【随想】価格が設定されることの意義(3/7)

 ネットワーク外部性という現象を伴うビジネスでは、一定の条件で無償取引は合理的なものとなる。
 企業は本来営利を目的とするもので、収益が上がらないなかでビジネスを続けることは困難なはずだが、このマーケットではそれが可能であるばかりか合理的でもあるのだ。
 他方、消費者にとってはどうだろう。消費者は多くの財・サービスを「購入」しながら、生活に必要な物資を得ている。そして、「購入」という言葉に、有償取引であることが内在している。一見すると、無償(タダ)であることは、消費者にとって有利な取引以外の何ものでもないように見えるが、はたしてそうだろうか。
 まず、無償であることは、企業にとって消費者を誘引する絶好の手段だが、消費者の立場からすれば、一体何を取引しているのかが曖昧になり、わかりにくくなる。ある財・サービスに価格が設定され、それを取引対象とすることで、わたしたちは主として何を取引しているのか、また、何が取引の対象とは別のものなのかを認識する。価格がないと、この財・サービスの特定性がぼやけてしまい、取引がおぼつかなくなる。この前取り上げた、カフェにおけるWi-Fiサービスと名曲喫茶における店内における楽曲の提供の差は、結局のところ、店側と客側の間の認識に依存せざるを得ない。認識が合致していなければ、トラブルとなる。
 無償取引は、価格があることのありがたさを感じさせるきっかけを提供してくれる。わたしたちは、一定の財やサービスの品質を価格との組み合わせやバランスで選択し購入している。価格は単なる取引条件の一つにすぎないように見えて実はその財やサービスの品質などのさまざまな情報を集約したシグナルにもなっている。価格が高いことは、品質が上質であることやアフターサービスが優れているとか、他の商品にはない特徴を含んでいることを示唆している。
 このように、さまざまな情報を価格に集約して成り立っているのが市場取引なのだが、価格が存在し得ない無償取引は、こうした取引を成立させにくくする(つづく)(2022年8月5日記)。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?