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「かわいい」は正義!中高年の恋愛編

私は幼い頃から「かわいくない」子どもであった。

まず見た目。
丸顔で小太りで背はデカめ。(背が高いのではなくデカいのだ…。幅があるからね。)
髪型はカリメロとかカッパ似。(マッシュルームカットにしてくださいと言えと母に千円札を握らされて美容室に通っていた)
着るものは似合わない服ばかり(ぶりぶりレースが大好きな従姉妹のお下がりで、ほぼピンク)

似合わない髪型、似合わない服装。
それだけでほとんどの人は「見た目が悪い」に振り分けらるのだと私は思う。

そして、ひととなり。
母の激しい感情の起伏による怒号に曝されてきたせいもあり、常に自信がなく卑屈。
愛されないのが当たり前。
好かれないのが当たり前。
知らないひとには怖くて挨拶も出来ない。
いつもうつむき加減で、所在の無さをごまかすために本を読んでいる(振りをする)

未就学児童のうちに知らない土地に引っ越してきたこともあり、外の世界がいまいち把握できない。
それも怖くて、とにかく家にこもってばかりいた。

そんな感じだったので誰かから「かわいい」と言ってもらった記憶が皆無…。

しかし、そんな私も、すくすく育って中学生の時に身も心も脱皮したのだが、その頃にはすでに「背が高くてショートカットで目がキツめな悪い感じの生徒」のキャラが出来上がってしまったため「カッコいい」と誉めてもらうことはあっても「かわいい」とは言ってもらえなかった。

はじめての恋人にでさえ「カッコいい」と言われてしまう始末…。


そんなわけで?
私には「かわいい女の子」を妬む気持ちがある。

いーなー、背が低いから可愛がってもらえて。
いーなー、華奢で儚げだから可愛がってもらえて。
いーなー、かわいい服が似合うから、かわいいって言ってもらえて。
いーなー、素直でよく笑うから、かわいいって言ってもらえて。

(もちろんかわいい女の子にも、それはそれで大変なこともあるだろうけれど、当時の私は、そこまで想像することができなかった。)

まあ、そんな。
僻み根性は。
自分を、さらに「かわいい」から遠ざけ。

「カッコいい」と誉められるたびに、そちらにしか生きる道はないと思い込んでしまう…。


そんな私ではあるが。
年齢を重ねて良い変化が訪れた。

まず似合う髪型が理解できてきた。
吟味して似合う服を着られるようになった。
警戒心が強くトゲトゲしていた性格は、母親歴を重ねるにつれ、社交的で穏やかになった。
離婚で痛い思いをしたことを繰り返すまいと、人のことを受け入れる努力をするようになった。
子どもの不登校の経験から「人を尊重する」術を身に付けた。

それで。
そんな「過去最高の私」で。

いまの恋人に出会った。

彼はいつも言ってくれる。
「さくらは、本当にかわいい」
と。
「かわいくてかわいくて仕方がない」
と。
「いつも僕の下らない話をニコニコ笑顔で聞いてくれているのが最高にかわいい」
と。

私がずっと欲していた「かわいい」を連発してくれる恋人。
ああ。
過去最高の私で、この人に出会えて良かった。

そして、その恋人の嬉しそうな笑顔が、私には最高にかわいい。
とろけそうな笑顔で私に向き合ってニコニコしている彼が、最高にかわいい。

だから私も言葉で返す。
「しんちゃんは、本当にかわいいねぇ。いつまでも、かわいいしんちゃんでいてね?」

さらに顔を崩して彼は言う。
「そんなふうに言ってくれる人は、さくら以外には、いないよ。ありがとう。」

端からみたら。
いい歳こいた、おじちゃんとおばちゃんが。
(ふたりとも孫がいるからリアルにはお爺ちゃんとお婆ちゃんである。笑)

かわいいねぇ。

かわいいねぇ。

と、お互いを愛でている。

まあ、みる人によってはドン引きの可能性もある世界観だが。

本人たちにとっては。

なんとも。

満ち足りた平和な光景である。

「残りの人生を考えて、さくらと、あと何年一緒にいられるのかと思うと、もっと大切にしたいって思うんだよ」
そう言いながら、両手で私の両手を包んで、真顔で私の顔を覗き込む。

前々日に一件やらかした彼は、いつもより神妙で真面目で。

いつもよりも、さらに、かわいい。

かわいいは正義。

いざこざありすぎるぐらいあるんだけれども。

でも。
このおじいちゃんを心からかわいいと思えている間は。

きっと、一緒にいるのがいいんだろうなぁ。

縁、まだまだ繋がりそうです。