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誰よりも詳しい、つる子・わん丈抜擢真打披露興行について。

浅草演芸ホール千秋楽に、出演させて頂きました。

この芝居は、つる子・わん丈両師匠の披露興行です。

言わずもがなの抜擢真打ですが、今回の真打二人について今思ったことを書いておきます。

以前、抜かれた後輩たちのことについて1年ほど前に触れましたが、今回は二人について考えてみます。

僕はそうですが、人を抜いて真打になったわけでもなく、気を衒った(てらった)落語をするわけでもなく、「自分が面白いと思ったあの落語」を追い求めて来た落語家なので、派手に活躍したわけではありません。

だけど、落語家の大半がそうだと思うので、その立場で思ったことを書いてみます。

大前提として、「二人のことを相当認めている」上でお話しします。ここまで言うと嘘っぽいですけど本当です^_^

お客を呼べるは代え難い

二人ともまず、お客が入ってます。これに関しては、敗北です。僕はこんなに呼べなかったです。必死になって、色々な人に声を掛けましたが、トリの日数的に少ない僕でも、まだまだ呼べていませんでした。

その点はお二人は抜擢だけあって、凄かったです。

上野、新宿、浅草とほぼずっと満席。これはなかなか出来ることではありません。

あっぱれ至極です。

二人とも自分の落語がある

披露目でお二人の高座を聴いていて思ったことは、二人とも「悟って」噺しているということです。

悟ってというのは色々な意味がありますけど、つまり自分の世界でしゃべっているということです。

この部分については、僕とはアプローチが違っていて、僕の場合は「落語」という範囲内で語っている部分があるので、そういう部分では飛び出していてすごいなあと思いました。僕の場合は落語の中で落語をしたい。

でもお二方は、落語の外から落語を語りたい感じです。

つる子の「中村仲蔵」を聴いてましたが、参考になるかと言えばそうではないw
だけど、それは彼女が自分にしか出来ない噺をしているからだと思います。

わん丈さんは、自分というものをとてもよくわかっていて、良い意味で「恥ずかしさ」がない。売れる人は「遠慮」「奥ゆかしさ」を取っ払って「私を見て」が強い人なのかなあと思いました。

正解は自分

抜擢真打というのは、「人間」ひいては「芸人」というものを紐解いた場合は特殊な存在だと思います。

世の中で、「抜く人」と「抜かれる人」と言ったら、圧倒的に抜かれる人が多いわけで、僕はそちら側にいるのでどうしてもその立場を考えてしまいます。

だけどこれは他の人と比較しているからそう思うだけで、敵は自分だと本気で思えれば関係のない噺で、自分と戦って戦って、その中で抜擢があったり順当に真打にさせてもらったり、正解はないはずです。

だから究極を言えば、正解は自分の中にあるはずですが、それが簡単に出せないのも人間です。

正解を出せるまでまだまだ精進します。

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