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子どもに伝えられること

友人がおすすめしてくれた、「はじまりへの旅」という映画を観た。

ヒッピーあがりの両親が森のなかで6人の子どもたちを育てていたのだけど、精神病で入院中のお母さんが自殺をしてしまい、その葬儀に参加するために森の外へはじめて出ていく、というお話。

人を育てるとはどういうことか、正しいとはなにか、ということを突きつけられた。

このお父さんほど極端でなくても、子どもを育てるときは、自分の価値観、信じているものがどうやったって子どもに伝わる。でも今の時代、多くの情報があって、今まで「正しい」とされていたものがそうではなくなることだってしょっちゅうある。

予防接種しかり、食べ物のことしかり。牛乳が身体にいいと言われていたけど、今や逆の説だってある。日本の政治の状況や、原発のこと、道ですれ違う障碍のある人や肌の色が違う人のこと、同性のカップルのこと、ホームレスのこと、戦争のこと。

世の中は、説明できないことやたくさんの解決していない問題があって、矛盾だらけだ。そして子どもの素朴な疑問をぶつけられるたびに、シドロモドロしながら、考える。考えて、「ママはこういう情報を聞いてそれを信じるけれど、そうではない意見の人もいるし、どちらが正しいとも言い切れないこともある。それで、あなたはどう思う?」と言うのが、今のわたしの精一杯。

相応に歳はとったのに、何も知らないことだらけだ。

この世界は本当はまだわからないことだらけなのに、「とりあえずbetter」「とりあえず一番そうっぽい」という選択で成り立っているのだということを、大人はすっかり忘れて、「正しさ」を押し付けあって、証明しようとやっきになって、世界を回しているかのようだ。

ある程度までの年齢の子どもは、この世界が不確定であることや残酷な現実を知らされずに、「これはこうだよ」と、安定した世界を示してもらったほうが安心するのだろうか。映画でも、主人公一家のいとこの家では、子どもたちに「伯母の自殺」を隠そうとする。
あまりに現実的なことを、説明するのは子どもにとって酷なのだろうか。

と、書いたところで、自分の子ども時代の酷な現実を思い出して泣けてきてしまい、しばし瞑想。安心した子ども時代のなかった幼い私と、それを実現できなかった両親の悲しみの両方を想って歌を歌った。

受け入れがたい現実は、年齢に関係なく襲ってくることがある。

それが人生だから、だから、その時に、どう受け止めていくのか。音楽や文学や映画や、身体を動かすことや瞑想、美味しい料理、美しい景色に感動する心…。

生きているとつらいことはあるから、たくさんの生きる術、アートオブライフ=アートが生まれて、ひとを慰め、励ましてきたのだなあと、改めて、先を生きてきた人たちや自然からのギフトを感じる。そうした、美しいギフトで、世界は織り込まれている。そういう風に、世界を感じることもできる。

何も確かなことは伝えられなくて、自分自身も定まっていない、未熟な親だけど、儚くて健気な、少しづつ自分の周りや次の世代へ美しいギフトを贈り合っている世界に生きているということを、子どもたちに伝えたいなと想った。

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