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アニメーション美術の巨匠、ヒューマンを描く 対談者:アニメーション美術監督 山本 二三様

皆さまこんにちは!ヒューマングループnote編集担当 朝永です(^o^)

今回のヒューマントークVol.31は、長崎県五島市出身のアニメーション美術監督 山本 二三様の登場です!

まずは社長と山本先生との出会い、そしてヒューマンスクール早岐を描いていただくことになった経緯をご覧ください。

山本先生との出会い

60周年を記念してイベントを検討している時に、山本二三展で先生の絵と出会いました。 

自然を温かく描いておられる絵を見ながら・・・先生にヒューマンのシンボルである社屋を描いてもらえたら・・・どんなに素晴らしだろうかと思いました!担当者である本田君(次女の夫)に相談したら、即動いてくれました。 長崎から東京へ帰られる前日にわざわざ佐世保に寄って頂き、いろんな角度から社屋を見られ、小高い鳥居がある場所からの風景を描く事を決められました。

今思うと、このタイミングで山本先生に描いていただきとてもラッキーでした~WE LOVE HUMAN!

※対談の本文は、2014年8月にヒューマンニュースレターに掲載したトークを当時の文章で掲載いたします。


アニメーションの巨匠、ヒューマンを描く

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<ヒューマンニュースレターVOL.42(2014年8月発行)より転載>

アニメーション美術監督 山本 二三 様
ヒューマングループ 代表取締役 内海 和憲

2013年の春、長崎県美術館で開かれた「日本のアニメーション美術の創造者 山本二三展」は、会期62日間で6万7300人の入場者を迎え、同美術館の歴代3位の大ヒットとなりました。

同展は「天空の城ラピュタ」「火垂るの墓」「もののけ姫」「時をかける少女」などの名作アニメの背景画を手掛けた山本二三先生の画業を総合的に振り返る内容で、その後も国内各地で開催されています。

ヒューマングループは同年秋、創立60周年記念事業の目玉として山本先生にヒューマンスクール早岐を描いていただきました。その作品は新聞広告や大型看板となり多くの方々にご覧いただいています。

2014年6月、「山本二三展」を開催中の福岡アジア美術館に先生を訪ねました。

●「二三雲」に込めた思い
内海:当社を描いていただき、ありがとうございます。おかげさまで原画をもとに全長10メートルの大型看板も完成しました。

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山本:思った以上に大きい!画を生かして、わかりやすい看板に仕上げましたね。

内海:この先に自動車学校があることが一目でわかるよう、入念にデザインしました。夜、ライトアップすると一層きれいなんですよ。今は砂利の土地に建っていますが、今後2-3年かけて看板の周りに草花を植え、雰囲気のよいスペースにしたいと考えています。素敵な画があればこそです。早速、山本先生のファンから「さすがはヒューマングループ」と褒められましたよ(笑)。

山本:自分の画を見るのは恥ずかしいのですが、この看板は見に行きたいです(笑)。

内海:約1年前、長崎県美術館で展覧会を拝見し、大変感動しました。山本先生に描いていただけたらどんなに素晴らしいだろうと思い、関係者を通じて相談申し上げたところ、幸運にも願いがかないました。先生とご長男の鷹生さん(「絵映舎」制作プロデューサー)に、事前取材でヒューマンスクール早岐へお越しいただいたのは、昨年の10月3日のことです。当日は、雲一つないさわやかな秋晴れでした。作品には先生のトレードマークの「二三雲」を入れていただきましたが、この雲が最高ですよ。

山本:秋のうろこ雲です。自動車学校を卒業する生徒さんたちのことをイメージしました。運転免許を取ると行動範囲が広がりますよね。ここからいろいろな人が空高く飛び立っていく。運転の仕方もさまざま、抱いている夢もさまざまでしょう。“羽ばたけ、皆さん!”という願いを込めて、いくつもの雲を羽のように描きました。

内海チ:画を使ったクリアファイルに“羽ばたけ、皆さん!”と文字を載せようかしら(笑)。


●社屋から、ヒューマンスピリットを描く
内海:原画は大体B4サイズですよね。実に細密な描写です。

山本:アニメーションの背景画は、もともとスクリーンに拡大されることを意識して、緻密に描かれるのです。しかし、このフェンスは大変でした(笑)。原寸大だと1ミリ幅で線を引いています。曲がらないように苦労しましたよ。それから、後方の山の描写にも力を入れました。気候や土地の条件でその場の景観が特徴づけられるでしょう。地域の人に「あそこの山だ」とすぐわかるよう、早岐の植生(しょくせい)が出ていないといけない。竹が多いとか木の種類も意識して描きました。

内海:取材時には熱心に写真を撮られていましたが、どうお感じになられましたか。

山本:打ち放しコンクリートの社屋がいいです。実際の写真とは光の差す方向を変えました。建物の教習コースに面した側が明るくなるようにしたのです。アニメーション制作ではよく使われる手法ですが、今回一番苦心した点かもしれません。
細かいところでは、コンクリートに水が流れた跡なども表現しています。それから、この右端にある2階建ての建物が面白いですね。

内海:これは私の父が建てたものです。古いので画から削除していただいた方がいいのではないか、とも思ったのですが。

山本:いや、時代の流れが感じられて、絵になります。2階に上がっていく外階段とかね。私は建築科卒なので、そういう部分を表現したくなるんですよ。

内海チ:スタッフが「エアコンの室外機やジュースの自動販売機まで描いてある」と驚いていました。

山本:こういう描写が生活感、リアリティーを感じさせるのです。凹凸が大切。平板に描くと嘘っぽくなります。そう言えば、展覧会場で私の「火垂るの墓」の画を見た年配の方が「ここに描かれたゴミ箱が、いかにも昭和20年代の感じで懐かしい」と言ってくれましたね。

内海:取材していただく前に、山本先生には当社の歴史を紹介させていただきました。

山本:先代の社長が社会福祉の観点から立派な活動をなさっていたのですね。昭和30年代にいち早く少年院内で教習指導を始めたり、日本で初めて障がい者の方への免許指導に取り組まれたりと、企業理念の原点を伺って「これは一生懸命描かねば」と思いました。

内海:私の両親はこの社屋が完成した後に亡くなりました。2人の思いがこもった建物です。それを何か形にしたかったのです。

山本:建物自体が地域のパワースポットになっているような気がします。

内海チ:大型看板は通学路に面しています。通りがかりの子どもたちが「二三雲だ」と指差す光景に出合うこともあります。

山本:それはうれしいですね。

内海:キャラクターが存在しなくても抒情的な温もりが伝わるのは、山本芸術ならでは。この看板は単なる企業広告ではなく、画を見る人に癒しのひとときをもたらしたいと考えます。最初にお伝えした通り、なごみの効果がますます発揮できるよう、これから草花を植えて素敵な場所に作り上げます。


●自宅近くの交通事故で…
内海チ:ところで、山本先生はお車を運転なさいますか。

山本:はい。運転免許は18歳の時に取りましたけれど、貧乏でしたから自動車学校には行けなかった。
練習場に何度か通ったんです。すでにオートバイの免許を持っていましたから、当時「法令」は免除でした。試験は「構造」と「実技」でしたが、運転が苦手でね、何度か落第したのですが、それでも教習所の半分ぐらいの金額で取れましたよ。

内海:それは失礼しました(笑)。

内海チ:路上教習がなかった時代でしたね。

山本:ええ、ですから運転し始めた頃は、いつも足が震えていましたよ(笑)。19歳くらいで買ったのが軽自動車で、高速道路なんか特に怖くて。おかげさまで、今ではゴールドカードです。

内海:このところ、長崎県では交通事故が多発しています。

山本:そうですか。まずは飛ばさないことですよね。最近の車は、側面からの衝突に対応するエアバッグなども装備されているそうで…JAFメイトとかよく読みますよ。孫が小さいのでつい心配になるんです。

自宅の横の国道がいわゆる魔のカーブみたいで、事故がよく起きます。この間、夜中にガーンと大きな音がして、「これは事故だ」と助けに飛び出したことがありました。見ると電柱が折れるほど車がぶつかり、エアバッグが膨らんで、運転者はまだ息がありました。
スピードの出し過ぎで曲がりきれなかったのでしょう。自分の車から持ち出した発煙筒で現場の応急処置をして、自転車で交番まで助けを求めに走りました。残念ながらその後、事故者は亡くなったとニュースで知りました。目の前で見ましたからね、気の毒で、庭に植えていたコスモスを事故現場に供えました。

内海チ:まぁ…でも、それだけ即座に行動なさるのはご立派なことです。


●動物の埋葬と、美女の救助
山本:交通事故で死んでしまった動物の亡きがらを埋めることもあります。埼玉県でも田舎のほうに住んでいて、とてもきれいな土地なんですけれど、近くで野生のタヌキとかウサギなどが車にはねられるんです。見つけた時は自分で埋めてあげます。動物の犠牲は本当にかわいそうです。彼らの土地に勝手に人間が道路を作るんですから。ただ、鹿がバイクに衝突して死んだ時は、さすがに自分で処理できず保健所に電話しました。それから、うちにはサルがしょっちゅう来ます。柿が生っている時期には、甘い柿だけ食べていくんですね。渋い柿は残っている(笑)。子ザルはかわいいです。イノシシは怖いですよ。たまに庭を荒らされて困ります。先日、犬と散歩していたら、大きなイノシシが道路をのっしりと横断しているのに出くわしました。通過する間、トラックが停まって待って。そのトラックの運転手がニコニコ笑っていて、よかったなぁ(笑)。

内海チ:そう言えば、ヒューマンスクール松浦の教習車も、イノシシを避けて谷底に落ち廃車にしたことがありましたよ。しかし、山本先生は本当にやさしい方ですね。

山本:いや、仕事で後輩たちに厳しいことばかり言っていますから、その埋め合わせみたいなものです(笑)。ガソリンが切れて立ち往生している運転者を助けたこともありました。とっても美人の看護師さんでね。ポリタンクでガソリンを買ってきてあげたんです。そうしたら、翌日その女性がケーキを持ってお礼に来ました。たまたま受け取ったのが事情を知らない妻で(笑)。顛末を説明して「まぁ、いいじゃない。ケーキ食べて」と言いました(笑)

全員:(笑)

内海チ:先生のお話しは楽しくて、飾らないお人柄が素敵です。すべての作品にそれがにじみ出ているようです。


●出逢いに感謝
内海:さて、当社の画の制作過程を振り返りますと、昨年10月3日の取材に始まり、約2週間後にレイアウトが上がり、11月上旬、着彩された原画が届きました。それから額装を施し、12月4日の60周年記念パーティーでお披露目となりましたが、同時進行で新聞広告の制作も進行し、12月3日付けの長崎新聞テレビ面に全5段でカラー掲載することができました。

山本先生は現在準備中の映画「希望の木」や郷里の五島を描く「五島百景」のほか、長崎県や京都府から観光PRのための作品制作を依頼されておられるとか。大役ですね。お忙しい先生に、私どもの希望をかなえていただきましたことに改めて感謝いたします。

内海チ:アニメーションのお仕事とは別の、こういう描き下ろし作品は、1年にどれぐらい生まれるのでしょうか。

山本鷹生:父・二三は全ての工程を自分ひとりで、しかも手描きしますから、ひとつの作品にも長い時間を要します。全国巡回展の予定が2年先まで埋まっていることもあり、県や市から依頼されても無造作に引き受けることができません。描き下ろし作品は1年に3点から多くても10点以内でしょう。ヒューマングループからお話をいただいたときは本当によいタイミングだったと思います。

山本:自動車学校を題材に描いたのはもちろん初めてのことで、思い出深い仕事、よい経験になりました。内海社長やご家族の皆さんとの温かい交流も財産です。

内海:山本先生のご健康とご活躍を心から祈ります。今後もどうぞよろしくお願いいたします。

対談が終わるや否や先生は新幹線に駆け込み、京都へ向かわれました。虚飾が苦手で、仕事に甘えを許さない。生涯現役の覚悟を、きょうも絵筆に込められるのでしょう。

山本二三 やまもとにぞう
1953(昭和28)年6月27日、福江市(現五島市)野々切町生まれ。
市立翁頭中、岐阜県立大垣工業高建築科、東京のデザイン専門学校を経て24歳のとき、テレビアニメ「未来少年コナン」の美術監督に抜てきされた。その後「天空の城ラピュタ」「火垂るの墓」「もののけ姫」「時をかける少女」などの美術監督として国内外で高い評価を得て、日本のアニメ文化をけん引してきた。現在、アニメ背景美術制作スタジオ「絵映舎(かいえいしゃ)」代表。

朝永のつぶやき

最後までご覧いただきありがとうございます!ここからは編集担当が今回のトークを読んだ感想をまとめたプチコーナーです。

今回は日本アニメーション美術の巨匠 山本二三先生との対談をお送りいたしました!

「天空の城ラピュタ」や「もののけ姫」など、大人から子どもまで愛されるアニメーションの背景美術を手がけられた方ですね!携われた作品がテレビでもよく放映されているので、誰もが一度は目にしたことがあるのではないでしょうか…!

今回は、ヒューマンスクール早岐を描いた頂いたエピソードを軸に作品に込められた想いや運転に関する出来事などをお伺いしました。

絵には描いた人の心情が現れると言われることもありますが、まさに山本先生の作品にはご自身の優しい飾らないお人柄がにじみ出ているのが感じられる対談でしたね(*^-^*)

対談にも登場したヒューマンスクール早岐が描かれた看板は、長崎県佐世保市の早岐田子の浦に面する道路に建っていますので近くに来られた方はぜひご覧ください♪

路線バスで来られると、車内でヒューマンソングを聞くこともできますのでオススメです!

それでは今回はこの辺で、また次回お会いしましょう!!

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