【随想】無償取引に消費者は不利益さえも気づかない(4/7)

 無償取引は、企業が消費者に対して課す不利益さえも見えなくさせるかもしれない。経済学の教科書を見るまでもなく、価格が引き上げられると(一定の予算制約がある)消費者は財やサービスの購入量をこれまでよりも抑えなくてはならないだろう。値上げは、明確なかたちで消費者にとって望ましくない影響を及ぼすことになる
 だから、企業が集まって価格引き上げや生産数量制限について話し合うと、カルテルや談合として当局によって摘発される。このように、価格が設定されることは、消費者に不利益を具体的に感じるきっかけを提供してくれているのである。
 しかし、無償取引だとどうであろうか。たとえば、グーグルの検索エンジンを考えてみる。わたしたち消費者はこの検索サービスを用いて自らの目的とする情報やコンテンツにたどり着くべくインターネット上を探し回る。それにかかる対価は、もちろんゼロである。その時、わたしたちはこのサービスによってたしかに便宜を受けているが、その由来を知ることはない。彼/彼女らがなぜ無償のサービスを提供しているのか、また、提供できているのか。タダの財やサービスのことを殊更に「知りたい」と考える人はそう多くはないであろう。
 有償の財・サービスの取引であれば、否応なくその財やサービスに関心を持つ。その財やサービスがどのようにして私たちの手に届けられるのだろうか。そして、それらはどのようにして作られるのだろうか。
 これらの事情は何らかのかたちで対価に反映されるから、消費者としてはもっと安くなる販売ルートがないものか、もっと安い製品を作っている企業はないものか、どうしても気になるはずだ。
 無償取引は、消費者の市場で取引される財・サービスに対するチェック機能、ないしは鋭敏な感覚を減退させることになるかもしれない(つづく)(2022年9月5日記)。

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