【読書記録】戸谷洋志「学びのきほん 哲学のはじまり」NHK出版

戸谷洋志『哲学のはじまり』を読み返した。薄くて字が大きいのでパラパラと読んで1時間かからず読了できる。もう3回くらい読み返している。哲学の三大領域(存在論、認識論、価値論)の基本を平易な言葉で噛み砕いて解説してくれていて、哲学書を読むときの見通しが明るくなる……気がする。解説もさることながら「はじめに」と「あとがき」の文章がめちゃくちゃいい。

人間は「当たり前」に疑問を持つと、ついつい「本当はどうなんだろう?」と考え込んでしまう生き物だし、そしてそれはめちゃくちゃ楽しいからです。

「学びのきほん 哲学のはじまり」p.6

ソクラテスは、哲学を「死の練習」と呼びました。…(哲学は)肉体(私たちを束縛するもの)から自由になれるという意味で、死に似たものなのです。

「学びのきほん 哲学のはじまり」p.8

今の世界で「当たり前」とされることを問い直すことが哲学の営みであると。
ただし、本当の意味で「哲学する」のはハードルが高い。単に知識があればいいというのではなく、哲学者の言葉をもって自分で考えることが大事であるという。具体的には、①哲学者の言葉を自分の言葉でパラフレーズすることができる、②適切・身近な具体例を用いて説明することができる、③応用を効かせて「哲学者の〇〇だったらこう言うだろう」と首尾一貫した回答ができること、がポイントなのだと。
これは…なかなか教養だと哲学を嗜むだけでは至ることのできなさそうな境地。

この本でグッときたところ。存在論とはなんたるかを抑えることで、サルトルの「実存は本質に先立つ」という言葉の意味がこんなにも腑に落ちるのかと感動できる。

私たちは、自分が何者であるかを、自分で形成していきます。それは、言い換えるなら、人間は自分の本質を変えることができる、ということでもあります。

「学びのきほん 哲学のはじまり」p.56

そういえば、NHKの番組100分de名著にて『実存主義とは何か』が放送された当時、サルトル哲学に共感したことを周りに話していたら、今は亡き恩師に「あいつはダメだ」と超否定されたのを思い出す。なんか気に食わなかったらしい。そんなことを言いながら、(説教)メールとかではたまにサルトルの言葉を引用していた。
「嵐の中で前に進めなくても、決して後ろを向かず、正面向いて雨風に耐えるってこと(サルトル:哲学的には受け付けないけど)がとっても大切。」
……いつもどこから引用してきてるのか謎だった。出典不明の引用をしがちなところと、言葉を曲解しがちなところ、似たくないところほど似てしまったなと思う。

みずからをつくるということは、未来に向かってみずからを投げ出すこと、すなわち、みずからかくあろうと「投企」することだ、と。 この耳慣れない「投企」という概念は、フランス語の「プロジェ」(projet)です。

NHK「100分de名著」ブックス サルトル 実存主義とは何か

前にあるものが希望でなく、絶望だけであるならば、何も自分を投げ出したりはしません。何かしら希望を含んでいるから、希望を垣間見るからこそ、未来に向かって自分を投げ出すのです。

NHK「100分de名著」ブックス サルトル 実存主義とは何か

この時の放送で「サルトルは"認識"においては悲観主義だったけど、"意志"においては楽観主義だった」みたいなナレーションが付いていたのを覚えている。かっこいい。行動するには、失敗のリスクがあるとしても私を賭けてもいいって覚悟できるような希望がないといけないのよね。何度読んでも沁みる…….。こうやって実際に本は読んでないのに、簡略化されたテキストブックだけで哲学者固有の思想を分かった気になってしまうのが哲学的にはNG(本来の意味での哲学ではない)なんだろうと戸谷さんの本を読んでちょい反省。

この前、國分功一郎さんが柄谷行人の「命がけの跳躍」という言葉を実に実存主義的だと評していたけど、サルトル的な意味合いで使っていたのだろうか。文脈がまったく分からないものの、タイムリーに実存主義という言葉に出会ったので気になるのであった。

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