した、短期間でもいいので、通うことが出来ないか」と。
 私は、「うちはインターナショナルスクールといっても、日本人がほとんどで、第一言語も日本語だし、給食はみんな同じものを食べ、教室の中は外ぐつをぬぐ、とてもJapaneseな学校であるけれど、それで良いですか?」
と返信し、すると、
むしろ、そういうことを経験させたい、日本人のマナーや、生きがいという概念を学ばせたい」とのことだった。

ひと昔前、岐阜にある幼稚園に、海外から入園の問い合わせがくるなんて考えられなかった・・・。
お母さんが日本人などで、一時帰国のためにうちに入りたいという人は今年だけでも4、5組いらっしゃるのではないだろうか。

さほど遠くない将来、我々大人は、今の子どもたちに、「間違いなく」お世話になる。
もっともっと社会全体で子ども達を大切にしていかなくてはならない。

※毎週月曜日に新しい記事を投稿する予定です。良ければフォローして最新記事や過去記事をご覧ください

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?