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霊魂仲介人

 酒気帯びの人間というのは実に厄介だ——。

 まずもって会話が成立しない。質問から回答に至るまで思考プロセスが平常時とは比べ物にならないくらい幼稚に成り下がる。同じ文言を繰り返し、ひたすら自分の話ばかりを口にする。それをまた繰り返すものだから、聞いている側としてはたまったものではない。

 それがまして『死んだ人間からの話』ともなれば、私が辟易するのも仕方がないと言うものだろう……。

「だぁかぁらぁ〜!娘はねぇ〜ほんっとに美人でぇ〜……ヒック」

「はいはい。要は亡くなってからも娘さんのことが気がかりなんですね。心中お察し致します」

「いや!いやいや!わかってない!あんたぁなぁーんもわかってないっ!」

 面倒臭い。私が話を切り上げようとするとまたこれである。先ほどから何度も試みてはいるのだが、やれ娘をどれだけ可愛がってきたかとか、やれあの娘が嫁入りするまで死なないだとか……聞いてて悲しくなる親父の溺愛ぶりによって、私の抵抗は虚しく空を切る。

 ちなみにこれでこの話も5週目くらいだろうか。仕事帰りの夜。いきなり自宅のベランダ先に現れた一升瓶片手に涙を流しながら歌う中年にうっかり声をかけてしまったのが間違いだった。よく考えなくても、3階の我が家のベランダに無断で立ち入ることができる人物が、普通の人間なはずがないのに。自分の迂闊さとこの体質を呪わずにはいられない。

「しっかしあんたがおれのことぉ〜見つけてくれてよかったぁ!あんた!いい人だなぁ!」

「ええ。そんないい人だった自分を今引っ叩きたい一心ですよ」

「若い姉ちゃんが何言ってんだぁ!自分のことぁ〜大切にせんとぉ!大切にせななぁ!」

「自殺しといてよく言えますね」

 そう。こんなナリでこの中年、歴とした自殺者なのである。男の話は断片的で私の推測が混じるのだが、どうも歩道橋から路上に向かって飛び降りてしまったらしい。こんなアホ丸出しの酔っ払いにそんな度胸があるとは思えなかったが、酒は人を狂わせるとはこの事だろう。普段なら絶対にしない選択を、人は気の迷いひとつで簡単に選べてしまうのだから——。

 まぁ私には関係のない話ではあるが。

「さて。それじゃそろそろあの世に行ってもらいますね」

「あーん?なんだぁネェちゃん。お祓いもできんのかい?」

「知り合いからあなたみたいな人が来たら呼んでくれと言われているんです。なんでも天国に連れてってくれるそうですよ」

 私は酔っ払いに簡易的な説明をする片手間で普段使いの端末からある人物へと連絡を試みる。すぐに出てくれると嬉しいのだが……。

「ガチャ——おかけになった電話の持ち主は、電波の届かない遥か天空にいらっしゃるのでお出になりません」

「仕事だクソ天使。バカ言ってないで今すぐ来い」

 いい加減な電話相手に私は少し語気を荒くしてしまった。いかんいかん。

 数十分後、私の呼びかけに応じた天使が来訪。短パンTシャツ、突っかけサンダルがいい感じで無精な心根を表している。あのよくわからない光る輪っかを頭に乗っけてなければ、誰にもその正体を見破られることはなかっただろう。

「一応仕事なんですから、せめて担当する顧客の前では正装をするべきでは?」

「人間界のルールを当てはめられても……どうせ普通の人間には我々見えないんですから」

 本当にいい加減なものである。こんな仕事ぶりで怒られたりしないのかと思う今日この頃だが、それならそれでさっさとこんな奴はクビにすべきだと思う。何せ「死んだ人間をあの世らしきところへ送迎する」という仕事を、霊が見えるだけという理由で私に一部負担させるようなものぐさ天使だ。もし他に真面目に仕事をしている天使諸君がいるなら、今すぐ謝ってきた方がいい。

「どうでもいいですが、ちゃんとこの人送ってあげてくださいね。あと私に任せるなら、今後はすぐ来れるとこに居てください。30分以上待たせて何してたんです?」

「いやぁ〜これには並々ならない事情があって……妹とはぐれたお姉ちゃんがボロボロになりつつも奔走するのをどうにか助けてやりたくて……」

「トトロ観てただろこの野郎」

 そういえば今日は週末の地上波ロードショー。録画予約してたから知ってんだよこっちは。がっつり最後まで観てから来やがったなこいつ。

 天使の奔放ぶりに振り回されつつも、結局なんだかんだ言いながら彼は酔っ払いを回収していった。中年からはもっと抵抗されるかもと危惧していたが、「トトロは娘も好きでねぇ〜」と何故か天使とジブリ談義に花を咲かせ始めたので、私の心配は杞憂と化したのである。

 酔っ払いの手を引くものぐさ天使が夜の空に消えていくのを見送ってから、私はようやく一息つけると自室のカーテンを閉めた。今日はもう二度と幽霊だなんだのは無視である。

 しかしふと、部屋に残された一升瓶が目に止まった。

「あの酔っ払い……大事な酒忘れてるじゃん」

 それはどこから持ってきたのかわからない日本酒。あまり酒に詳しくない私には上等なものかどうかも判断がつかないが、こんなものが彼の人生の幕引きになったのかと思うと、少しだけ可哀想にも思えた。

「あんだけ娘大事だって言うなら……こんなんで死んでんじゃないよ」

 私は誰にでもなくそう呟いて、部屋からグラスをひとつ用意して普段使いのテーブルにつく。

 残り酒をそこに注いで、最初の一杯は豪快にと一気に中身を煽った。喉が焼ける感覚と苦味を噛み締めて、私はひとり晩酌を始める。

 最後まで話を聞いてあげられなかった埋め合わせというわけではないが、せめてこの酒はきっちり飲み干してあげよう——臨時で手に入った酒に少しだけ上機嫌になった私は、録画済みの映画を再生する。

 今日は金曜日……このくらいの贅沢は許されて然るべきであろう……。


-登場人物-

・主人公
 アラサー女子。化粧品の広報部で働くために田舎から上京。実家が霊媒師の家系だが、本人はあまり興味がない。天使にとあるバイブルを発見され、「バラされたくなかったら…」と脅されている。

・酔っ払い中年(死亡)
 享年43歳。職場では拙い仕事ぶりに叱責される日々。ストレスで酒によく逃げていたが、妻がその間に他所の男とくっついて離婚。娘の親権も取られ、毛根にまで影響が出始めたことでヤケ酒に走る。自殺理由は「なんとなく飛べば楽になると思ったから(泥酔状態)」。

・天使
 関東圏の死人をあの世に連れていく仕事を担っている天使。自分で死者を探すのが面倒だと思っていたところ、『霊が見える』という主人公を捕まえて強制的に協力関係を結んだ。座右の銘は「明日から本気出す」。


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