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好きな日本人作家トップ10

好きな海外作家ベスト10という記事を書いたが、やはり順位などつけがたいので、日本人作家については好きな人を漠然と10人並べてみようと思う。

町田康

パンクロッカーという響きはダサさ極まりないから、わたしはパンクスと呼びたい。伝説的なバンド「INU」の人であるが、作家として手掛けた処女作「くっすん大黒」には痺れたものだ。ナイティナインのバンド作ろうぜという番組で歌詞の先生を担当していた。山塚アイと同じくヤバすぎるオーラを放っていた。作品は、やりきれない居たたまれないクズ野郎(クソ野郎ではない)の行状と心胆を描いて笑えて切ない。「告白」の河内弁は至高。

村上龍

若き日に打ちのめされて以来長らく離脱できなかった。思えば、中学の時に読書感想文用の本を書いに出て「コインロッカー・ベイビーズ」を見つけたあの日以来、僕は戻ってきていない。それほどに徹底的に揺さぶられた。「限りなく透明に近いブルー」「海の向こうで戦争が始まる」「愛と幻想のファシズム」「イビサ」「希望の国のエクゾダス」「半島を出よ」など好きな作品は多い。詩的で生々しい表現の影響からは今も抜け出せていない。なかでも「五分後の世界」はひとつの到達点。SFとしても素晴らしい。

秋山瑞人

天才、天才と信者たちが騒ぐので、どんなもんかと一読してみたら紛れもなく天才だった。中でも僕の好きな武侠ものである「龍盤七朝」シリーズは惚れ惚れするほど上手い。完結が待たれるが、作者は、たぶんもう書かないのだろう。もはや小説なるものに興味がないのかもしれない。あまりに自在にかけてしまうがために? それとも作者の崇高な審美眼からすれば、あらゆる小説が失敗作だからなのかもしれない。

後藤明生

かの「挟み撃ち」の作家である。はじめはどこがいいのかわからなかった。とぼけた情味と見えていたものが緻密で磨き抜かれた言葉の数々だった知るのは初読よりずっとのちのこと。いわゆる内向の世代としては次に紹介する古井由吉よりもある意味ずっとヤバい。文学的な深みとやらに安易に沈静することをよしとしない、したたかな生命力がある。読めば元気になったりならなかったりする無類のユーモア小説。

古井由吉

言葉が雪崩れていく。それが不穏で妙にカッコよかったりもする。衰退の文学と呼ばれていたが、死や病を自ら招き寄せることで延命するような暗黒のガッツがある。真似できないし、したいとも思わない極北。

西加奈子

この人は話題になっていた「サラバ」を読んで好きになった。ご本人の佇まいやトークも好き。関西弁で親しみやすく、こんな友達がいたらなぁと思わせてくれる。彼女の作品も仰ぎ見るというより友達のように親しめる。山小屋には持って行かないけれど単身赴任には忘れてはならないっていう感じでしょうか。「サラバ」で描かれた宗教性は滅茶苦茶貴重なものだと思う。その宗教性を担う、主人公の奇矯な姉の存在感にリアルかつ抽象的。

平山夢明

世の中には心に傷を負いすぎて、突き抜けた明るさに達してしまった人間がいるものである。平山夢明氏を僕は密かにそう思っている。この作者のホラーやバイオレンスは、凄惨だったり陰鬱だったりするのだが、その果てに突き抜けしまうような何かがあって、読者は笑えないまま笑うことになる。このような痙攣的な体験は他の読書ではなかなかできない。

いとうせいこう

たくさんの声色を使いこなせるカラフルな作家です。作家業だけでなくラッパーやコメディアンや編集者としての顔を持つ氏ですが、鬱にも悩まされていたと聞いてドキリとしました。軽やかに時代と戯れている、そんな印象だったからです。「ワールズ・エンド・ガーデン」「波の上の甲虫」「想像ラジオ」どれも素晴らしいです。

津原泰水

「11」は傑作揃いで短編を学ぶなら、誰にとっても間違いのない教科書となるでしょう。津原作品には、デカダンスとユーモアがあります。「延長コード」「クラーケン」そして「五色の舟」は永遠に忘れられない作品となりました。また小説技術を伝えるのに熱心だということを聞いたので、何か機械があれば、生徒となって教わってみたいと願っております。

① 谷崎潤一郎

トップだけ順位をつけた。大谷崎である。日本の作家で一番好きなのは彼で、これほど、ページを繰るごとに陶然としてしまう作家は他にない。いわゆる美文であるなら他にも無数の作家がいるだろうが、読書におけるわたしの快感中枢にここまで深く干渉してくるのはなぜか谷崎だけだ。谷崎のエロやフェティシズムに共感しているわけでもない。内容ではなく、文体や呼吸に魅かれるものがある。「卍」「鍵」「瘋癲老人日記」それに疑古典ものが好き。


リロード下さった弾丸は明日へ向かって撃ちます。ぱすぱすっ