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学びのかたちを親子で模索しながら考えたこと~後編

前編はこちら

半年間で私の「学校」イメージが変化。

 そんなこんなで、下手の横好きなりに、まったく手探りながらも「半分ホームスクーリング」を実験した半年間。
 私自身も、授業参観や懇談会という少ない機会だけれど、理解があって子どもたちのことを真剣に思ってくれている優しい先生や日々の活動の様子を少し知って、もちろん、学習中心であることや規律訓練的な行動が多い点は全く賛同しないけれど、かつての「学校アレルギー」はだいぶ減ってきた。それは、学校に行ってみた大きなメリットの一つかも知れない。普通の学校を毛嫌いしているという理由だけで、子どもをオルタナティブスクールに行かせるのは嫌だったのだなともわかってきた。

 子どもにとっても初めての学校は、親にとっても、大人として付き合う初めての学校経験。子ども時代の学校イメージを引きずって苦手意識を持つ人も実は結構いると思うが、そういう人こそ、親になってから学校と付き合うのは、色々自分自身の視点も変わっていて、そのトラウマ的記憶を書き換えるチャンスにもなるなと思ったりした。

2学期になっての息子の変化 

 2学期になってからは、私が仕事が楽しくなって忙しかったり、父が亡くなってバタバタしていたことから、ほぼ毎日登校してもらっていた。勝手な親である。
 登校のリズムができたり、学校生活にも慣れてきたり、ご近所のクラスメイトと夕方遊ぶようになったりしたのもよかったのか、行きしぶりも減っていた。私の学校嫌いが薄まったことや、仕事で好きなことをやっていること、はたまた父のことでいっぱいいっぱいだったことも影響しているのかも知れない。見えないところで、子どもはとても親の気を読む生き物だから。

「やりたくないこともやらなきゃいけなくて、どうしていいかわからない」

 ところが、10月に入って忌引きなどで休みが続いたら、今週からまた「行きたくない」と言い出した。
 そしてふと、「学校ではやりたくないこともやらなきゃいけなくて、どうしていいかわからなくなる」とつぶやいた。

 我が家では、「やりたくないのに強制されてやる勉強は無意味だしむしろよくない影響があるから、やらなくていい」「好きなことをどんどんやったらいい」、ということは前からことある毎に伝えていた。そのためか、前編でも書いたが、彼の性格も相まって、宿題も本当にやりたいときにやりたいものしかやらずに通している。
 また、この夏は徳島のフリースクールの親子合宿にも参加したので、”ひたすら遊んでいていい学校”も存在するというのも、彼自身が体験を通して知っている。そして、そこに行きたい、ともよく言っていた。

 でもそうした家の方針と、今通っている学校(に代表される日本社会の常識、お友達の家の常識)はどうも違うらしい、ということに直面しているようだ。7歳にして!なのか、7歳とはそういう年頃なのか。自分以外の他者、社会、というものの存在をどんどん感じて、時に比べたりするようになってくるんだなと、内面的成長が感慨深い。
 と同時に、親の方針と真逆な学校に行かせていることの矛盾というか、それに直面するのは結構厳しい状況だろうなとも思い、”一時的にお試しでとにかく行ってみる“、と言っていた期間が終わりに近づいているのかも知れないとも思い始めている。

「行きたくない理由」を知りたいのは大人の都合

 先の発言をしたときに、もう少しゆっくり話を聞いたらよかったのだけど、つい、「じゃあ近くのフリースクール(以前は拒否していた)に見学に行ってみる?」と聞いたら、「行く!」と即答。
 あとから、もう少し、どのレベルで「やりたいことと、やらなきゃいけないこと」で悩んでいるのか聞けば良かったと反省した。私や夫は基本的に、「やりたくないことはやらなくいい」方針だけれど、やりたいことのためにしなきゃいけない努力は必要と思っている。それは苦痛ではなくて、自分の達成したいことへの道で、苦痛ではないはずだから。ただ、そこまで伝わってるかはまだ謎である。

 そして今日も、「1年生が終わったら学校をやめる」と、入学前に言っていたことをまた言い出したり、どうも行きたくなさが募っている様子。よくよく聞くと、仲のいいお友達ができないこと、また2年生になったら友達を一から作らなきゃいけないことなどが嫌だと言う。親から見たら、新しいことや環境に奥手の彼だから、少しずつ慣れればきっと大丈夫だし、1年生になるのと2年生になるのでは後者の方がずっと変化が少なくて楽だと先行きがわかるのだけど、本人の不安は大きいのかも知れない。

 そして、親、大人というのは「きちんとした理由」を聞き出したがるものだけど、聞けば聞くほど、子どもにとっては「行きたくない理由」を考えなきゃいけないし、私自身が不登校だった時を思い出すと、はっきりとした理由なんて答えられない(エネルギー的なこともあったりするから)、本人が嫌と感じていることがすべて、というのがほんとのところだし、とても複合的なことだと思う。
 合理的な理由を聞きたいのは、大人が安心したかったり、対外的に説明しやすいという目的からだ。「行きたくなさ」に包まれている自分の状況を、わかりやすく説明なんか大人でもできるものではないというのは、エネルギーワーク(コンステレーション)を重ねている身としても、ものすごく理解できる。でもやっぱり、ちゃんとした理由があってほしい、とちょっと聞いちゃう自分もいる(汗)。

 懇談会で感じた今の学校、多数派の価値観

 そんな中、今日は授業参観と懇談会があった。クラスの子たちはお利口さんで、意欲と感性にあふれていて、とてもかわいかった。先生がよくしてくださっていることにも頭が下がる思いだった。
 保護者のみなさんの発言がまた、とてもお利口というか、子どものことを真剣に考えていて、手を掛け目を掛けて育てていらっしゃるのがわかるご家庭が多かった。でも正直、みんな真剣すぎ、心配しすぎ、手を掛けすぎじゃないか?と思うような雰囲気もあった。
 学校に楽しく行ってほしい、苦手なことにも向き合って乗り越えて欲しい、という親の期待は、少子化でますます子どもにのし掛かっているようだ。子どもの抱える困難に対して親が一喜一憂し、手取り足取り一緒にやってくれる。私がネグレクト気味な家庭だった僻みもあるかもしれないが、そうした関わり方はちょっと過剰で重い気がした。
 でも多分、どの親もみな、子の幸せを願って真剣に生きているだけ。自主保育や多くのフリースクールで実践しているような、一人一人の話をじっくり聞き合う時間があれば、子を願う親の気持ちという共通項を持ちながら、それぞれのやり方を尊重できる気がする。ただ、そういう対話の時間が、現状の公立小学校では持てないのはとても残念。

私の考えはアウトローだった!?

 話が逸れたが、何が言いたかったかと言うと、色んな保護者さんの話を聞いて雰囲気を感じて、「やりたくないことはやらなくいい」「学校もただの選択肢の一つ」といった自分の教育方針が日本の教育の中ではかなりアウトローなんだなと改めて思ったのだ。何を話してもうまく通じていないような、浮いた感じを久しぶりに感じた。

 そして今書きながら思ったのが、これだけアウトローでマイノリティな教育方針や世の中の見方(健康・病院への考え方や食べ物とかも)の家で育っているから、息子もやはり居心地の悪さ、なんか違う・・・感を感じているのかも知れないなということだ(気づくの遅い?)。

「多様性」と、「違う価値観の中でマイノリティとして生きること」は違うのかも。

 私にはもともと、「違う価値観や文化の人とも触れあって尊重し合い、そこに触発されてまた自分なりの考えをつくっていく」ことがいいことだ、という「多様性」信仰とも言える考えがあった。
 だから、同じような価値観・暮らし方の友人らの子どもも多く通っている近くのフリースクールに行って純粋培養的に育つのではなく、まず公立に行って自分や自分の家庭、仲の良いコミュニティとは別の価値観に触れるのも悪くないと思っていた(移住を見据えてとりあえず公立にしたという事情もあったけど)。保育園はそうだったし。

 でも、それ、きれい事というか、なんか勘違いしていたのかも。

 私自身、小中学校時代、自分がなぜか浮いている感じがあって、居心地が悪く苦しかった。それは、日本の学校に「多様性」があるのではなくて、「横並び」「無個性」が当たり前で、「勉強ができることが大事」とか「学校に行くことは当たり前」という価値観が支配的な場所だったからだ。あれ、全然多様じゃない!
 高校はインターナショナルスクールに通うことになって、本当の意味で多様な人に囲まれて、自分のマイノリティ性とマジョリティ性を相対的に感じられる、そんな居場所を選べてホッとした。そして今は価値観の合う人たちに囲まれてとても幸せで、それは一つ一つ、マジョリティとは違っても、自分の大事にしたいことを実行し選んできた結果だと感じている。

 なのに、いま子どもは・・・?めっちゃ多様性のない、しかもうちと真逆の価値観の荒波に放り込んでる??

 むしろまだふにゃふにゃの子どもだからこそ、親と方針が近い環境、そして社会の中ではマイノリティな価値観でも認めてもらえる・そういう人の多い環境で安心して育つ方が、まず大事かもしれない。むしろ、そちらのほうが恐らく個性や多様性を認め合える場所なのに、何を勘違いしていたんだろう。。。(まだなんかうまく整理できてません。)

 まっすぐにフリースクールを選べなかったのは、前編にも書いたけど、私自身が自分の価値観にまだ自信がなかったからもある。そして、この半年ですごくしっかりしたものに変わったから、今ようやく、そう思えるようになったということかもしれない。

結局、子どもの魂の選択でもある

 そんなこんなで、今現在、私の気持ちは、希望しているもっと自然豊かな場所への移住までの間ででも、息子が気に入れば近くのフリースクールに転入するのがいいのかもしれないと感じ始めて、見学に行くことにしている。息子の適性的にも、学校に行ってみて、あらためて、フリースクールのほうが向いているかもなと感じている。本人も一時期は学校という目新しいものが楽しかったようだけど、やはり改めてフリースクールかホームスクリーングを選びたい時期がきたようだ。
でも行ってみてわかること、納得できることって、色々あるからよかったと思う。

 でもこれはあくまでうちの場合のお話。
結局、どの環境がいいかは(選べるとして)、子どもの魂の望みによるなと思う。自分の家庭とは真逆の価値観の中で、周りを感化していく役目をもっていたり、自分の考えを磨く道を選ぶロックな魂もいれば、まずは似たような価値観の中で安心して自分らしさを育てていきたい魂もいる。

ということで、年内くらいには、これからどうするか、目処がたって行くのかなと思っているところ。書いてみて、色々自分でも気づきがありました。

長文お読みいただきありがとうございます。
学校や教育、学びのあり方について考えている方の参考になれば幸いです。



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