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【私の離婚にまつわる法的手続き】離婚を決めた日


「オレ、お前もう無理」

結婚して19年日の9月、夫からのその一言で私たち夫婦の離婚は決定した。

離婚の話は、結婚して1年目から何度も出ており、19年の結 婚生活の中で何回目の離婚の話かはわからない程、私たち 夫婦は離婚の話を繰り返してきた。

今までは、いざ離婚の話をしよう! となると、元夫が離婚はやはりしたくないと言い、時には泣きな がら言われたりするから、そのまま、右往左往しながらも夫婦を 続けてきた。

でも今回は、本当に離婚するんだなと思った。
理由は、今年の春にも離婚の話が出ていて、7月の段階で 元夫より「会社の上司に離婚することを伝えたら、『3回は評 してやれ』と言われたから、今回は、許す。」と上から目線 で言われ、何ひとつ悪い事をしていない私にとっては納得が いかなかったが、とりあえず再構築をするのだという意識で いた中での「オレお前もう無理」は引導を渡されたと理 解した。

続けて言われたのは、「すぐに離婚したい」ということだった。


離婚当時

私44歳フルタイム勤務
元夫41才 単身赴任中
子どもは3人
長女18才ドロップアウトの高卒認定試験中
次女16才高校一年生
長男10才小学四年生

元夫は単身赴任で山形県、私と子供は岩手県に住んでいた。
元夫はいわき市 、宮古市 、山形市と、続けて転勤しながら仕事をしていた。

土木関連の仕事をしているので現場ごとに勤務場所が 変わるので単身赴任は珍しいことではなかった。

自宅から山形市まで車で3時間、高速を使わず4時間半。
月に2度、帰宅する程度だったので、再構築といっても特に努力 する訳でもなく、むしろ「帰って来なくて良いのに」と思っていた。

だって、帰って来てもぷんぷんと怒ってばかりで一緒に居ても何一つ面白くない。
せっかく帰って来ているの 自分は怒っているぞアピールをして、私が何を言っても怒り出すので嫌な気持ちにしか ならなくて、何も話したくなくなった。
私の仕事も過去一の売り上げを上げた時で多忙を極めており、 そのうえワンオペ育児。それなのにたまに帰って来る元夫の 対嫌を取る余裕はあの時の私にはなかった。

今、振り返って思うのは、お互いに自分の事に精いっぱいで相手に対して「いつもありがとう」という労わる気持ちがなかっ た。きっとその気持ちがあれば離婚はしていなかったと思う。
しかし、そんな気持ちを持てなくなった私たち夫婦はもう破綻していた。
あの時、離婚して正解 だったと今は思っている。

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