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伝統継承~あたりまえのことをあたりまえにできる~(前編) 対談者:十五代 酒井田柿右衛門 様

皆さまこんにちは!ヒューマングループnote 編集担当 朝永です(^o^)

今回のヒューマントークは、2014年に有田焼の名窯【柿右衛門】の十五代を襲名されました酒井田柿右衛門様との対談を、前編・後編にわけてお送りいたします。

まずは、社長と十五代 酒井田柿右衛門様との対談が実現した経緯からご覧ください!

十五代 酒井田柿右衛門様との対談を振り返って

49年前私が佐世保自動車学校(現ヒューマンスクール早岐)に入社した時、すでに有田の方々とは長いお付き合いがありました。

歴代の窯元そしてご子息へとバトンタッチされながらその都度お付き合いが続きました。

その中で柿右衛門の関係者の皆さんともご縁を頂いていたので今回のヒューマントークの企画が実現しました。

歴史を継承することの難しさをひしひし感じるトークでした。

内海 和憲

※対談の本文は、2015年9月にヒューマンニュースレターに掲載したトークを当時の文章で掲載いたします。


伝統継承~あたりまえのことをあたりまえにできる~

note ノート 記事見出し画像 アイキャッチ (20)

<ヒューマンニュースレターVOL.43(2015年9月発行)より転載>

十五代 酒井田柿右衛門 様
ヒューマングループ 代表取締役 内海 和憲

内海カ:昨年、十五代酒井田柿右衛門を襲名されましたが、幼少期の頃は、400年の歴史を受け継いでいくことに対してどのように思われていたのでしょうか?

柿右衛門:特別に重圧があったわけではなく、大人になると家の跡を継ぐんだというその程度の漠然とした感じで思っていました。仕事の内容は子供のころから目にはしていましたし、具体的なことはわからなくても自分なりに想像はしておりました。本格的に修行を始めてから徐々にわかってきたような感じでしたね。

内海カ:2013年に亡くなられたお父様の十四代酒井田柿右衛門様とは、どういう関わり方をされていたのでしょうか?

柿右衛門:そうですね、十四代の先代としっかり関わったのは、東京から戻ってすぐに工房に入りまして、それから4~5年後、私が30歳になったくらいからです。意外と放任主義的な感じでもありましたし、厳しく教えるタイプではなかったのですが、職人が新人で入ったときと同じように修業をさせられましたので、そういう意味では厳しかったですね。作品を見せると厳しい言葉しか返って来ないような・・・、優しい感じではなかったですね。

内海カ:私も二代目として会社を継ぎましたが、父がとても厳しかったので、継ぐということがどういうことかよくわかります。親子だからこそ厳しくなるのかもしれませんね。
十四代柿右衛門様は、伝統という継承していかないといけない部分と、オリジナリティー(現代性)を加味した部分を独自の作風で取り組まれていたようですが、十五代もそのように取り組まれているのでしょうか?

柿右衛門:父の仕事の段取りを見ながら、伝統という部分とオリジナリティーな部分を、父がどういう風に考えていたのかということを間接的に感じることはありました。十五代として、今は、昔のものを参考にしたり、父がやっていたことを参考にしたり、そういう中で自分の形を作ってきている感じですね。

内海カ:昨年は日本橋三越さんで個展をされたんですね。

柿右衛門:はい。日本橋三越さんが初めての個展でした。
その後、宇都宮の東武さん、九州トキハさん、福岡三越さんで個展をさせていただきました。酒井田浩の名前で個展をしていなかったので、初個展が襲名披露の個展というかたちになりました。

内海カ:個展を開催されるたびに新しいデザインの新作を発表されるのですか。

柿右衛門:新しい図案を考えたいところですが、会期が近い場合は、なかなかそこまでできずに、姉妹作が多くなります。今のところ、襲名披露と名前がつく限りは、会場ごとに雰囲気を変えるというのは控えています。

内海カ:作り続けていくプレッシャーなどはあるんでしょうか?

柿右衛門:一人で全部をつくりあげていくとなるとプレッシャーになりますが、私共の場合はみんなで一緒になってチームで作り上げます。私の理想を職人みんなでつくるという形なのですが、ワイワイ言いながら作陶をしていますので、そのへんは緊張もやわらいでいます。困ったらみんなに助けてもらっています。

内海カ:以前工房を拝見させていただきましたが、年配の職人さんもいらっしゃるんですね。そういうベテランの職人さんから若い職人さんへと技術の継承をしていかれているんですね。

柿右衛門:先代よりも年上の職人もいます。
定年もありますし、技術の継承はそうそうできませんが、段取りはしっかり若い職人には引継いでもらっています。

内海カ:職人の皆さまが、一人前と言われるまでになるにはどのくらい期間がかかるのでしょうか?

柿右衛門:10年はかかるかと思います。それから私がいろいろと指示しますのでそれに対応できるようになるまでには相当年数はかかりますね。

内海カ:伝統の技術継承となるとやはり10年以上は修行が必要なのですね。
今何名のスタッフの方がいらっしゃるのでしょうか?

柿右衛門:販売スタッフまで入れると50名くらいでしょうか?職人は30名ほどおります。

内海カ:それだけの方が働かれていらっしゃるとなると、スタッフの方々の生活全部が十五代目の肩にのしかかってきますね。

柿右衛門:そうですね。そこだけがちょっとプレッシャーを感じるところですね。家の伝統というよりはきちんと給料が払えるかなということですね(笑)

内海カ:有田で十五代続いている陶芸家というのは珍しいのではないでしょうか?

柿右衛門:他にもありますが、直系で続いているというのはなかなかありませんね。

内海カ:事故があったり、病気があったりとか、その中で400年直系で続いているのは本当にすごいことですね。

柿右衛門:それは運が良かったんでしょうね。
これまでの歴史の中で、六代目は1歳で継いでいます。五代目が亡くなったときがちょうど1歳だったんですね。
六代目に引き継ぐために五代目がいろいろと資料を書き残していまして、それが貴重な資料、「秘伝書」として残ることになるのです。
元禄の頃の話で、赤絵具覚、土合帳など、まだ他にもあったらしいのですが、その資料があったからこそ、十二代・十三代親子が「濁手素手」の復元をする際に非常に役に立ったのです。
その資料がなければ、濁手も復元できていなかったかもしれませんね。

内海リ:五代目の愛を感じますね。またその資料を基に六代目がしっかり引継がれたことが素晴らしいし、現在も続いていることがまた素晴らしいですね。

(後編につづく)


※文中  柿右衛門:柿右衛門窯 十五代目酒井田柿右衛門 様
    酒井田顧問:柿右衛門窯 顧問 酒井田 正宏 様
      内海カ:ヒューマングループ 代表 内海 和憲
      内海リ:ヒューマングループ 常務 内海梨恵子


十五代 酒井田柿右衛門様プロフィール
1968年有田町に生まれる。
1991年多摩美術大学絵画学科中退。1994年十四代柿右衛門に師事。
2010年第45回西部伝統工芸展初入選、第57回日本伝統工芸展初入選。
2012年に有田陶芸協会会員になる。
2013年重要無形文化財保持団体(柿右衛門製陶技術保存会)会長に就任。
日本工芸会正会員となる。第48回西部伝統工芸展にてKAB熊本朝日放送賞受賞。
2014年2月4日十五代酒井田柿右衛門襲名。九州産業大学大学院芸術研究科客員教授に就任。
佐賀県陶芸協会会員となる。日本工芸会西部支部 支部幹事に就任。


朝永のつぶやき

最後まで読んでいただきありがとうございます!ここからは、編集担当が今回のトークを読んだ感想をまとめたプチコーナーです♪

今回は有田焼の名窯 柿右衛門の十五代 酒井田柿右衛門様との対談(前編)をお送りいたしました!いかがだったでしょうか?

柿右衛門様式といえば、真っ白な磁器に赤や青で描かれた鮮やかな草木が印象的で有田焼の華やかなイメージを代表する焼き物ですね(*^-^*)

前編では、先代の十四代酒井田柿右衛門様とのお仕事についてや、初個展、職人の方々についてお伺いしました。

やはり十七世紀から続く窯元ということで、どのエピソードにも今まで歩んでこられた歴史の重みを感じますね!

六代目が一歳で継がれたというのには驚きました…!!

後編では、十五代目を襲名されてからの心境の変化や今後やりたいことについてお伺いします。次回もぜひご覧ください♪

それでは今回はこの辺で!

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