見出し画像

地球一周❷~変わったもの・変わらないもの~

2023年12月14日に船に乗り、
2024年3月31日に横浜港で下船。
(約4ヶ月間のクルーズが終了)
下船後はクルーズでできた友達と横浜で一晩語り合い、
4月1日のお昼過ぎに、地元に帰る。
4月2日にクルーズの振り返りを始めた。

船旅を終えたみんなは日常に何を感じて、どのように過ごしているのかな。
気になるな~笑
ちなみに、初めて目次機能使ってみた。


4月2日。自分らしさとは。

朝起きて、クローゼットを開ける。私のお気に入りだった洋服が並んでいる。
袖を通してメイクをする。
鏡を見ると、
「地味」「おとなしい」「どこにでもいそう」「社会に溶け込んでいる」「社会になじんでいる」
そんな私がいた。
なんか嫌だ。
鏡の中の自分は自分じゃないみたいだった。
船内とは違う自分ができあがった気がした。

私は、蛍光黄色、原色、おふざけ、元気いっぱい、おてんば、目立つ
本来余計な制限がつく前の私は活発、おてんばとよく言われていた。
今も写真撮るときとかふざけたり面白いポーズをしたくなる。
目立たない、誰にでもできるようなことはしたくない。
そこら辺の人と同じような人になりたくない。
そこら辺にありふれているような、多くの人たちが歩いてきたような道をなぞって歩きたくない。

船では、大好きな原色青色のカーディガンを羽織る。これは陸でも羽織ることできている。
ペルー(カヤオ)のH&Mで買ってから、ずっと着たかったけど周りの目を気にして着られなかった青のニットワンピース。購入してから1.5ヶ月寝かせてしまったけど、3月に堂々と着ることができた。わたしにとっては、これも挑戦であり、自分自身を認めるための第一歩となった。私の大好きなEXITの蛍光色ロンT、船の仲間からもらった、ハーフパンツのセットアップ。
仲間から、洋服は柄より色で遊んでるよね、と言われたこともあった。
なんだかそれが印象に残っている。

挑戦を受け止めてくれる雰囲気

私は今まで他人の希望を優先して生きてきた。
自分の感情・想いを表に出すことは少ない方だった。
そんな私にとって、自分の意見・想いを伝える、やりたいことをやるというのは、怖いことだったし、自分の殻を破る挑戦でもあった。
私は、今回の船旅では洋上運動会の実行委員長もやったし、カラオケ大会にも出て、みんなの前で歌った。自分の意見を伝える行動も沢山とったつもりだ。規模は大なり小なり異なるが、わたしのありのままを認めるための行動をとることができた。

船では挑戦しやすい環境が整っている。

個性溢れるみんなが、それぞれが好きなように時を過ごしている。
それを、みんな受け止めてくれている。
そんな雰囲気がある。
すれ違う人はみんな挨拶を返してくれるし、突飛なことを言っても受け止めてくれて理解しようとしてくれる。
船には本当に様々な人が乗っている。
普段生活をしているだけでは会えない人が多く乗っている。
沖縄、熊本、福岡、鹿児島、大阪、北海道、岩手出身の乗船者(他にも沢山)。日本を飛び出して、世界中の人がこの船に乗っている。
職業で言えば、同年代の社長さん、フリーランス、日本代表、アーティスト、フェミニスト、看護師さん、放射線技師さん、義肢装具士さん、美容師さん、お坊さん、クリエイター、MV作成者。他にも様々な人が船に乗っていた。
そんな人たちと日々過ごし関わることで自分の常識を何度も打ち破られ、周りに対する認識を更新する日々だった。そんな経歴や経験の異なる人たちが電波の通じない船という空間で時間を共にするという経験は私にとって、とても貴重な物になった。

4月2日、家には20時前に帰宅。
用意してくれていたご飯を食べて、部屋にもどる。
それとなくスマートフォンを開いてネットサーフィン。
気付いたら23時。
お風呂に入りながら考える。情報が溢れている。
大事な記憶が薄れてしまった。
そう感じて眠りについた。

翌朝4月3日

記憶を取り戻すつもりで4月1日朝に食べたものと同じ牛丼を食べに行く。
4月3日船旅の振り返り再スタート。
ショッピングモールのラウンジで振り返りのnoteを書いている。
やはり、物が溢れている。

国・地域なんて関係ない。

生きるために必要なことものはどこの国に行っても同じように存在した。
これまで一度も海外に行ったことのなかった私は、海外の人の生活なんて想像したことがなかった。
海外にもスーパーがあって、飲物、食べ物が売られている。(一部の民族を除いて)みんな服を着ている。
当たり前のことだが、海外について考えてことも無かった私にとっては新鮮だった。
どこの国に行っても生きるための営みがある。洗濯、食事。
船で生活していても、陸で生活していても食べて寝て、洗濯して。どこの地域で暮らしている人もやることにたいした差は無い。本当に必要なこと・ものは南半球の国々も、日本も、どこで暮らしていようと変わらない。

本当に必要な物とは。

それを感じた上で日本に帰ってきて、ショッピングモール内を歩く。家に帰り、自分の部屋にはいる。
物が多すぎる。自分が本当に必要な物が分からなくなる。

自分の声を聴く

日本では、気を抜くと情報や社会に飲まれてしまう。
出る杭は打たれる。挑戦者を一歩引いて白い目でみるような、多数決で多い方が勝ちで正解みたいなそんな風潮。
みんな何か見えないルールに従って生きていて、ロボットみたい。
自分のしたいことは何?
やりたいことは何?
好きな色は?
好きな物は?
今のままで良いの?
それって本当にやりたいことなの?
あなたはいったいどんな人?

感じたこと

この国は忙しない。
地元での生活が再び始まり感じた。
私の住んでいる地域は車社会。車に乗って目的地まで向かう。
速度のメーターを見て思う。走らせる車の速度が今までと比べて遅い。
脇道から顔を出す車に道を譲こともできるようになった。
信号が青に変わったときに、後ろの車がせかしてくるからって、慌ててアクセルを踏まなくなった。急発進することがなくなった。
時間の流れが穏やかに感じる。
時間を大切にできている気がする。
内省する時間が増えた気がする。
適当に過ごす時間が減ったかな。
まだ船を下りて地元に帰ってきても新しい世界に降り立ったかのような感覚。
通い慣れたこのショッピングモールにも違和感。
下船して数日経っても拭いきれないなんかここじゃない感じ。
現実から目を背けたいわけじゃない。
馴染めるなら再びこの生活に馴染みたいし、安心感がほしい。
私の戻る場所はここだ!みたいな。

船乗る前までこの社会で違和感を感じずに生きてきたことが不思議で、ここは私の過ごす世界じゃないことを訴えられているような、そんな感覚。

自分はどうしたいのか

自分を生きたいのに、この環境にいたら世間の常識、社会に引っ張られてしまう。そう思う。
さて、この場所に違和感を感じたなら、居心地の良い場所に身を移すといいと考える人がいるだろう。
私もそう思う。
家を出る?
地元を離れる?
ましてや日本を出て海外に身を置こうか?
文化や雰囲気は国によって異なるだろう。
でも海外に行けば幸せになれる。そんなことはない。みんな同じ人間。生きるために必要な人間の営みはどこに行っても同じ。
海外に身を置いたからと言って悩みがなくなるわけじゃない。

だからこそ、自分が人生に何を求めているのか、何を心地よいと感じるのか、どうすれば現状を心地よい環境に変えられるのか、自分らしい生き方ができるのか、を考えることが大事だと感じた。

私は何がしたいんだろう。
どのように生きたいんだろう。
船を下りてから、自分の将来について考える時間が増えたな。自分の人生、自分で舵とって心地よい環境にしていく。

最後に

あなたはこれからをどのように生きますか。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?