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デジモンの進化に必要な三要素から考えられるデジモンの無限大な進化の可能性

これだけデジモンを考察してきて大変今更という気もしますが、『デジモンアドベンチャーVテイマー01』『デジモンアドベンチャー02』と『デジモンアドベンチャー:』を見ていて実は1つの共通点があることに気付きました。
それは「デジモンの進化の可能性に限界はないのではないか?」ということです、奇しくも「Vテイマー」の番外編で主人公たちが共演した作品ばかりですが、最近私の中でこの仮説は有力を超えてもはや確信になっています。
例えばですが「Vテイマー01」で初期に登場した3体のアグモンがそれぞれメラモン・ケンタルモン・グレイモンに進化していましたが、なぜ同じ成長期のアグモンでありながら進化先が全く違うのでしょうか?
また、ゲームですが初期のペンデュラムではアグモンをきちんと育てると全く関連性がないはずのデビモンに進化するという仕様になっており、これを単純な作り手側のミスということで片付けることはできません。

こういう例は他にもあって、例えば成熟期のブイドラモンが進化して成熟期のはずのマスターブイドラモンに進化したり、本来ならアーマー体としてしか出現しないはずの幻のサジタリモンにケンタルモンから進化できるのです。
いずれもが初期に出てきたものばかりであり、思えば「Vテイマー01」のブイドラモン系列もブイモンではなくアグモンからのバグ進化でなった姿であり、当時は今ほど完全体・究極体の概念が定着しておらず無法地帯だったからこそできたのかもしれません。
他にもセイバーズではドリモゲモンがアーマー体のディグモンに進化するわけですが、面白いのは「02」だと基本的に成熟期相当として描写されていたアーマー体が他の作品では完全体相当として描かれています。
その中でもゴールドブイドラモン・サジタリモン・マグナモンは別格であり、アーマー進化が危惧された理由も成熟期以上の戦闘能力とスキルを安易に外部の力によって得られてしまうからです。

そう考えるといかに原作「02」のアーマー体が高石タケル史観論によって歪められていたかという話であって、私はだからアニメシリーズの違和感・不自然な部分に関しては一切信用していません。
ただ、その中でも特に「Vテイマー」「02」「アドコロ」の3作に共通して面白いと感じた点は主人公たちならびにその周辺の味方側のデジモンが様々な種類の進化を見せてくれていることです。
アーマー進化やジョグレス進化という、縦のラインの通常進化とは別方向からの「横の進化」も多くなりましたし、「アドコロ」に関してはブリッツグレイモンやクーレスガルルモンとその合体系であるオメガモンAlter-sも登場しました。
無印最終回でアグモンが言っていた「ボクもウィルス種に進化しようかな」というセリフが20年越しにリメイク版で実現した形になりますが、ここから考えられるのは「優秀な個体値」「十分な戦闘経験値」「想い」の3つがデジモンの進化に必要な三要素ということです。

まず大前提として究極体相当まで進化可能なデジモンはそもそも優秀な個体値が必要であり、3体のアグモンの成熟期の進化が違っていたのもそれぞれの個体値が異なっていたということが考えられます。
実際にメタルグレイモンの公式解説に「しかし、完全なメタルグレイモンはグレイモンからの進化に成功しており、より強力なパワーを引き出しているサイボーグ型デジモンである」とあり、ポケモンでいう5V~6Vの個体値が完全体以上に進化するには必要でしょう。
次に「十分な戦闘経験値」ですが、これもメタルグレイモンの公式解説に「メタルグレイモンに進化するためには、襲い来る強敵を倒し、勝ち抜いていかなければならない」とあり、とにかく沢山の敵を倒さないとその条件にたどり着けません。
これは「Vテイマー」のタイチとゼロマルもそうであり、通常ならば完全体以上に進化することすら不可能と言われたブイドラモンがアルフォースまで進化できたのも幾多もの強敵との戦いを積んで死ぬ思いをするという経験をしたからです。

また、経験については以前にさき姫さんもコメントしていましたが、同じブイモンでもバランス重視で育てれば原種のエクスブイモンに、そしてパワーに特化して育てるとブイドラモンに進化するという形になっています。
育成環境ガチャも大きく影響していて、逆にいえばアニメシリーズが戦闘経験値が不十分にも関わらず進化できていたのはその不足分を紋章とタグ・デジメンタルといった外部の力で補っていたからです。
そう考えると例えば「02」なんかはキメラモン戦を経験するまで割とヌルい感じの戦いばかりが続いていたわけですが、これが「02」以前からもっと戦闘経験値を十分に積んでいたら凄まじいことになっていたでしょうね。
それこそ大輔とブイモン辺りは戦闘種族で対立すれば容赦ないコンビですから、そのコンビが凄まじい強敵との戦いを経験し乗り越えていく経験を多数積めばマサル兄貴とシャイングレイモンところかタイチとゼロマルすら超えることも考えられます。

そして「想い」ですが、これはいうまでもなくアニメシリーズの紋章に刻まれた「心の個性」だとか、「Vテイマー」でいうと彩羽レイのデジメンタルもそうですし大輔とブイモンの奇跡のアーマー進化も正に「想い」の力ですね。
特に「02」では後半〜終盤にかけてこの「想い」の強さが凄まじい奇跡を生み出すことがあって、例えばベリアルヴァンデモン戦では大輔の凄まじい鋼メンタルによって「想いの強さを具現化する空間」でエクスブイモンでベリアルヴァンデモンを圧倒していました。
これは「Vテイマー」ですらもやっていなかった表現であり、特殊訓練も何も受けていないはずの、戦闘経験値ですら十分とは言い難い成熟期が究極体を想いの強さでバフをかけて圧倒しているのですから精神面がどれだけ大事かという話ですね。
また「Vテイマー」のゼロマルがアルフォースブイドラモンへ到達できたのも何より「デジタルワールドを救いたい」「タイチたちのいる世界を平和にしたい」という「想い」が不可能だったはずの純正古代種の進化の扉を開くことを可能にしたのでしょう。

結局のところ紋章とタグにしろデジメンタルにしろ、それらはあくまでも「進化を促すための外部装置」に過ぎず、光子郎が無印最終回手前で言っていたように「心の特性=想い」が強く作用すれば紋章がなくても進化は可能なのです。
逆にいえば「02」で弱体化した無印組が「通常進化ができないからグレイモン以上にはなれず戦力になりません」はただの言い訳でしかなく、それだったらそれで別ルートで進化できる方法を模索すれば良かったのではないでしょうか。
実際に「ディアボロモンの逆襲」では不完全でありながらオメガモンへの進化はできていたわけですから、あとは十分な戦闘経験値とディアボロモンを一度倒していることから生じた驕りがなければ最初の段階で倒せたかもしれません。
それが出来なかったからこそあの映画ではオメガモンは最終的に負けて諦めざるを得なくなってしまい、全く諦めなかった大輔と賢にオメガソードという形で託すことになったわけなのですけどね。

もしあそこで太一とヤマトが絶望に打ちひしがれずに大輔と賢みたいに諦めずにまだ上を目指し続ける想いがあればオメガモンにも挽回のチャンスはあったのかもしれません。
ここまで突き詰めていくと、デジモンの進化って複雑なようで本質はとてもシンプルであり、例えば大輔の「俺って情けねー!」が代表的ですが「自分自身が自己嫌悪するほどの心が折れそうな経験」が必要です。
そしてその上で「それでもさらに進化して強くなりたいという想いの強さ」が揃った時に紋章なりデジメンタルなりが反応して強さを与えて進化させてくれるわけであり、中でも大輔はその特質が強い子なのでしょう。
大輔が太一を始め全てのデジモンシリーズの主人公と比較した上で彼にしかない特性が「奇跡=想いの強さで絶対に勝てない戦いをひっくり返して勝利に導く」ということなのだと思います。

ということは、デジモンシリーズは「優秀な個体値」×「十分な戦闘経験値」×「想い」という三要素の掛け算によって進化の種類とその強さが決まり、だから進化の可能性は無限大だということです。
そう考えるとアニメ版の無印・テイマーズ・セイバーズって最初から「これが正規ルートの進化です。これ以外の進化ルートはありません」と枠が規定されているようで本当につまらないなあと思ってしまいます。
そもそも「暗黒進化=間違ったとんでもない進化」みたいなのをデジモンの「通常進化」のアンチテーゼみたいに描いていること自体が私は反吐が出るほどに大嫌いだったんですけどね。
それから、こちらでも触れられていますが「究極体」という概念自体も私は嫌いであり、このように書かれていました。

以下は小説版で語られる事ですが、デジタルワールド発生直後、二つの「概念」が争いました。
「進化」と「非進化」です。
結局火の壁の向こうに「非進化」を追いやり、「進化」がデジタルワールドの「支配法則」になったのです。
で、究極体とはつまり「これ以上進化の仕様が無い」形態です。進化の袋小路、行き止まりと言ってもいいでしょう。
これは「非進化」と同じことです。「デジタルワールドの安定を望む意志(ホメオスタシス=恒常性と呼ばれています。もっともそんな大層な存在ではなく、非実体のセキュリティシステムに過ぎないのですが)」にしてみれば忌み嫌う存在です。
(中略)
その気は無くとも生態系をひっくり返し得る存在・究極体は世界に嫌われるのです。何かの間違いで突然変異的に誕生し、決して世界に干渉せず去り行くべきかりそめの客なのです。
生物は最強になったらもう滅ぶしか道は無いのです。

これに関しては実際にその通りで、一部の例外を除いてデジモンのほとんどのシリーズにおいて「究極体」という存在は「それ以上に進化しようがない最強の存在」かつ「デジタルワールドを滅ぼしかねない脅威」です。
進化が極まったということは逆にいえば「それ以上には強くなりようがない」ということであり、進化自体が頭打ちになってしまったことを意味してしまうので、私自身はあまり好きな概念ではありません。
しかも幸か不幸かアニメシリーズでは一部の例外を除いて主人公にとっての敵側である場合(ダークマスターズ・ブラックウォーグレイモン・アルカディモンなど)を除いて究極体や超究極体はほぼ全て現実世界で誕生しています。
「生物は最強になったらもう滅ぶしか道は無い」というのも栄枯盛衰の現れでしょうが、例外は2つあって、1つが大輔とブイモンが「02」の20・21話で擬似的に誕生させたマグナモン、そしてもう1つが「Vテイマー」のゼロマル=アルフォースブイドラモンです。

特に大輔のマグナモンはまだデジモンシリーズの公式自体が「ロイヤルナイツ」という概念がなく「守りの要」という割には防御力よりも格闘能力とエクストリーム・ジハードの圧倒的パワーで究極体相当の強さを秘めていました。
実際に「Vテイマー」の共演回でゼロマル=エアロブイドラモンの助力があったとはいえとんでもなく強いはずのパラレルモンを一撃で仕留めていますから、アーマー体という括りではあれど実質は究極体です。
そしてゼロマル=アルフォースブイドラモンですが、こちらもまた究極体でありながらデジタルワールド内で誕生し、更に聖なるオーバーライト=アルフォースを手にしたことで栄枯盛衰の理を吹っ飛ばしています
あまつさえ彩羽レイとデジメンタルの存在でフューチャーモードという超究極体(=究極体を超えた存在)にまで至っていてデーモンを圧倒していますから、究極体の更にその先まで進化の可能性を見せているのです。

そのように考えると、もちろんバーゲンセールを防ぐ意味もあるとは思いますが、究極体以上の超究極体やそれに匹敵するレベルのデジモンが誕生してもいいのでは無いかと思います。
進化の可能性が無限大なのですから、変に暗黒進化とか正しい進化とかみたいな制限を設けずに、色々とやった方が面白いのでは無いでしょうか。
奇しくも今年はデジモン25周年(というほどの有り難みもないのですが)ですから、ここから先にデジモンが進もうと思ったらもう一度この「デジモンの進化」について向き合う必要があります
「ドラゴンボール」だって「神の領域」の登場によって超サイヤ人より更に上の概念を登場させることに成功したのですから、デジモンも同じようにできればいいのに。

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