オモイカネ a.k.a hydrocarbon

カルチャー好き 戦後からのサブカル変遷とヒトの流れに興味がありまっす

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最近の記事

爽やかな朝に聴きたい僕を作った10のアニソン

blue water (ふしぎの海のナディア) 庵野監督作品 ネタバレするとエヴァンゲリオンにかなりオマージュしてるシーンがあって胸熱だった 実は留学時代にナディアって言うコロンビア人の美人さんいたんだけど、鼻毛出てて一気にカエル化現象🐸 そんな青春を思い出す名曲 ヒトリゴト (エロマンガ先生) 名前はエロだけど全くエロ要素のない健全作品 Hをエロに加えたらHEROとは言い得て妙だったけれども、とても元気の出る曲でした 風のファンタジア (ロードス島戦記) 今ではラノベの

    • にどと手の届かない場所

      フランク•ロイド•ライト設計の旧帝国ホテル本館はすでになく銀座のカプセルタワーは消えてしまった 丹下健三が設計し、文化的な価値が高いとされた赤坂プリンスホテルも日本モダニズム建築の傑作といわれたホテルオークラ東京本館も取り壊された かつての歴史的な造形美をもつ建造物はわれわれのあずかり知らぬところで音もなく消失してゆくのだ 平安京の正門であった羅城門が消えたときの京都人の気持ちはいかばかりだっただろう? “淋しいけど東寺あるからよくね?”とでも思ったかな? それとも

      • America村

        アメ村が復活している? アメ横ではない。アメ村だ。 “三角公園”“甲賀流たこ焼き”そんな単語を聞くだけでなんだかエモーショナルな気持ちになってくる。 スニーカーのステップ🎵スニーカ〜のステップ🎶スニーカ〜のステップ🎵スニーカーのSTEP STEP🎶 かつての90’sに僕はそこにいた。 当時のミナミといえば、アメ村がユースカルチャーの中心で広くみても南船場までの狭いスペースに濃縮されたエネルギーに満ち満ちていた。 (堀江なんてなんも無かったし、レプリカデニムの雄、DEN

        • 逢魔が時に聴く僕の中のもうひとりを目覚めさせる10+2(厨二)のアニソン

          ラムのラブソング (うる星やつら) Spotifyで初めて音質の良いfullを聴いて驚いたんですが、ほんとに40年以上前の曲ですか? Give a reason (スレイヤーズ) 黄昏よりも暗き存在、血の流れよりも赤き存在 時間ときの流れに埋もれし偉大なる汝の名において、 我ここに闇に誓わん、我らが前に立ち塞がりし 全ての愚かなるものに、我と汝が力もて、等しく滅びを与えんことを え? 詠唱できるよね? ふつう… 輪舞-revolution (少女革命ウテナ) 今思

        爽やかな朝に聴きたい僕を作った10のアニソン

          『荒ぶる』を霧散させる俺聖具

          忙しない毎日の中で、たまに自分を見失うときがある。 “あれ、僕って何のために生きてるんだっけ?” 日常の隙間に巣くう罠に捕まってしまうのだ。 うっかりだね😋 そんな時、僕は原点に帰る事にしている。そこそこ長く生きているのでそこかしこにエポックメイカーがある(いる)のだ。 そんな、そのときどきに影響を与えてくれた者たちとの邂逅で、僕は自己を取り戻すのだ。 まだまだあるけど、今の僕に必要なものだけばら撒いときます 『LaChapelle Land』 デヴィッド・ラシャペル

          『荒ぶる』を霧散させる俺聖具

          狂乱の80’s(少年時代)

          キーンコーン カーンコーン ガヤガヤ ガヤガヤ “昨日の川口浩探検隊みた?”  “見た見たー、すごかったよなー” “おれさー、昨日、通学路の途中で人面魚見たぜ!” “スッゲ!帰り行ってみようぜ!” スプーンまげ、オゾンホール、ノストラダムスの大予言、あの頃こどもだった僕たちは“いつか世界は終わるのだ”という漫然たる不安を持ちつつ、かと言ってどうソレに立ち向かって行かなければならないのかも分からなかったので取り敢えず毎日を明るく楽しく過ごしていた。 あの頃の僕らが未来の

          狂乱の80’s(少年時代)

          春の夜に聴きたくなる僕をつくった10のアニソン

          ねぇ、知ってる? 昔聴いてた曲を聴く時、ひとは精神も肉体もその頃に戻るんだって🍄 だからあの頃の僕を作った名曲をそっと置いておきます。 刺さる人にだけ刺さればよいのだ アンバランスなキスをして (幽☆遊☆白書) カラオケではアニメの尺だけ歌う代名詞。今でもレイガン撃てると思ってるし、なんなら死ぬときは“あぁ、腹減ったなぁ”って言いながら死ぬと思ってる Maybe Rich (シティハンター91’) 4,58辺り 名曲揃いのサントラ。 こないだ高値で買い戻したよ バブ

          春の夜に聴きたくなる僕をつくった10のアニソン

          I have a dream

          プロローグ “I have a dream” これはロシア侵攻に対してウクライナの大統領が国連でスピーチに使った言葉である。 果たして日本人のなかでこの言葉の背景の重みを知っているひとがどれだけいるだろう? この言葉はアメリカ人、特にアフリカ系アメリカ人にとってはとても特別な言葉なのである。 また、【Black Lives Matter】運動もそうだ。“なぜ彼らは一斉に声を上げるのか?” 違和感を持って眺めている人も多いかもしれない。 日本にいる私たちは島国なゆえ

          熱狂の反対は“これでいいのだ” ヒッピーからの⤴︎⤵︎

          若者たちの思想はヒッピーカルチャーを経てどこへ向かって行ったのか? 今回は高度成長期の日本のユースカルチャーを紐解いて行こうと思います。 1960年代のカウンターカルチャーから全共闘、日本赤軍の流れ。よど号ハイジャック事件そしてあさま山荘事件を経て、日本のカルチャーはどう変化したのだろう。1970年代シラケ世代と云われた時代が何故こんなにも面白いのか?映画、漫画、演劇、お笑いそしてファッションなど水面下でそれぞれの持ち味で時代の気分を盛り上げていた。 カルチャーの卵が別のカ

          熱狂の反対は“これでいいのだ” ヒッピーからの⤴︎⤵︎

          僕をつくる20の洋画

          これは外せないでしょう。僕たち世代のヒーローはジャッキー・チェンだった。 みんな小学校の高鉄棒で足引っ掛けて腹筋したよね? そんなヒーローが実際の家に強盗が入ったとき「怖かった」っていうのを聞いて、がっかりしたのと同時に少し大人になった気がしたよ。 ジュース飲んでは酔拳のまねして戦ったの良い思い出です。 ジャニス・ジョプリンにジミ・ヘンドリックス☮ 高校生のときにこの映像を友人宅で見たときに今の僕の半分が出来上がった。それくらい衝撃を受けた作品。 逆に若さ故に全部見れたんだ

          僕をつくる20の洋画

          アキバヨウフクテン

          オタクをオタク足らしめるものは何か? それは知識量である。=愛 しかし、1つのガジェットが革命を起こした。 もはや10MBのハードに128GBの外側HDDがついたようなものだ。 スマホが人類総オタクを可能にした。 それ故にオタクは優位性を失い、A-BOYそしてヲタク、ヲタへと変化していく。 それによって街も変わってゆく。 秋葉原はこの20年で大きく変わった。 特にこの10年の変化はとてつもない。 電気街からアニメ、メイドさん。そしてアイドル。そこに大人のいや〜んなお店が

          アキバヨウフクテン

          原宿 HARAJYUKU 

          ■たとえば飲みかけのウィダーインゼリーをくちに咥えて自転車で走ってるような、そんなノスタルジックな爽やかさ。 そんな時代のはなし。 ノストラダムスやマヤの予言は見事にはずれた。結局地球は滅びることもなく、コンピューターの反乱も無かったため無事に新世紀を迎え、僕らは肩透かしをくらいながらもいそいそと日常に戻っていった。 2001年、僕は渋谷の明治通り沿いのお店で働いていた。 みんなの知識量に圧倒されながら、なんとか肩を並べようと背伸びしていたおれ氏。 まずは勤務先界隈は知

          サブカル☆聖地巡礼

          僕の中で、東京に来て絶対に行きたい街がいくつもあったんだけど、なかでも新宿と秋葉原は別格だった。 どちらもどことなく雑多で猥雑な街。 特に新宿は危険な香りがつき纏う。まだ僕が田舎にいた頃からそんなイメージだったし、実際に上京してからもやっぱり身構えてしまう(上京当初は来るたびに手頃な石をポケットに忍ばせてた笑) 本当のところ今でもまだチョットだけ恐い。 ほんと、ただの怖いものみたさ。 でも妙に人を引き付ける。 この街の引力はサブカルチャーを色んな角度で顕在化するんだ。

          サブカル☆聖地巡礼

          Summer of love

          愛と情熱に浮かされた60年代最後の年、僕はまだ幼くあの伝説の場所に立つことは叶わなかった。 なんてね🙄 まだ僕がこの世に生まれてないころのお話🙄 summer of love誕生 サマー・オブ・ラブは1967年サンフランシスコの街で華開いた。ヒッピーが主導したカウンターカルチャーは世代を超え、ビートジェネレーションの哲学をも呑み込み、例えば、まったく知らない他人との共同生活や、自由恋愛などの新たなライフスタイルが新しいカルチャーとして時代のうねりとともに変化をもたらした

          さらば青春の光

          ども。第2回はビートジェネレーションの華が開いたアメリカから遠く離れたイギリスでほぼ同時期に生まれたカルチャー誕生のお話でもしてみたいな。 洋服やカルチャー好きならもしかしたら見聞きしたことあるかもだけど【さらば青春の光】という映画しってる?当時のユースたちのことをとても詳細に描いている映画なんだけど、そこでフィーチャーされてた《modsモッズ》と《rockersロッカーズ》について紐解いていくね。 まずはその一世代前、1950年代高度成長期のイギリスに初めて音楽と結びつ

          オン・ザ・ロードとそれぞれがすすむ道の果て

          ぼくは昔、洋服屋になりたかったんだ。 学生時代、アルバイトや仕送りの大半は大阪アメ村の古着屋に消え、そのころから朧気に将来の夢は“洋服屋で働く”になっていった。 だっていつだって僕は好きなものに囲まれて生きていきたかったから。 ぼくにとって洋服は自分を表現できるツールであり、哲学だった。 とくに夢が叶った二十代半ばからは専門卒の先輩たちに負けまいと毎週のように六本木のTSUTAYAでコーヒー1杯で朝から晩まで文庫や写真集で知識を貪った。 今思えばめちゃくちゃ迷惑な客だけど

          オン・ザ・ロードとそれぞれがすすむ道の果て