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天職だと思った店頭販売からのジョブチェンジ!

今回は、天職だと今でも思っている店頭販売から、事務職へ
ジョブチェンジしたお話しです。

初転職は大手流通業界⇒子供服アパレルブランド

短大卒から大手流通企業へ新卒入社し、3年後に初転職。
子供服ブランドの会社でした。
可愛いデザインでした~、本当にかわいかった!
当時斬新なデザインだった、ゴジラのパーカー(しっぽまでついているものもあった)がトレードマークの子供服ブランドでした。

私が担当させてもらった、ショップの出店先は、
神戸は北野坂の子供服ブランドばかり集めたビルや、
百貨店の子供服フロアでした。ここでは店長を任されていました。
当時バブル全盛期だったこともあり、1枚約10,000円する3~6歳児のトレーナーがすごく売れていたのを記憶しています。

お客様とお話ししながら、お洋服を買っていただき、お客様にとても喜んでもらえる。
予算も達成し続け、新商品の展示会にも参加しお客様の顔を思い浮かべながら新商品を選択する。本当にとても充実していて、もっとお客様に喜んでもらえることはないかということを、楽しんで悩んでいました

これは、26~27歳頃でした。
そして30歳直前に、ふとよぎりました、

いつまで今のパフォーマンスで立ち仕事ができるだろうか

当時は立ち仕事ができるかどうかだけしか考えが広がらなかったので、
このような連想になりました。
立ち仕事 ⇒ 40代以上はしんどくなる ⇒ 自分らしさが出ない ⇒ 立ち仕事はムリ
さあ、どうするワタシ!

立ち仕事が無理となったら、事務職か!?
人生はトランジションの連続だけれど、職種が変わるとなると
仕事を1から覚えないといけない。
これまで重ねた経験が、全部ゼロになってしまうのではないか?

少しの葛藤、のち、気合と根性の転職活動

葛藤はありました。
でも、こう思ったときが吉日!えーい!転職だ!

転職雑誌を見て、事務職初心者でもやっていけそうなところをいくつか選び、履歴書提出~面接を経て、決まった初事務職は、県の港湾事業の下請け会社でした。

設計などをやっている男性職員の補助要員として、アルバイトでお仕事をさせていただきました。
コピーをとったり、県庁に書類を持って行ったり、今思うとなんてない作業だけれど、当時は初めてということもあり緊張したな~。
しかし、アルバイトとはいえ、仕事は仕事。
私なりに一生懸命仕事を覚え、人間関係も円滑でいられるよう努めました。

そして、仕事も慣れてきたころ、阪神淡路大震災が起きました。
人生はトランジションの連続だけれど、外的要因に大きく左右されるのは、この震災が初めてでした。

ですが、この震災がきっかけで、設計事務所に転職することになりました。
その後は、行政書士事務所の補助要員、
NPOの子供サッカー教室クラブでの人事、経理、総務、労務、
最終的に現職のペットフード会社にて、人事総務労務を約10年させていただいています。

人生はトランジションの連続。加えて、選択の連続です。

私は自分で就職先を決めましたが、ご覧のとおり、共通した職種はありませんので、転職の際は、昭和生まれ独特の気合と根性で面接に挑んでいたかもしれません(笑)。

つまり、私はコレといった推せる特技やスキルもなく、資格も持ち合わせていませんでした。

「自分らしく、」で、良いのです

みなさんにも強みがあるように、私にも強みがあります。
それを活かせば、自分に合う会社か、合わない会社かが肌感覚で感じられます。
で、合わないと思ったとき、
私の場合は、やっていけないと考えたから、転職をしただけです。

しかしながら、「自分らしく」「自分の強み」がわからないとおっしゃる人も多くいらっしゃいます
だから、私が、キャリアコンサルタントがいますので、いつでも相談ください!
転職やジョブチェンジ(異業種への転職)で不安や悩みをお持ちの方は、
ぜひ、お声がけくださいね。

■堀川詩朱代キャリアコンサルタント LINE
https://lin.ee/aBjHFzm

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