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なんだろうね。

私の大叔父(祖父の弟)は、戦士した。
陸軍の兵士で、東南アジアへ船で移動中に爆撃され、そのまま亡くなったのだという。
当然、大叔父の遺品などは何一つ、ない。
兵士として戦うこともなく亡くなった大叔父。
海へと散っていった大叔父。
悲しい話だ。

我が家には未だ、大叔父が家族に宛てた葉書や写真なんかが残っている。
あたしはそれを毎年、この日に眺めている。
そして毎年、やるせない思いになるのだ。

戦争関連の書籍を読んでいて知ったこと。
大叔父が出兵する前、日本の負けは確定していて、上層部では敗戦を認めるか否かで揉めていたのだという。
それでも結果、負けを認めずに戦争を続けた日本。
戦士した大叔父。
たくさんの若者たち。

戦争ってなんだろう、って、考え事は多々ある。
高校の時、英語の先生が、特別意味もなく放った言葉がある。
「戦争は土地争いの歴史。」
高校生だったあたしは、なるほど、と思った。
実際、世界史選択だったあたしは、土地争いの歴史である戦争を学んでいたし。

では。
現代の、今の戦争は、或いは紛争やその他の争いは、何なんだろう。
やはり土地争いなのか。
政権争いなのか。
主義主張の違いによるものなのか。
考える。
考える。
でも、あたしにはやっぱり分からない。

あたしに出来ることは、過去を知ること、そした考えること。
思考を止めてはいけない、と思っている。
大叔父の写真を見ながら、毎年、そう思う。

正直な話、大叔父については正確な命日すら分からないのだ。
だから今日を、大叔父の命日としている。

骨の一片すら帰ってこれなかった大叔父。
あたしの祖父を含め兄弟や家族たちは泣いただろうし、今のあたしだって、毎年泣いている。

戦争って、争いって、なんだろうね。
仏壇に飾られた大叔父の写真に、問う。
答えは、ない。


大叔父の命日の寄せて。


余談だが、母方の祖父は出兵し、生きて帰ってきた。
けれども祖父は、戦争の話は一切せずに亡くなった。
それが意味するところを、考える。

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