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1.1日誌(新人さんと歩んでいく)

こんにちは。ひゅっけです。新年明けちゃいましたね。この記事さ、確か手をつけたの12月20日ごろなんだよね、それが元旦まで引っ張って来ちゃったよ。本当に投稿頻度にムラがありすぎてすみません。
保育者の皆様、仕事納めはできましたでしょうか。12月は発表会やクリスマス会…いろんなことがどっさりあった月かと思いますが、無事終えた皆様は戦士です。日々、子どもの為にありがとうございます。
私にとって2023年は絶望の年でした。なので2024年こそは皆様と一緒にさち多き年にしていきたいと思っておりますのでどうか何卒よろしくお願いいたhします。
皆様も素敵な一年をお過ごしください。


さて!今年最初の記事は、ずっと言っていた新人教育についてひゅっけが思うことを書きなぐって行こうかなと思います。とはいえ私もペーペーの保育士でして、そんなたいそれたことは言えません。なんなら新人と一緒に汲んで直属の上司となったのは今年はじめてです。そのなかで、私がこれは大事と思ったことや、反省したことを書いていこうと思います。拙い文章ですが、どうか生温かい目で見ていただけますと幸いです。






書こうと思ったわけ

手探りの1年でした。「はじめましてひゅっけです」と顔を合わせた相手が新人でとても不安でした。でも不安な雰囲気は絶対に漏らしたくないと思ったのです。だからこそトライアンドエラーを繰り返し、ひたすらに歩みを止めずに過ごしてきました。
「これは手応えあるな」
「これは違ったな」
色々ありました。私はこの経験を記事として残しておいてあとから自分が見返せるようにしておきたいのです。
また、私と同じように初めての新人教育に悩まれている方へ、少しでもお力添えできることがあればいいなと思い書こうと決めました。

決して何者かになろうとしているわけではありません。ただ、私はそのように先輩方に助けてもらったのです。知識をお借りして、それを糧に前を向いて保育に専念できた…この御恩はどなたかに還元してお返ししたいのです。


されて嬉しかったことは受け売りでもいいからどんどん周りにしてあげたい。

私は厚かましいですが、誰かを救いたいのかもしれません。


じゃあ。なにかにはなりたいんじゃないのって….。



雑談はしよう

さて。早速ですが、私は人見知りです。できれば、他人は他人のままで生きていって欲しいし、私の私生活には踏み込んできてほしくはありません。ですが、そんな私でも雑談が好きでして..。好き?好きというか、やっていくほうが面白いんですよね。何故か。これは今もお付き合いをしている彼から頂いた言葉なのですが…..。

以前、「一緒に組んでいる職員と仕事がしにくい」と彼に相談したことがありました。こういうことがあったという事実を話したうえで、私の相手に対する考えやこの件について思ったことを話すと何個か質問をしてくれました。それに対して答えて…を繰り返すと、彼は言いました。


「あんた雑談してる?」

と。その時私は言いました。

「いや?仕事が円滑に回ればいいから雑談はしなくてもいいじゃん。何もうまないよね」

と返答。わははは、なんて可愛くない!!最低な彼女です。すると大きなため息。
「あなたね、実際雑談しなくて相手の性格や思考の傾向や、バックグラウンドのことがわからないからこうして相談しているんでしょ?じゃあ円滑に回ってないじゃん。」
「雑談をすることによって、相手がどういうときにどう思うかを理解することができるんだよ。あなたにも仲の良いお友だちがいるでしょ?それはたくさん雑談をして性格を理解して初めて仲良しになるんでしょ」
「別に仲良しになれって言ってないよ、それでも1年間否が応でも一緒にいなきゃいけないんでしょ。なら、雑談してみて相手を理解しようとして、それでひゅっけの立ち回りが変わるなら、こんなにいいことないでしょうよ」

うわあああああああああああああああああああ!
それなぁあああああああああああああああああ!
もう図星過ぎて私には人権がないくらいに感じました。そうだったのです。 私は相手のことを知ろうとしていなさすぎて、ほとんど「恐らく相手はこう考えたはず」「きっとそうだ、あの人はそういう人なんだ」という憶測で話を進めていたのでした。真実は当人と話してみないとわかりません。それを知ることが業務が円滑に進むポイントなのではないかと気づきました。私はそれ移行、彼の言葉に日々感謝をしながら雑談をしています。

ただ。雑談ってめちゃくちゃ面倒くさいのです。なぜかーーー。頭を使うからです。

どんな話を振ったらいいのか、相手が心地よく自分ことを話してくれるようにするにはどういうことを大事にしなくてはならないのか、え?傾聴?どうしたらいいの?好きな食べ物とかは流石にきかないな。目に入ったことを一緒に話すべきなのか、だめだなにもない。どうしよう…。

これを毎回する必要があるのです。そんなのできればやめたいし、避けたいのです。だからこそ私の場合、「人見知り」というレッテルを自分に貼り付けて受け身に徹することで雑談を回避しておりました。

それではいかんのです!と気付きました。もっと果敢に頭を使って話をする…それこそが、人としていきてきた意味ですし、なにより風通しの良い職場づくりのきっかけとなるのです。

「いつか誰かがやってくれる」もうそんな途方もないような待ち方やめましょう。相手に下手な期待を抱いてヘイトがたまるだけです。ならば能動的に動いたほうが断然事が滑らかに進むはずですよ。


もとい、新人さんの話ですが、その件もあって私は自分から自分の話をして自分から相手のことを聞きます。なので、今他己紹介の時間を唐突に設けられ、新人ちゃんのことを喋れと言われてもなにも臆することなく話をすることができます。そのくらい、私はしっかりと会話をしていると自負しております。これをひたすらやっていくと、パフォーマンスが下がったときや、うまくいったとき。声色の変化、表情の変化にぐんと気付きやすくなります。そしてまた、私はそれに応じたフォローができるーーーという訳です。
じゃあ、どんな話をしているのか、ちょっと書き出してみますね。

私「今日何曜日?(知ってるけど聞く)」
新人「〇曜日です」
私「うそ、まだ◯曜日なの??金曜まだ先じゃん…」
新人「笑」
私「早く金曜日の夜になって欲しいね」
新人「はい」
私「金曜日はさ、夜飲んだりするの?」
新人「少しだけ。でもほどんと飲みません。」
私「はえー、そうなんだ。飲めそうな雰囲気だけど」
新人「そうですか?私弱いんですよ」
私「そうなのね。え、じゃあ飲み会とかは行かない?」
新人「友だちとなら行きますって感じです」
私「あーわかるよ、友だちとなら飲む飲まない気にしなくていいし、その前提のすり合わせとかしなくてもいいもんね。わかる」

的な感じです。
もし参考になれば幸いです。たまに「わかっているけど、若干ボケてみる」みたいなのは後輩に限らず同期や先輩にも使います。これをすれば簡単に雑談を開始できることに気付きました。なにもないなってときは、ぜひすぐに曜日を忘れてしまう人になってみてください。
あとは、肯定することを大事にしています。「私はそうとは思わない」「えでも」とか言われる人とそんな長く話したいと思いますか?思わないでしょう?相手の波長に合わせて、少し認めにくい思考を持っていたとしても理解はするようにして「それわかんない」じゃなくて「なるほどね、それってこういう思いや考えや理由があってそういう結論に至ってるていうこと?」と相手に意見を求めるようにして寄り添うようにしております。まぁこの言い方はトゲがあるので、こちらの文をもっと柔らかくして使っていただいたほうが良いと思いますが。
これがどこにつながるかといいますと、弱音を吐きやすくなるのです。苦しいときには「先輩もうちょっときついです」と言って欲しいし、タスク振りすぎたときには「ちょっと抱えきれません」と言って欲しいのです。そうじゃないと直属の上司なのにも関わらず、新人ちゃんのキャパがわからないという恐ろしいことになりますので。
だからこそ、先輩にも自分の意見を言って良いのだと思える環境づくりは絶対に惜しみません。


そして、最も大事にしていることは、意見を求めそれを活かすことです。例えば保育者さんだとよくあると思いますが、複数担任だと製作を何をするのかを相談したりするじゃないですか。
それに関しては意見を求めたら絶対に取り入れるようにします。若手の皆さんは思ったことあるでしょう。「意見求められたから言ったのになにも生かされない。なんの為に言ったのかわからない。もう言うのやめて同調だけにしよ」って。これが我々指導する側からするとワンオペの一歩を踏み出しているとなんら変わりないので怖いんですよね。でも、そんな怖がったって指導者側が自分で始めたことですし、そう思ってしまった後輩を持っている方がいらっしゃったら、そういうことですのでご自身の言動を今一度振り返るべきです。私はそれを絶対になくそうと思っておりますので、少しでも良いところがあれば「その意見もらっても良い?」「ありがとう、めちゃくちゃかわいいのできそうだね!」と全肯定します。
これが「受け入れられた」につながれば良いなと思います。ただ、私の思いもあるのでこれはしっかりと伝えます。「今月はこんなのやりたくて…どう思う?」と聞きます。「どう思うって…」と固まらないように「例えば、子どもたちの遊びの延長で行えてそうかな?」とか、「満足度が高い製作活動になるかな?とかそのへん聞いてもいい?」と繋げます。聞きたいポイントを絞れば相手も答えやすいのです。



こんな感じで私は雑談をしっかりとするようにしております。指導も1人ひとりにあった指導をしなくてはなりませんよね。
だって生身の人なのですから。

ああ、あともう一つ。



必ず笑顔、でね。



そうそう、その笑顔、素敵ですよ。頑張れ。



指導は端的かつ明確に

私は「なんでそんな事したの」「あの時さ」は言いません。ほとんどというほど、言いません。なぜならリアルタイムで言うからです。特に私がそうなのですが、その時の感情などはその時じゃないとわからなかったり忘れてしまうことが多いのです。だからこそ小声で笑顔で伝えます。怒ってはならないと思うのです…だって、怒ったってその事実が変わるわけでもないですし、相手が萎縮してしまい次から動きにくくなるだけなのです。
伝える時は
「今これが最善」ということを伝え、次回への期待と「わかんなかったら私に聞いて」と言います。

結論を先に言うことで相手が何を言われたのかをしっかりと理解できるようになると思います。また、次からはどうして欲しいのかも伝えます。「次は1人でやって欲しいのか」「また一緒にやることなのか」それらを相手のハードルに合わせて伝えることで、これからの動きや心の持ちようも変わってくると思うのです。最後には指導者のフォローがいつでもあることを伝えてあげると尚良しなのかなと勝手に思ってます。

怒るというのはこちらの感情でしかありません。そんなの相手にとっちゃ動でも良いのです。ぶつけてスッキリするだけではないでしょうか。
「やー!怒られたから明日も頑張れる!!!」って方はもうこの令和においていません。だから我々もやり方を考えなくてはならないのです。ときよりアンガーマネジメントに関する記事を読みます。もしカッとなってしまいがちな方はそういったことも学んで見るのもありかもしれません。きっと上下ともにうまくやれるにちがいありませんよ。

だから、そう、つまり。
例えばなにか相談する前に動いて失敗してしまった時は、
「そういうときもある、次は相談してな、そしたら私もあなたを守れるから。一緒に考えようね。大丈夫だから。またなにかあったら言ってね」と言いますし、行事中に動きが目にあまるような様子だったら「あそこ、人足りてないから行っておいで。んで終わったらまた戻っておいで。もし自分で次の仕事見つけられるなら、見つけておいでな」と言います。

我々が思ってるより、彼らは繊細です。

継続率とか離職率を気にするのであればより一層温かく関わらないと行けないですよね。



私が学んだことのほうがいっぱいあるよ

まぁ。こんなに偉そうなことをまたまた喋っていましたが、全て新人ちゃんと関わってきたからこそ得た知見です。きっと関わっていなかったらこんな学びも得られませんでした。日々、私が新人だったとき臨んでいた先輩の姿を思い浮かべながら過ごしました。でも、やっぱりうまくいかなくて現状再び悩んでいる次第です。でも、この悩みもきっと大丈夫です。私ならこれを払拭し、卒園式まで持っていくことができます。なぜなら、その自信を新人ちゃんがくれたのですから。


私って多分人と関わる仕事を永遠とやっていくのだと思います。悩みも、苦しさも笑顔も幸せも、正しさも私は誰かから得ていると、この記事を書きながら改めて思いました。生きがいとはこのことです。
本当にありがたいね。うん、本当に。しみじみします。飛躍しますが、やはり、この性格で育ててくれた親には感謝しかありません。ありがとうって帰ったときにはしっかり伝えようと思います。
初めて新人教育を任された一年でしたが、こうやって今思えるということは、間違ったことはしていなかったのではと少しだけでも思って良い理由になるのかもしれません。ただただ学びでした。



私が新人ちゃんから得た幸せ

めちゃくちゃ嬉しいことがあったので、2つほど紹介します。

1:「保育って楽しい」
午睡中、私はクラス会議の時間を必ず設けるようにしています。会議ってほどでもないですが、気になる姿の子どもがいるかどうかや、もしいたらその児に対してどう関わっているかなどを話し合います。援助の差異が内容にしているのですが、たまにそれの延長で雑談に発展してしまうことがあり、新人ちゃんが自身の同期の話をしてくれました。
「私の友だち、みんな保育園に勤めてるんですが、次々と辞めていっているですよね」
とのこと。何も言えませんでした。私も半年で新卒で入職した保育園を辞めているので…。
しかしその後に


「よくわからなくて。それが。保育ってこんなに楽しいのに1年経たずに辞める理由が本当にわからなくて。」

と続けてくれました。
これは本当に嬉しかったのです。私は今年この新人ちゃんが「保育って楽しい」って思えるように鳴ったら良いなと思って過ごしていきました。うまくいっているか不安だった中のこの言葉. ..私はとても胸がいっぱいになりました。
その瞬間に「ああもう私今年の目標達成したな」と涙が出そうになりました。私がつたえたいことが彼女に伝えられてすごく嬉しかった出来事でした。


2:「ひゅっけ先生で良かった」

これは本当に嬉しかったです。聞くルートが違和感かんじるかと思いますが
…そこは多めに見てやってください。
新人ちゃんが個人面談をしたあとに、私が面談をしたのですが、園長から新人ちゃんが言っていたことを教えてくれました。

「一緒に組む先生がひゅっけ先生で良かったって言ってたよ。私もすごく安心してさ。ね、今年度から入って突然クラス異動があって、新人教育なんてとても大変だったと思うんだ。でも彼女はどんなときもあなたが先輩で良かったと言っているよ。私も感謝しかないな」

まじで今年目標にしてきたこと終わりじゃんって思いました。私嫌われる勇気って本を読む勇気がなくてですね、一生誰かに好かれていたいと思うのですよ。だからね、そこに対するPDCAは死ぬほど回すんですね。
え?そんなことに体力使うなって?
体力の使い方なんて人それぞれでしょ、これで生きやすい世界築いているんだからそっとしておいてよ。
おっと失敬。
まぁだからこうやって誰かに何かを指導する立場になった今、私はこうして誰かに認められると本当に夢がかなったかのように喜ぶわけでございますよ。
本当に嬉しかったな。




無駄なことなんて1つもないな

「これやってて意味あるのかな」って思うことあるじゃないですか。あとは「これに終わり来るのかな」というもの。でもそれらって必ず終わりは来るし、意味は自分で見つける楽しさが秘められているのだと思います。
何をしていても必ず、それらが実を結ぶときが来ますし、意味付けをすれば自分の業務に張り合いが持てるのです。
難しいですよね、生きるのって。途方もないときもあるし。
でも何をしていてもひとまず動いていれば、きっと大丈夫。
どこかには行けます。
ただ、行きついた先でなにか気付けるアンテナを張っていないとなりません。満足するのではなく、ときに自分を客観視して振り返ることも大事になります。
そうやってやっていけば対人もただの単純作業の仕事も全てに「毎日ここに来る意味」を感じるようになります。


何度も言うけど大丈夫。

動いていれば大丈夫。どこかにはいける。

間違っていたら戻っておいで。

またやり直そう。

疲れちゃったら休めばいいよ。

でも、大丈夫、そうして生きていこう。



なにも無駄なことなんてないんだから、ね。



終わりに

まとまらない記事になってしまいました。申し訳ございません。
でも私は今の新人ちゃんが大好きです。私も一緒に組めて嬉しかったのです。
そんな思いが伝われば良いなと思いました。長くなってしまいましたが、私はこれからあのクラスでもっと素敵な体験をすることとなるでしょう。その時はまた、お伝えします。記録として。

案外仕事も悪くないです。仕事はときに自身の人生において最高な発見をくれます。だからどうか8時間仕事してお金もらえたらそれでいい….ではなくて、その場にいる人と笑って話をして、業務は理解を深めて「今日はこんなことしたな」と振り返っても密度の濃い1日になれば良いなと思います。

またいつか、新人教育してみたいものです。そう思わせてくれた彼女にありがとうを言いたいです。




改めて新年あけましておめでとうございます。今年もひゅっけをよろしくお願いいたします。今年はもっといっぱい記事を上げていきますので、見ていただけますと泣いて喜びます。


それでは、また。


皆様の1年が幸多き年になりますように。



その笑顔を忘れずに。


明日も、ご安全に。



ひゅっけ

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