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今日という日に寄せて

『イクメン』という言葉が嫌いだ。
『ワーママ』という言葉が嫌いだ。

と書くと、「いきなりなんだ?」と思われる方もいると思う。
不快に感じる方もいるだろうし、或いは賛同してくれる方もいるのかもしれない。
けどまあとりあえず、あたしの話を聞いてほしい。

突然だが。
あたしはティックトックで子育てをされている方々をフォローしている、結構な数。
あたし自身、未婚で子なし。
シンプルに『見ていて面白い』と思うからフォローしている、それだけだ。

あたしがフォローしている方々の多くは、『ご夫婦で』子育てをされている。
もちろんあたしは彼ら彼女らにとって他人だから、お仕事はどうされているのか、とか、家事の分担の具合はどうなのか、なんてプライベートなことは知らない。
ただ、動画上のそのご家庭の生活しか知らない。

『ご夫婦で』子育てをする、しかも楽しんで。

数十年前だったら考えられないことだっただろう。
そして、その数十年前に子育てをされていた方々からしたら、もしかしたら、よく分からない価値観なのかもしれない。
その結果、誕生してしまった言葉が、『イクメン』や『ワーママ』なのでは?と。

男性は外で仕事をする存在。
それプラス育児にも参加していたらそれは素晴らしいのではないか?
といった考えから生まれたのが『イクメン』。
女性は家で家事育児をする存在。
それプラス仕事もしていたらそれはすごいことなのではないか?
という考えから生まれたのが『ワーママ』。

なのかな、って。

そこであたしは首を捻る。
『そうゆうのって、わざわざ名前を設けてまで社会に浸透させる必要があったろうか?』と。
また、『そうでもしなきゃ男性が育児に参加するのはおかしいの?女性が働き続けるのはおかしいの?』と。

今から60年以上前の話をさせてほしい。
あたしの母親の両親は、共働きだった。
それも、例えば家業が八百屋さんとかで、ご夫婦でお店に立っている、とかでなく。
あたしの祖父は公務員、そして祖母は小学校の教師だった。
母から、子供時代の思い出話を時々聞かせてもらうことは、よくあったし、何なら今もある。
小学校の入学式や運動会なんてゆう行事事は、全て、祖父が来てくれていた、という。
というのも、母が晴れて小学校に入学するその日、祖母は祖母の勤める学校の入学式に教師として参加しなければならないからだ。
母は、子供ながらにそれが悲しかった、とあたしにこぼしたことがあった。
最近ではこういった話題は、もう母の中で笑い話なのだが。
あたしが小学生くらいのころだったと思う、『悲しかった』と聞いたのは。
今になって考えてみれば、無理もないよな、と。
友達はみんなお母さんが来てくれている中で、お父さんが入学式に来ている人なんて、あの時代、ものすごく珍しかったのだから。
からかわれたりもしたのかもしれない。

ただ、その時代、『イクメン』なんて言葉はなかった。
それでも祖父は、当たり前のこととして子育てに参加していた。
『ワーママ』なんて言葉もなかった。
それでも祖母は、定年まで教壇に立ち続けた。

あたしの色んな言葉に対する嫌い意識の根源は、たぶんここから発生している。
祖父母が当たり前に家事育児を分担し、仕事に勤しんでいたのが約60年前。
そこから時代は大きく変化していったのに、この国はとても豊かになったのに、なぜ?と。
なぜ価値観だけは変わらないの?と。

もっと、シンプルでいいと思う、あたしは。

『できる人ができる時にできる事をやる。』

それでいいと思っている。
これは何事に於いても。

男性に「母乳を出せ!」なんて無茶は言わない、それは『できない事』だから。
生理痛で動けない女性に「仕事をしろ!」なんて非道なことも言わない、それも『できない事』だから。

そしてこれは夫婦とか家庭に限った話でなく。
例えば満員電車の中で赤ちゃんが泣き出したとき。
一旦、冷静になって、その赤ちゃんを抱く母親の心境を考えてみてほしい。
「あらあら泣いてるわ♡」なんてほっこりしたことを考えているだろうか?
否。
「やっべ!どうしよ!やばいやばい!!」それだけだ。
もうパニックだ。
そんな時、考えてみてほしい、『自分には何ができるか』。
子供をあやした経験のある人、得意な人は、赤ちゃんをあやすのを助けたっていい。
お母さんの心境に寄り添って、「大変ですよね」と一声かけてあげるだけでも十分だ。
聴覚が過敏で赤ちゃんの鳴き声が苦手な方は、すぐに隣車両へ移る。
そういう方がいるかもしれない、と考えて、赤ちゃんの泣き声を遮蔽する壁役になる。
遠い席に座っていても、なんとなくでいい、スマホで『赤ちゃん 泣き止ませ方』なんて検索してみたっていい。
『できる事』は、存外多い。

今日は国際女性デー。
先進国にして女性の社会進出が著しく低いというとっても恥ずかしい理由で有名なこの国で、ちょっと、考えてみた。
もちろん、これはあたし個人の考えだから、反論もあるだろう。
違う角度からの考えもあるだろう。
もっと踏み込んで考えている方もたくさんいるだろう。
ただ、一個人として、今日、何ができるかな?と考えた結果、こんな文章ができあがった、というだけだ。
あたしが今日、『できる事』。

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