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学びのかたちを親子で模索しながら考えたこと

なんとなく、noteの気分。まとまって書けそうにはないけど、今感じていることを久しぶりにアウトプットしたくなる。

学校か、ホームスクーリングか、フリースクールか。私たち親子の選択とその過程。

今年小学一年生になった息子。
私が2年くらい前から、オルタナティブスクールの研究やお話会をしていたせいもあるのか、保育園年長の秋には息子自身が「学校は行かないでママと家で勉強する」と宣言していた。

当時、我が家の選択肢としてはいくつかあった。

1,地元の小学校に通わせる
2,ホームスクーリング(本人のやりたいことを尊重し、無理に教えないアンスクーリング)
3,近くのフリースクール

今年頭の時点で、

1→最初に書いたとおり本人が拒否。
2→環境面や、親のスケジュール、キャパシティ・性格的に難しい
3→校長先生も素敵だし、とてもいい学校と聞いていたが、いったん保留

なぜフリースクールを選ばなかったのか

私はオルタナティブ教育がいいなと思っているのに、すぐに3を選ばなかった理由は、行ったことないのに本人が「いやだ、そこは行かない」と言ったことと、私自身も、いきなりオルタナティブな学び場(ホームスクーリングも含めて)を選ぶよりは、いわゆる「学校」というものも体験してから選んで欲しい、と思ったから。本人の「学校には行かない」の背景にも、彼の「初めてのものはとりあえず拒否」する性格的なものもあるような気がしていたのも一つだ。

 私は、自分自身が小中学校が苦手で、登校拒否も経験していたから、違うあり方の学校が絶対にいいと確信はしていたけれど、子ども本人がどう感じるかはまた別の話かなと思ったのだ。私のトラウマから来るエゴに付き合わせるのはよくないかもしれないなと。だから、いろんな学び方があると知らせた上で、本人に経験して選択して欲しいと。

子どもに選択させるのはいいのか、悪いのか問題

 でも、例えばシュタイナーの考え方からすると、6,7歳の子に進路を自分で決めさせるのは適切ではない、大人が責任を背負って決めた方がいいとも言う。
 そう言われると、「子どもの自主性」「子どもの意志」を「尊重」すると言いながら、自分(親)が責任を取りたくないだけかもしれない、とも思う。うん、そういうところもあるよ、だって、そんなに自分の選択が他者(子ども)に影響を与えるって、怖いもん、そんなに自信ないもん。だから、迷いなく「お受験!!」とか、スパッと決められる人がすごいなと思った。それはそれで弊害の部分もあると思うけれど。まあ当時の私はこんな感じなのだった。

結局、4月からどういう学び方を選んだのか~学校との付き合い方~

 結局、4月からどうしたかというと、ひとまず地元の小学校に通うことにした。息子本人にも、今は状況的に完全ホームスクーリングは難しいから、ひとまず学校を体験してみてほしいと伝え、納得してくれた。そして事前に学校には、「フリースクールやホームスクーリングも考えていて、とりあえず通学してみて本人の様子を見ながら相談して決める」という、”半分ホームスクーリング宣言”をしておいた。幸い、うちの学校はフリースクールに通っている子やホームスクーリングの子もいたようで、柔軟に受け入れてくれた。
 うまくいった理由を一言添えるなら、「うちはこういう方針なので、こうします」と宣言してしまうことかなと思う。今は文科省の方針でもその子にあった多様な学びを保障することになっているから、親と本人に迷いがない選択であることを伝えれば、学校は応じてくれる確率が高いと思う。迷っていると学校に来るように説得されてるケースをよく見かける(迷いがなくても、学校や地域性によって説得されてるケースもある)。

コロナ禍での「半分ホームスクーリング」の実際

 これに関しては、リアルタイムで書いていたアメブロに詳しいので割愛する。
 簡単に説明すると、1学期は週に1,2回休む日を決めて、ようちえん年中の妹も一緒に休ませて、家で好きなことをしたり(主に二人で遊んでいる)、時々「ホームスクーラーの会」やを呼びかけて同じような仲間と自然の中で遊んだりしていた。あとは、畑仕事やご飯・お菓子作りなど、親である私が得意だったりやりたかったり負担にならずにできることで、一緒にやれることをしていた(親が苦手なことを無理してしないのはホームスクーリングの大きなポイントかもしれない)。

 コロナもあったのと、妹がまだ小さいこと&二人連れて出かけるのがまだ億劫だったこと、元々人混みも好きではないので、あまり博物館や美術館、街中に行くことはなかった。や、コロナで閉まってたから、っていうのが大きいか。
 本当はもっと本人のやりたい遊びをアシストしたり、興味を持ったことを深めるサポートができたらいいなと思うのだけど、自分の仕事もあるし、妹と2人分のエネルギーに圧倒されて(喧嘩もめっちゃ多いし)、ご飯作りやおやつやなんやと、正直一緒に過ごすだけでへとへと。。。家がわざわざ出掛けなくても自然環境に囲まれていたらいいのにな、と思ったりもする。
 あとは、うちの場合は自主保育時代からの友人や、古民家を拠点としたコミュニティにも出入りしているので、親子で知っている人たち、学校に行かない選択もありだと思っている人たちと、平日でも交流できるという要素はホームスクーリングの助けになっていると思う。

アンスクーリングやトエック的関わりがしたい、けど

 上に、「子どもの遊びをアシストしたり、興味を持ったことを深めるサポートができたら」と書いた。その時に私がモデルにしているやり方はこれだ。
 ひとつはホームスクーリングの一種である「アンスクーリング」。これは子どもの主体性を尊重して、遊びや学びを本人の意志でどんどんやらせるやり方で、子どもだけではできないことのサポート(例えば子どもが調べたいから博物館に行くのを手伝うとか)を親がする。アメリカやオーストラリアでは実践者が多いが、日本では最近になって注目されてきた考え方である(その名を知る前からそういうやり方をしていたホームスクーラーはいらしゃる)。
 また、私が共感している徳島のフリースクールトエックも、子どもの内側から出た「やりたい」や好奇心が一番エネルギーがある、という考え方で、大人からの「制限」や「誘導」を極力避けながら、適切に介入(サポート)したりしなかったりを日々研究実践されている。
 こうして文章にしてしまえば、自主性や尊重というワードが好きな人は「いいねえ!」と思うかも知れない。私もそうだ。だけど、やるとなると、、、めちゃくちゃむずかしいのである。

どこまでが主体性を尊重していて、どこからが放任なのか

 子どもに「自由に、主体性を尊重して」過ごさせることと、「干渉や誘導」と「放任」の境目は本当にむずかしいなと思う。トエックのスタッフもそうであるように、結局は日々実践していく中で自分がつかんでいくしかない感覚なのかなと思うのだけど、育ってきた環境の中で、放任ではないけど、尊重されて自分自身で自由を使ってきた経験があるかどうかで、体感覚やセンスみたいなものって大分差がある気がしている。
 正直私自身は、親からはほとんど「放任」で育てられていたし、学校も普通の公立だったのでトエックのような関わり方とは真逆だった。なので、「自由を保障されて、尊重されながらも、サポートされ見守られている経験」というのは、本当に乏しい。家庭の環境は差があるだろうが、学校教育では多くの人が私と同じ側だったのではないだろうか。
 といいうわけで、トエック的なものに憧れながらも、全然やり方がわからね~~~、と思いながら日々ほぼ放任や干渉しすぎたりしてしまっている。

 でも、その先に、私自身が求めてやまなかった関わり方がある気がしていて、まったくわからないからこそ、一歩ずつでも近づいていきたいという気持ちがある。(そのことを友人に話していたら「下手の横好きだね!」と言われて、その通り過ぎて笑った。最初からなぜかできる人は探求したいと思わないかも知れないもんね)

まだ続きを書こうと思っているのだけど、体力が尽きてきたのでひとまず前編と言うことで、ここで終わり。

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