「子どもが学校に行かないと困る」-我が子の不登校で悩む親にできる「解決への道」

子どもには毎日学校に行って欲しい。
多くの親はそう望んでいると思う。

その理由はさまざまだろうが「それがフツーで当たり前のことだから」というのが一番多いかもしれない。

平日の昼間。
親は仕事をする。
子どもは学校に行く。

それが「フツー」で「当たり前」だと思っている人が多いのではないだろうか。

もちろん、私もそうだ。
自分は仕事に行く。
子どもは学校に行く。
それぞれの場所でそれぞれの生活をする。
それが「フツー」だ。
だって、そういう世の中で生きてきたし、そうやって育ってきたから、そう思うのも無理はない。
でしょう?
だから「子どもが毎日学校に行くのが当たり前」と思う気持ち自体を否定する必要はないし、それが悪いことだとも思わない。

が。
もし。
子どもが「学校に行かなくなった場合」
または「子どもが学校に行けなくなった場合」
(コレは厳密に言うと違うことなので敢えてふたつ書く)

親はその「子どもが毎日学校に行くのが当たり前」と思う気持ちを捨てて生きなければ幸せにはなれない。
と私は思う。

なぜなら。
「子どもが学校に行かない。」という目の前の「事実」と。
「子どもは学校に行くのがフツー」という自分の「常識」は。

相容れない。

相容れないモノを抱えていると、人はどうなるか。

困る。
(子どもが学校に行ってくれない…)
困惑する。
(学校に行かない子どもをどうすればいい?)
受け入れられない。
(今日は行かないけど明日からはいけるようになるはず)
事実を否定する。
(まさかうちの子が不登校になるなんて何かの間違い)
思い通りにならない事実を悲しむ。
(学校に行かない子どもを「自分の悲しみの原因」だと捉える)
自分の常識と事実が違うことが不安になり心配する。
(学校に行かない子どもを「心配すべき存在」と考える)
自分の不安を消すために常識に事実を合わせようとする。
(子どもが学校に行きさえすれば問題は解決するはず)

ね?
悪いことだらけ。

こうならないようにするには親が「今までの当たり前を捨てること」が一番の近道。

そのために私は「子どもが学校に行かない」ことを「まあそういうこともあるし、無理もない。でも、それでも大丈夫」と思えるような思想のネタをいくつか持っている。


たとえば。

「『ただ近所に住んでいて同じ年齢』ってだけの人間の寄せ集めの中で、みんなとうまいこと仲良くやってトラブルを起こさないでいるってどんだけ疲れるんだろう。私には無理かなー」とか

「昔は寺子屋とかいって『勉強したい人だけが通う』方式だったのに、国が富国強兵とか言って学校制度を作っちゃったおかげで、行きたくないひとも学校に行かなくちゃならないから、ストレス抱えて精神状態が悪い子も集まってる。だから穏やかじゃないトラブルも起きたりするんだよなぁ。」とか

「もし自分が学校生活を送れと強いられたら辛くて逃げ出すだろうなぁ」とか

「5教科全部まんべんなく勉強しなくちゃならない上にテストがあったり点数が悪いと叱られたりするなんて耐えられない。人には得意不得意があるのに」とか

「学校というシステムがなかったら、いじめの件数、半分ぐらいに減るんじゃない?」とか

とかとか。
ね。

※学校制度否定派ではありません。あくまで自分の常識を変えるための「ネタ」です。


まあでも。
人はなかなか自分のなかの「常識」を捨てられないモノで。
かくいう私も「不登校児の親」になりたての頃は、ものすごく困っていたし、辛くて苦しかった。
そして辛くて苦しいのを、不登校になった我が子にぶつけたりもした。

でもやっぱり、それは悪循環だ。
ぜんぜん、負のスパイラルから抜け出せない。

自分も苦しい。
子どもも苦しい。

辛くて苦しい気持ちのまま、いたずらに時間は過ぎる…。

こんなこといつまでもやってられない!

それで。
頑張って頑張って頑張って自分の「常識」と決別した。

我が子の幸せのために。

もう、この一言に尽きるでしょう。


だから今は次女が学校に行っても行かなくても、本当に「どっちでもいい」って思ってる。

本人が行きたければ行けばいい。
本人が行きたくなければ行かなくていい。

私の人生じゃない。
次女の人生だから。
私にはサポートすることしか出来ないし、それ以上は「踏み込んではいけない」領域だ。

突然、学校に行き始めたときも、給食を再開したいって言ったときも「そうしたいんだなぁ」と思うだけに気をつけた。
「今日は休もうかなぁ」って言ったときも「休みたいんだなぁ」と思うだけに気をつけた。

意識して、喜んだり悲しんだりしないようにしている。

自分の感情がブレすぎないように。

それに学校に行っても行かなくても、何を選んでも、次女が幸せに生きているなら、それでいい。
そう思っていることは、本当だから。


不登校の解決は。

学校に行くことじゃない。

その子がその子なりに幸せに生きる道を見つけること。

親が準備するんじゃなくて、子ども自身が選んで決めていく。

その選択肢や、選ぼうと思える気力を、サポートするのが親の役目。

親がどんなに頑張って良さそうな道を準備してそこに子どもを押し込めたとしても。
親の思う通りに育った子どもは、そんなに幸せじゃない…。
かもしれない。

どんな道でも「自分で選んだ」と思えるのであれば誇りと自信に繋がる。
そしてそれが「幸せ」の種。


なんじゃないかなと私は思うのだ。


「子どもが不登校で困っている」親御さん方。

もし良かったら。
いったん自分の常識、捨ててみませんか?

我が子の幸せのために。