芸術品・生活必需品・実用品の転売は可か?

転売ヤーは世の中でかなり嫌われていますが、その中全ての物の転売がやってはいけないこととされているわけではありません。

例えば絵画などの芸術品なんかは、長年にわたり転売され続けているものが山ほどあります。これらの転売自体を否定するなら、例えば日本のほぼ全ての美術館・博物館の所蔵品の存在を否定することになります。

転売ヤー自身、あるいは擁護する人の理屈としては、転売も商売であり、商売自体が転売だろう、というものがあります。それは一理あるといえばそうなのですが、商売の本質はある物を数があるところから無いところに持っていくことです。

ただ、数が限られていて、人々にとって欠かせないものを極端な高値で売れば非難囂々でしょう。古くは古代中国の塩の専売なんかは分かりやすい例でしょう。極端に値上げしたら製塩業者が反乱を起こして大唐帝国が崩壊しました。

現代でもタバコは専売公社(今のJT)が売っていて、たばこ税もどんどん上がり続けていますが、タバコは嗜好品であり、嫌なら吸わなければいいだけのこと、という理屈が成り立っています。

それなら転売ヤーのやっている、限定品や需要が満たされていないオモチャ、ゲーム、あるいはライブチケットなんかも嗜好品であり、生活必需品ではありません。一方、新型コロナの時にマスクやアルコールを高額転売していた転売ヤーが非難されましたが、生活必需品のコントロールに手を入れると、数千万人を支配していた唐が滅ぶレベルの反乱まで起きるのですから当たり前のことです。

需要と供給に極端な偏りがあるから転売ヤーが跋扈する余地を生んでしまうのですが、その余地を生まないほど供給を増やすことはまず無理です。

商品であれば供給量は工場の生産能力に依存し、経費を掛けて生産能力を増やしてもブームが去れば過剰在庫・過剰生産能力によって倒産しかねません。

ライブチケットにしたって、ライブ会場の収容人員を自由に増やせるわけもなく、増やしすぎてガラガラの会場になったら誰もが損をします。

その辺を見極めるのも商売のうちですが、転売ヤーがいなければ売る方も買う方も楽になるのであれば、転売ヤーを排除する論理というか制度が出来るのはおかしなことではありません。

転売に限らず、生産者と最終消費者が適切に結ばれないことを、現代国家は不公正な取引として取り締まります。

転売ヤーのやっていることは不公正な取引だとして、行政も立法も司法も転売ヤーを排除します。これは国家や文化によって対象が異なるでしょう。

多分、アメリカのような資本主義・自由主義が重視される国なら結構自由なはずですが、そのアメリカでカルテル・トラスト・コンツェルンが19世紀末~20世紀初頭にかけて取り締まられるようになったのですから、国家による自由資本主義への規制は本質的なものなのでしょう。

話を戻しますが、生活必需品ではない芸術品の転売はある程度は認められるでしょう。ゴッホのひまわりを53億円で買えたのは、転売が当たり前だからです。

その代わり、芸術品ではない実用品の転売はかなりの批判を浴び、規制も受けることになります。ゲームやオモチャ・チケットは芸術品の枠内よりも実用品として社会に認められていると言えます。芸術品は使用期限がなく、実用品は使用に耐えうる時期が限られていますから、ゲームやチケットは実用品といって良いでしょうね。

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