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『秘密戦隊ゴレンジャー』67話「真赤な特攻!!キレンジャー夕陽に死す」について考える〜「戦隊メンバーの殉職」と「正規メンバーの代理人(2軍からの補欠繰り上がり)」をどう扱うのか?〜

現在ニコニコ動画で配信中の『秘密戦隊ゴレンジャー』がラスト2クールに入ったのだが、その中でも一際異彩を放ち、なおかつシリーズのその後に大きな爪痕を残しているのが第67話「真赤な特攻!!キレンジャー夕陽に死す」である。
この回は良くも悪くも後半の「ゴレンジャー」を語る中で外せない要素であり、2代目キレンジャー・熊野大五郎の死と引き換えの初代キレンジャー・大岩大太の復帰やアクションの殺陣が大野剣友会からジャパンアクションクラブ(現JAE)に変更された。
スーパー戦隊史上類を見ない出来事が起こった回だが、スーパー戦隊のファンは表向きのパブリックイメージとしてある「団結」「星を守る」だけでは片付かないこの重要な細部に関しても考察していかないといけないのではないか。
どこぞの禿頭の老害准教授に是非とも格好の材料として見せてやりたいのがこの回であり、しかも何が面白いといってこの時点で既に「変身前の役者のメットオフ」がなされていたということだ。

元旦に親友の翔さんとスーパー戦隊について改めて語った時に私は「スーパー戦隊ももうすぐ50周年に入るけど、これだけ数多くのシリーズが出ても結局アイデアはほとんど初期作品の段階で出尽くしている」と話した。
そのうちの1つがこの「正規メンバーがいなくなってしまった時の穴をどう埋めるのか?」であり、いわゆる「ゴレンジャー予備軍」という問題は実は今日に至っても未だにスーパー戦隊に根付いている永遠の課題である。
それこそ同時配信の『バトルフィーバーJ』『超力戦隊オーレンジャー』『侍戦隊シンケンジャー』と比較しても面白く、もうネタバレしてもいいだろうから改めてここで書くこととしよう。

まず、なぜ「殉職」という形でしか描けなかったのかといえば端的に「役者の都合」でしかないしそんなのは視聴者にとってはどうでもいいことだ、問題は「活かした形での退場」にはできなかったのか?ということである。
ただ、これに関しては当時の制作状況や現場の空気を考えればできない選択だったのであろう、なぜならば作り手にとって「ゴレンジャー」といえばやはり初期の5人が織り成す完璧なチームワークがあるからだ。
誰一人が欠けても完璧なチームにはなり得ない、それは単なる能力の問題ではなく性格面・キャラのバランスも含めた「黄金律」としての問題であり、残念ながら熊野大五郎では大岩大太の後任にはなり得なかった。
キレンジャー=カレー食うデブというイメージがあるが、キレンジャーにおいて一番大事なのはデブでもカレーでもなく「三枚目のムードメーカー」というコメディーリリーフとしてのキャラ造形なのである。

ただでさえ海城剛を中心にメンバーが割とビシッとカッコいい連中が多い中で、ムードメーカーとして入る初代キレンジャーのキャラクターはチーム全体を緩和して幅を広げ、チームの体積を何倍にも膨らませる力があるのだ。
それに対して熊野は大岩とは対照的に場の空気を明るくすることはできない、だから作り手としてもあくまで「大岩が復帰するまでの代役」としてしか熊野を使うつもりはなかったことは想像に難くない。
ではそこでなぜ「殉職」だったのかというと、一番の理由はやはり2代目キレンジャー自体が「ゴレンジャー予備軍からの補欠繰り上がり」だからであり、昇格させたものを降格させるというのは酷い話である。
また、上原正三は戦争体験世代でもあって「人はいつ死んでもおかしくない」という「死」が身近な感覚にあったから(これが今のスーパー戦隊に欠落している感覚)、「殉職」という結末に落ち着いたのであろう。

この「戦隊メンバーの殉職」「補欠繰り上がりを劇中のこととしてどう扱うのか?」は「ゴレンジャー」が後続の作品に残し続けた問題であるが、現在の『バトルフィーバーJ』『超力戦隊オーレンジャー』『侍戦隊シンケンジャー』ではそれがどう扱われているのか?

  • 『バトルフィーバーJ』……初代ミスアメリカは正体バレにより交代、初代バトルコサックは殉職

  • 『超力戦隊オーレンジャー』……メンバーの殉職はないが、オーレンジャーのヒーロー性を丸ごとガンマジンに掻っ攫われる

  • 『侍戦隊シンケンジャー』……殉職はないが「影武者」でしかないシンケンレッド・志葉丈瑠が当主の座を引き摺り下ろされ本物の当主・志葉薫に取って代わられる

見事なまでに「メンバーの殉職」「主役の交代劇」といったものを扱っている作品ばかりなのだが、更にこの間にはもっと小刻みに複雑な歴史が刻まれていることはファンの皆さんであればご存知だろう。
90年代のスーパー戦隊の中で特筆して評価している『鳥人戦隊ジェットマン』『星獣戦隊ギンガマン』もまた実は「ゴレンジャー」の後半で図らずも露呈した問題と向き合った作品である。
たとえば「ジェットマン」の場合は第一話の段階でバイラムの襲撃により正規メンバーはレッドホーク・天堂竜のみであり、後の4人は偶然に選ばれた素人なのだ。
しかもそれだけではなく中盤に出てきた裏次元戦士の3人は殉職、そして「ゴレンジャー予備軍」のオマージュであろうネオジェットマンはプロでありながら既存メンバーには敵わなかった

そして『星獣戦隊ギンガマン』では「ジェットマン 」とは逆に第一章の段階で「正規戦士(それも主人公レッド)の殉職」と「予備軍からの補欠繰り上がり」が描かれている。
しかもそれを年間のドラマとして描くことにより「未熟さを抱えた者が真のヒーローになるまでの物語」という、新たな王道の雛形として作り上げることに成功したのだ。
あとは例外中の例外だが『超電子バイオマン』の10話で描かれた初代イエローフォーの殉職もこの系譜に含まれるべきであると考えても良いだろう。
それを踏まえて現在配信中の『侍戦隊シンケンジャー』の終盤で描かれている影武者だの何だのといった御家騒動なんて別段珍しくもなんともない

これは配信を終えた段階での投稿を予定していた「シンケンジャー」論で書こうと思っていたので先行投資として抱えてもらうと、私は別に「シンケンジャー」終盤の展開そのものに対する驚きは全くなかった
そもそも志葉丈瑠が影武者ではないかということに関する伏線はいくらでもあったわけだし、やってること自体は『星獣戦隊ギンガマン』『未来戦隊タイムレンジャー』の反転でしかない。
落語で言うところの枕と落ちの違いみたいなもので、結局のところ「メンバーの殉職」と「ゴレンジャー予備軍からの補欠繰り上がり」を導入で持ってくるか落ちで持ってくるかの違いがあるだけだ。
第一、志葉丈瑠が影武者でしかなかったことを2009年の放送当時から現在に至るまで必要以上に大仰に騒ぎ立てている視聴者のほとんどはスーパー戦隊シリーズにそういう歴史があることを知らないだけなんじゃないのか?

スーパー戦隊シリーズの歴史はその一作品だけを見ても本質を掴みきることは不可能であり、実は毎年シリーズが続いていく中で小刻みな変化を繰り返しながら現在まで続いてきたのである。
その意味で「シンケンジャー」の影武者問題にしたって「いやそもそもそんな物は「ゴレンジャー」の時点で既に描かれてます。何なら「ゴレンジャー」の方が殉職な分ハードでしょ?」と反論してしまえばおしまいだ。
新規の視聴者がやたらに「斬新だ」「衝撃」「目新しい」と騒ぎ立てている要素なんて実はその発想の大元はシリーズの初期作品で提示されている要素を発展させたものに過ぎない
もちろんそれは作品の良し悪しや評価と一致するわけではないのだが、スーパー戦隊を考えていく上で間違いなくこの「戦隊メンバーの殉職」と「正規メンバーの代理人」の問題は現在も存在する。

それこそ私は視聴を損切りしてしまったのだが、『王様戦隊キングオージャー』の第一話でギラがレッドになる下りだって大元は「ギンガマン」第一章で既にやっていることであろう。
もしかすると、クワガタオージャーにしたってギラ以外の者がなり得たかもしれないものをたまたまギラがなっているだけだという風にも解釈できる。
それこそ香村純子の初メインライターの『動物戦隊ジュウオウジャー』の主人公・ジュウオウイーグルの風切大和にしたって決して正規メンバーではない単なる代理人でしかない。
たまたまジュウオウイーグルの資格を手にしたのが大和だったというだけで、本来は正当な資格者が他にいたかもしれないことについて香村純子は実は向き合っていない(にも関わらず、三流ドラマにも劣るカスみたいな親子の確執だけは取り上げているが)。

スーパー戦隊について考察・批評をしていく上で実は無意識のうちに視聴者が無視してしまいがちだが、決して避けては通れない問題の1つは既に初代にて提示されている。
この事実をどう認識しどう解釈していくのかに意識が向いていない作品というのは悉くつまらないし、そんな中から面白い作品は生まれない。
シリーズそのものの体力も攻撃力も全体的に落ちてしまった今のスーパー戦隊にそんなことを言っても詮なき事だが、改めて「ゴレンジャー」の67話はいろんな意味でターニングポイントとなった話である。

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