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もういちど火をつける時

「僕のオケに乗ってくれませんか」

そのメールが届いたのは、3回生の冬、定期演奏会が終わってすぐの頃だったと思う。


幼少の頃からバイオリンを始め、大学でオーケストラ部に入った。大学はほぼ部活動のためだけに通っていたと言っても過言ではないくらい、ハマっていた。同期や先輩後輩とあーだこーだ言いながら音楽を作る毎日が、楽しくて仕方なかった。

私が所属していた大学オケは、初心者も受け入れる、ゆるい雰囲気の楽団だった。それはそれで別によかったのだけど、そうなるとどうしてもドヴォルザークやチャイコフスキーなど、「みんなが無理なく平等に活躍できる」作品を演奏する機会が多くなる。ドボ8とか、チャイ5とか、そのへんな。経験が長い私は、それだけでは物足りなく感じていた。できることなら、もっといろんな作曲家の曲に挑戦したい。そんな気持ちがずっと、心の奥底で静かに燻っていた。


21歳の冬。そのメールが届いた。


コンマスを務めた私の姿を演奏会で見たらしい。やば、これってスカウト?心が浮き足立った。しかも、曲目はマーラー。のんびりした学生オケじゃ実力的にも人数的にも絶対できない。こんな機会、滅多にない。

会ったこともない人なのに、二つ返事で、乗ります!と返信した。

いざ合奏練習に行くと、「僕のオケに下手な人はいらないんで、しっかり練習してきてくださいね!できてなかったら切るから」と温和な笑顔で圧をかけられた。あれ…もしかして私、とんでもねぇところに来ちゃったかな?まわりのバイオリンメンバーも皆、コンマスをやれるくらいの腕前の人たちばかり。やばいかもしれん。でも、それ以上に、やったるで!と、負けたくない気持ちがごうごうと燃えはじめた。ああ、若かったな。彼の、やる気を引き出す術にまんまとひっかかった。

求めるレベルが高く厳しく、かといって怖いだけではない。アメとムチの使い分けがうまい。人を自分の渦に巻き込むのがうまいタイプだな、と感じた。その印象は、今でも変わらない。「この人と一緒にやりたい」と思わせる何かがある(少なくとも私にとっては)
天性の人たらし。


彼のオケに参加したことで、学生オケでは絶対にできない貴重な経験ができた。就職で上京するまでの、ほんの一年という短い時間だったけど、20代前半で彼と出会い、ともに舞台に立った経験は、相当な自信と糧になった。社会人になってからもアマチュアオケで活動を続け、全然上達しなくて心折れそうになることも多々あったけど、「あの時挑戦できたんだからたぶんなんとかなる」と思えるほどに。

彼のオケが関東に進出して、東京でも定期的に演奏会を開催することになり、誘われた時は、とても嬉しかった。関西を離れてから7年、8年くらいは経っているのに、私のこと、覚えていてくれたんだと。この時、20代後半。娘を授かるまで2年ほど、また、初めての作品と向き合う日々が続いた。しんどさ60%、楽しさ40%くらい。



✳︎



先日、彼のオケの演奏会を久しぶりに聴きに行った。

あいかわらずみんな上手いな〜

かっこいいな〜

いいな……私も弾きたい

いいな、いいな、いいな………

…胸を突き破りそうなほどの羨望の思いと、孤独。


彼のやりたいことにはブレがない。ずっと変わらず、一貫している。それに賛同する人たちが集まり、違うなと感じたら去っていく。それでいい、そういう団体だから。私は、彼が思い描く音楽を作る壮大なプロジェクトに、ほんの一瞬参加していたひとりに過ぎない。出会ってからいつのまにか20年弱経っていることに驚くけど、「変わらず努力しつづける」「やめない」ことはものすごい才能だと思う。

それに比べて、その間、私は何をしていたんだろう…という気持ちになる。もちろん、私は私で、日々真面目に生きてきたつもりだし、人間をひとり産んで必死に育ててきたんだけど。彼の活躍を目の当たりにするたびに、どんどん遠い人になっていく気がする。

演奏会の感想をメールすると、必ず「次回、どうですか?」と聞いてくれる。参加できないとしても、嬉しくなってしまう。単なる形式上のものだろうけど。正直、彼の求める音楽作りに貢献できるほどの音はもう出せないだろう、と感じている。7年超のブランクは大きすぎる。燃料が、足りない。


それでも。
私にはどうがんばっても手の届かない遠い、未知の世界へ、歩みを止めることなく突き進んでいる姿を、これからも見ていたいと願ってしまう。はぁ、なんなんだろうな、この気持ち。これが、「才能に惚れる」というやつなのか。


そろそろ、リハビリをはじめようか。


たい焼き





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