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朝鮮学校に対する切実な思い

朝鮮学校に対する私の思いは複雑だ。

両親も朝鮮学校卒、兄も姉も妹も、全員が朝鮮学校の高校を卒業した。
つい最近まで、親戚の子供たちも朝鮮学校に通っていた。
(高校から日本の学校に移り、すぐに慣れて楽しんでいる。)

私自身、親友も気の合う友人も、朝鮮学校出身者が多い。

ある意味、朝鮮学校の文化は私の家族のDNAの一部に違いないし、今の私を構成しているパーツのどこかに、朝鮮学校で培われたカルチャーが深く染み込んでいることは否めない。

約10年ほど前から韓国で脱北者支援の活動を始め、北朝鮮の人権問題に取り組んできた私は、朝鮮学校の教育内容について批判的ではあるが、朝鮮学校を批判することは私にとって胸の痛むことでもある。

幼少期から高校まで、朝鮮学校という囲いによって守られた部分があるのは事実だし、あの特殊な空間で培われた友情まで否定したくはない。加えて、純粋な(いい意味でも悪い意味でも。敢えて言い換えれば…頑な。あるいは無知)気持ちで働く現場の人々の姿もリアルに思い浮かぶ。

さらに今も友人や知人が教師や職員として在籍しているし、親戚や同級生の子供たちが通う学校でもある。幼稚園からの幼馴染である親友は、現在も朝鮮学校内の食堂で、昼食時のパートとして働いている。

それでも私が朝鮮学校を批判せざるを得ないのは、いくつかの揺るぎない、やるせない思いがあるからだ。

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