Ippei Oshida

MIMIGURI所属|読書会コミュニティ「Design Book Club」運営|横浜…

Ippei Oshida

MIMIGURI所属|読書会コミュニティ「Design Book Club」運営|横浜在住|関心:組織開発、オープンダイアローグ、当事者研究、ナラティヴ・アプローチ、パフォーマンス心理学、コ・デザイン、生活史、デザイン人類学、哲学対話、男性学、発達障害など

最近の記事

「対話の暴力性」について考える

*本コラムは2023年MIMIGURIアドベントカレンダー10日目の記事です。前回は後藤円香さんの記事『意志と余白を往復するデザイン』でした。 「対話」という言葉で検索すると、柔らかな笑顔を浮かべたやさしそうな人たちが、輪になって楽しそうに話をしているイメージ画像がたくさん出てくる。 やさしくて、あたたかくて、思いやりと共感にあふれた、楽しい空間。たぶんそれが、よくある「対話」のイメージだと思う。 もちろん、対話にはそのような側面もあるだろう。しかし、対話というものは、本当

    • 私のファシリテーション観

      私のファシリテーション観は、ジル・クレマンというフランスの庭師の、「動いている庭」という本から大きな影響を受けてきました。 庭師が手がける庭というと、綺麗に刈り込まれ、人工的に制御された空間を思い浮かべる人が多いと思いますが、クレマンは、「できるだけあわせて、なるべく逆らわない」という考えのもと、土地を土地のダイナミズムに委ねるような形で庭づくりを行い、現代造園の世界に衝撃を与えてきました。 つまり、計画や制御を手放して、庭という空間を、自分たちには制御不能な、そこにある生命

      • 未来を『思い出す』ための対話

        「あの頃はまだ20代で若くて、当時マネージャーだったAさんには教えてもらってばかりいたんですけど、今は私も成長して、Aさんとは対等なパートナーとして、お互いに影響や刺激を与え合いながら楽しく働いています。いろいろ大変だったけど、あの頃たくさん育ててもらって、Aさんにはほんとに感謝しかないなと思って。」 彼女はまだ実際には20代なのだが、30代になった彼女は、当時は自分の上長であり、現在も仕事の良きパートナーであるAさんに、今日までにあった様々な出来事を思い出しながら、あらた

        • 他者の合理性を理解する

          長男がまだ小さかった頃、「は」に濁音をつけると「ば」になるということを、なぜだかすんなりと理解することができなかった。 「『か』に点々をつけると何になるかな?」 「が!」 「じゃあ、『た』に点々をつけるとどうなるかな?」 「だ!」 「よし、そしたら『は』に点々をつけると?」 「『は』に点々……?う〜ん………わかんない。」 「か」が「が」になることや、「た」が「だ」になることはちゃんと理解できるのに、「は」と「ば」の対応関係だけがどうしてか理解できない。 繰り返しの練習の末

        「対話の暴力性」について考える

          私たちは、いつも誰かを演じている

          5歳の息子と一緒に、「宇宙のえほん」を読んでいた。 太陽系にはさまざまな惑星があることや、宇宙には重力や音がないこと、火星で活躍するピカピカの探索機のことなどが、小さな子供でも理解できるようわかりやすく書いてある。 息子は宇宙の不思議に驚き、目を丸くしながら話を聞いていたのだが、地球の自転と公転について説明をすると、突然立ち上がり、「こういうこと?」と言って、くるくる回転しながら父親の周りを周回しはじめた。 地球についての理解を深めるために、「自分自身が地球になってみる」とい

          私たちは、いつも誰かを演じている