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【HSP】休むのが下手くそ。

繊細さんは、休み方が下手くそだ。

かく言うぼくもなのだが、それはもはや、1周まわって尊敬してしまうレベルなのだ。


週5の勤務を終えクタクタなのに、乗り気じゃない呑み会にいく。

人と接することが疲れるとわかっているのに、だれかのお願いごとや相談を断れず、長時間つきあってしまう。



こうやって文章にして書き出し、客観視すると分かる。


どれもこれも、他人のための行動でしかないのだ。


「こうしたい!」より「こうした方がいいよな…」が勝り、他人のためにが自分の行動原理になってしまっている。


「こうしてあげるのが正解なんだろうな」を自分の「したい」にすり替え続けているのではないだろうか。


それじゃあ、辛いし疲れる。

報われもしない。

繊細なぼくたちは知るべきなのだ。


人生の主人公は「自分」であるということ。


そんな主人公である自分への扱いを、一番ぞんざいにしているのが「自分自身」であるということ。

そして「ゆっくり」休むことの必要性を。


前の2つは自覚。自覚するだけでいい。

自覚が厳しいのであれば、ジャーナリングなどの日記をつけ、自分の気持ちや本音と向き合う習慣をつけることをオススメする。これだけでだいぶ変わってくる。


そして、最後のゆっくり休むについて。

これはただの休みではなく、文字通り「ゆっくり」休む。

ただいたずらに寝込めば、休んだことになるのではない。

寝ても寝ても疲れが取れない、なんてことはみんな経験済みだとおもう。


大事なのは、自分の心落ち着けるアクションを1日の中に組み込み、その時間に浸ることなのだ。


ぼくであればそれは読書であり、こうやって文章をつくることになる。


「頭使うから休めてないじゃん」と思うかもしれないが、疲れているときの「適度」な運動が疲労回復につながるように、適度な思考もまた同様なのだ。


重要なのは「心が落ち着くこと」そして自分にとっての「適度」であるということ。


もし「自分の心落ち着くこと」も「適度さ」も分からない人がいるとしたら、それは人のために動きすぎて、自分を見つめてあげられていないということだ。


ゆっくり休めてないということでもある。


そんな時のゆっくり休むは、何もしないニュートラルな時間を作るだけでいい。つまり、暇な時間をもつのだ。


ボーーーーーーーーとして欲しい。


できれば陽の当たるところで、寝転がったりしながら。もちろんスマホなんて持たず、身ひとつでボーーーーとして欲しい。


きっと、自分を知るいい時間になるのではないだろう。


何はともあれ、そろそろ休み下手を自覚して、休み上手になってほしいのだ。

だれのために?

自分のために。


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