もう1つの故郷②


ドアが閉まるとにこやかな教授の顔が
悪魔に変わった。
「ケンイチ、ハンガーチーフの要望は、
しっかりとこなすんだ。そして、遅滞なく経過を
私に報告する事。解ってるだろうが、
妙に嫌われるように仕向けたり、
話が壊れることがあった時は、
大学を卒業できると思うなよ。」
僕の身にとてつもなく大きな災いが降り注いだ瞬間だった。
ただ、僕にしては、1つ冴えていた事があった。
緊張で会話を覚えていないと困ると思ったので、
ボイスレコーダーを録音状態にして、
胸ポケットに入れていたのだ。
だから、しっかりと教授の悪魔なセリフも録音されていた。
帰宅後に聞き直して、「これは、最悪の時のお守りになるな。」
そう呟いてから、ハンガーチーフの課題を計算し始めた。


2時間、200通りの計算をして、
10か月後~13か月後が、近々では火星と地球がかなり接近する。
12カ月後のXデーが、月への引力が最も強くなる計算になった。
‘でも、ハンガーチーフの求めてる答えではないな!’
逆転の発想をしてみた。軌道からではなく、
考えられない程、強力な引力になる日を計算する式を
セットしてみた。完全に僕、オリジナルの計算式だから
検証のしようがないが、
(そこはハンガーチーフに丸投げという事で)数値を出してみた。
11年後冬のある半月(はんげつ)の日、
これが火星が最大に月に引力を影響させる日と出てきた。
僕はこれをメールにまとめ、火星と月と地球の軌道のイメージを
添付してレポートを出した。
「ふう!もう、6時間も計算してたんだ!」時計は23:30だった。
‘これでやっと寝られる~。’と思った瞬間、返信が来た。
「ケンイチ、やっぱり、あなたは優秀だわ。お疲れ様。
こちらのスタッフに、今、あなたの計算を検証させてるわ。
明日の7:00には起きててね。多分、チーフから電話がかかると
思うから。私が見ても、チーフを喜ばせるだけの
メールだと思うわ。だって、ここのスタッフの半分が
騒いでるもの。『オー、アメージング』とか
『ファンタスティック』だって。
私も、あなたと仕事をできる日を楽しみにしているわ。
ケンイチ、お疲れ様。   Wrote クリス」
僕の心を揺さぶるのに十分なクリスの返信だった。


翌朝、6:30にセットした目覚ましよりも早く電話のベルが鳴った。
クリスのメールのお陰で、戸惑うことなく起き上がって電話に出た。
『おはよう、ミスターケンイチ。
悪いな~、今、式の検証が終わったんだが、
やはり、君に現場に入ってもらって、
計算式の説明が欲しいんだ。
教授には、私から連絡しておくから、
今からアトランタまで来てもらえないか?』
ハンガーチーフは一気に喋った。
これには困った。お金が無かったのだ。
僕はこのセリフだけで目が覚めた。
『ハンガーチーフ、申し訳ないのですが、
このところバイトも満足に出来ていないので、
旅費がありません。そして、このアパートの家賃も無いんです。
だから、その辺りのお金を確保してからの
返事でも良いですか?』
『ミスターケンイチ、それは大丈夫だ。
今、クリスと電話を代わるから、説明を聞いてくれ。』
『おはよう、ケンイチ。朝早くから、ごめんなさいね。
ハンガーチーフは、昨夜のあなたのメールを読んでから、
ずっとハイテンションなの。
今までで初めてのレベルじゃないかしら。
だから、ブレーキが効かなくって!
多分、あなた眠れない日が続くと思うから
飛行機の中で睡眠を確保してきてね!
そして、銀行の口座番号を教えてくれる?
とりあえず、支度金を送るから。
1万ドルで足りる?
エアチケットは、別でアクセスコードをメールで送るから
飛行機代は気にしなくて良いわ。
家賃とかをまとめて払ってらっしゃい。じゃあね。』
とクリスは言っていたが、僕は驚いていた。
朝、9:00に近所のATMで家賃4か月分と旅費を考えて
5,000ドルをおろしたが、残高が5,000ドル以上残っていた。
朝、9:30に不動産会社を訪ね、4か月の旅行を説明し、
家賃を前払いして来た。
トムとジェシーと教授に不在の事を伝えて、
スーツケースに着替えを放り込むと
空港行きのバスに駆け込んだ。
空港に着いたのは予約便の搭乗締切15分前だった。
‘あぶな~!あっ、食べ物を何も買えなかった。’
席に着くと僕は我に返って、今、実感している空腹と
更に続くであろう空腹の後悔の念に打ちのめされていた。
『あ~、ミスターソラマ?
ミス・クリスからメッセージをお預かりしております。』
アテンダントから渡されたメッセージカードには、
こんなことが書いてあった。
「このメッセージを読めてるってことは、予定の便に乗れたって事ね!
お疲れ様。寄り道が出来なかったでしょうから、
ご飯を飛行機の中で済ますと良いわ!
アテンダントに何か食べ物を用意してもらいなさい。
そういうオプションにしておいたから。」
僕は、クリスに惚れそうになった。
胃袋を掴まれたから?だろうか。
僕は遠慮なく、食事をさせて頂いた。
後日、同じサービスを頼んだら、2万5千円だった。
‘クリス、ありがとう。’と感動したのは、そのずっと後の事だった。



『あ~、寝た~!』空港の荷物受取が完了したのが、
19:00だったから、4時間ほど寝ていた計算になる。
あくびをしながら、タクシー乗り場に来ると、
僕より少し年上に見える男性が
ガムをクチャクチャ嚙みながら近寄って来た。
日本人はどこに行ってもカモにされやすい人種だから?
また、そんなやり取りを想像して身構えてると
スマホを取り出して僕と見比べ始めた。
『ミスターケンイチ?』と言うのと同時に
スマホの電話をかけ始めた。
『ああ、ケンイチ、お疲れ様。』
クリスの声がスピーカー越しに聞こえた。
『えっ、クリス?』恥ずかしいが、僕はその一言しか喋れなかった。
意表を突かれ過ぎていた。
『私は手が離せないから、彼に研究本部までの迎えを頼んだのよ。
彼と一緒に来てね。私があなたに話した方が早いと思って、
彼に、あなたを見つけたら連絡する様に頼んでたのよ。じゃあね。』
それだけ言うとクリスは電話を切ってしまった。
妙な間の後に『ソラマ・ケンイチです。宜しくお願いします。』
僕は、お迎えの彼にそう伝えた。
『ケンイチ、あの数式は度肝を抜かれたよ。
どこで習ったんだい?それから、俺の事はアダムって呼んでくれよ。』
アダムは僕に聞きたいことがたくさんあったらしく、
自己紹介の前に火星の軌道の計算と
引力の計算式についての質問をしてきた。
『アダムさん、宜しくお願いします。
火星の軌道は、1周を8シーズンに分けて計算式を
オリジナルで作ってみました。
その時の月と地球の動きで、
引力の様な現象も式にしてみました。
ハンガーチーフが、それでも構わないって言ってくれたので、
計算の誤差は後で対策を考えれば良いかな?
というスタンスでレポートは仕上げてます。』
金髪のオールバックに真っ黒なグラサンをかけ、
アロハシャツの外見からは
想像がつかないほど宇宙オタクな会話を、
アダムは楽しそうにしていた。
本部までの20分の道のりを短いと思ってしまうほどの
熱量をいきなりカウンタの様にお見舞いされた僕は、
次に来る衝撃に恐ろしいものを想像していた。
アダムと本部に入ると守衛に二言、三言、
僕の説明をアダムがしてくれた。
入場許可証の関係で、クリスが来るまで
僕は守衛室横の応接室で待つことになった。
守衛ミシェルも僕の噂を聞いたよ!と
フレンドリーに声をかけてきた。
『ここは特殊な会社なので、あまり外部の人と
話は出来ないんだけど、クリスやアダムの話だと、
あなたは大物新人だって言ってたし、
社員になるんだったら話したって構わないよね!』
そう言うと、ミシェルは僕にサインをくれる様に頼んできた。
『僕は、ただの大学生だから、サインは勘弁して下さい。』
そう答えていた直後に、
『そうよ。彼は当社のトップシークレットなの。
ミシェルにサインは出来ないわ。
急な来社要請、初回からの社員証保持義務の発生。
どれを取っても、当社初ですもの。』
クリスがミシェルに事の重大性を伝える様に話した。
『もう1度言うわよ、ミシェル。
彼はトップシークレットなの。
彼は、今日、ここには居ないのよ。いいわね。』
明るいミシェルがシュンとしていた。
僕も一緒に怒られた感覚だ。一緒にシュンとしてしまった。

つづく   Byゴリ

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