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誰の為の裁判?

※記事文章の揚げ足を取る形で書きます。

記事の見出し、内容に
「弁護人が、判決を不服として控訴した」とあります。
これは「青葉被告本人の意思で控訴した」と取るのか
それとも「弁護士の意思で控訴させた」のか と
二通りの見方ができます。

確かに「控訴」は権利としてあるので問題ない事です。
前者であれば多少は理解できます。
(それでも何考えてるのか?💢とは思います)
仮に、後者「弁護士の意思で控訴させた」というのであれば
この弁護士は「人の心を持っているのでしょうか?」と
疑いたくなります。
確かに、弁護士として「経歴に傷がつく」結果かと思いますが
でも今回の事件は「戦争以外で明治以降日本最多の犠牲者」を
出した事件です。
亡くなられた方とその遺族、事件で怪我などをされた方は
被告に対し、私たちが想像もできない「色々な思い」があると思います。
そして、一つの区切りとして今回の判決となったはずです。
それを、蒸し返し思い出したくない事を
思い出させる事をしようとしてる・・・
いくら権利があったとしても・・・ 流石に考えさせられます。

なぜ今回こんな憶測混じりの事を書いたかと言いますと
裁判中、この弁護士は法の中では許される発言かもしれませんが
人として許されない様な発言をされていたからです。
それに、最近特に思うのですが
そういう考えの方が「弁護士など」法の裁きに関わる職業で
「被害者」に対し、人間的に、人情的に許されない様な
お考えの方が、多いのでは?と…

冤罪の事も考えれば、必要な考え・思想なのかもしれません
今回の様な事件では「被害者」が少しでも報われる内容に
ならなければならないと思います。
そう考えると、今の法曹界・・・ 異常に見えるのは
私だけでしょうか?

皆さんは、いかがお考えになりますか?


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