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『クイズ脳』との戦い(後編)

前編では「わかるわけない」出題で視聴率稼ぎに終始した昭和TVのクイズ番組の構造的問題について振り返りましたが、後編ではその「余波」について考えてみます。

今回の記事は、決してクイズ番組全体を批判するわけではありませんが、視聴率のためなら「なんでもあり」でやってきたTV業界の、見過ごされてきた「不味い点」を掘り返すことは大切だと思っています。

なお、ぼくが「クイズ番組のヤバさ」に最初に気付かされたのは、お笑いコンビ『ダウンタウン』の有名なネタがきっかけでした。ダウンタウン松本(以下敬称略)が出すクイズに浜田が答えるというものなのですが、そのなかに「花子さんは銭湯に行きました。さて、どうでしょう?」というクイズがあります。もちろん松本は浜田に「わかるか!」と殴られる展開ですが、これが別に架空の出来事ではなく、いつもそうだなと感じたのです。

かねてからの浜田の暴力的言動と松本の差別的な表現、さらに近年はみっともない権力志向の表出によって、ダウンタウンはすっかり堕ちたアウトロー芸人のような扱いになっていますが、昔は上記のような風刺、しかもTVでTVを批判するような骨のあるネタをやっていたのです。

差別的なステレオタイプ

前回、必然的に高難度するクイズ番組が「わかる人すごい」ということを観せる方向に進んでいったことを話しました。ただ、本当にすごい人がいる場合はいいのですが、いない場合に「すごい人を作り上げる(捏造する)」という現象も発生します。

当時、春と秋の番組改編期になるとクイズ番組の長時間拡大版が放送されることがよくありました。そこではそのTV局の新番組・人気番組の出演者が回答者になってクイズに挑戦するのですが、クイズの内容はいつものように難問(理不尽)で、やさしいものになったりはしません。

ところがそれを、大物俳優が不意に正解したりするわけです。さすが大物俳優、すごいですね!

のちのち、そうした番組では「大物俳優は答えを教えられていた」という証言が方々から漏れ出てきます。新番組で知的な刑事を演じる大物俳優が「バカ」だと思われてはイメージを損ねますからね。

特番に限らず、レギュラー放送時も「わかるわけない」出題が相次ぐのですから、日常的に答えを教えていたのでしょう。誰も正解しないクイズばかり出題して、正解者ゼロ行進では出題がおかしいことがバレてしまいます。

問題は、どの番組でも年長の俳優や文化人系タレントが「よく正解する人」であり、芸人やアイドルなどの若者が正解するのは「奇跡」、という構図になっていたことです。年長者の方が知識が多いのは自然ですが、その知識が役立たたないような出題が相次ぐわけですから、本来あるべき姿は「正解者ゼロ行進」にほかなりません。

まるで小学生の「なぞなぞ」

小学生くらいまでは「今日の朝御飯でうちのお母さんが最初に食べたのな~んだ?」「答えは、"お母さんは食べてない"で~す」みたいな、わかるわけのない「なぞなぞ」を出すのはごく当たり前にあることです。お母さんが受けている扱いをまずどうにかすべきと思いますが、それはさておき。「わかるわけない」問題を出すことは「卑怯」なことだと学んでいくなかで、子どもたちは、自然にやらなくなっていくものです。

それをTVで大人がやっていて、野放しにされているのですから、とんでもない。こういうところこそ「子どもが真似をしたら困る」と言っていかなければなりません。

わかるわけない、と言えない

もっとも、子どもの「理不尽なぞなぞ」に対して、子どもは「そんなの、わかるわけないよ!」と言えますから、子どものなぞなぞを大人が「やっちゃだめだよ」と抑えつける必要はありません。

ただ、大きくなってプライド(虚栄心)が育っていくと、なかなか「わかるわけない」とは言えなくなってきます。TVのクイズ番組に出演する大人たちも、なんの根拠もなくとにかく回答し、そして出題の不備を指摘することはありません。こうした姿を真似することも危険です。

クイズ番組を観なくなっても、世の中に「問題」は自然に生じます。

例えば、7月8日に安倍元総理が銃撃を受けて殺害されましたが、世間はこれをいわば「クイズ」として扱いました。

Q. 安倍元総理が撃たれました。さて、なぜでしょう?

多く聞かれた回答は「選挙制度・民主主義への挑戦」というものでしたが、結果的にこれはハズレでした。正解はみなさんもご存じのとおり「反社会活動を行なう宗教(の広告塔である安倍元総理)への怨恨」で、民主主義うんぬんは関係ありません。そもそも銃撃犯はいわゆるネトウヨ的な人物で、その主義主張は安倍元総理に近いものだったことも知られています。

可能性のひとつとして「野党支持者の仕業」が思い浮かばない人はいないでしょう。ぼくもそう思ったので、あまりひとのことは言えません。でも、それだと決めつける根拠はなにもありませんでした。最初に思い浮かんだものは、あくまでひとつめの選択肢に過ぎません。「ほかの可能性は?」と考える余裕が必要ですが、そういう人はクイズには勝てません。

なお、事件直後の発言を振り返ってみると「民主主義への挑戦だ。許さない」と断定している人と、「民主主義への挑戦であれば許されない、早期の真相解明を求む」という表現に留めている人がいます。衝撃的な事件だったので、思い込みもあって不思議ではありませんが、前者のなかには今も「民主主義の挑戦」と言い続けている人がおり、安易な「回答」をしてしまうことの恐ろしさがわかります。間違うのは仕方なくても、撤回できないのは話が別です。

事件直後におけるこのクイズの正解は「なぜかはわからない」でしかなく、そしてなによりクイズのように捉えたことが「大間違い」です。何か言いたければ「暴力はダメ」「悲しい(あるいは"嬉しい"もナシではない)」に留めるべきでした。

クイズは至るところで生じていて、いじめによる事件があれば「いじめられる側にも問題があったのでは?」、痴漢や性被害にあった女性がいれば「派手なかっこうをしていたのでは?」「女の方にも落ち度があったのでは?」と、事情も何も知らない人々からまったく根拠のない「回答」が発せられ、そして拳を振り下ろすことができない人たちは、次のいじめ事件も、次の性被害に対しても同じ回答による「加害」を続けます。

報道が『クイズ』を生む

特に日本の新聞・TVによる報道のほとんどは「事実を端的に伝え、オピニオン(意見)を伴わない」というスタンスを取っています。かといって事実を揃えて提示するわけではありません。直近のひとコマだけを伝えるので、受け手は全貌を見渡せず、どういうことがわからない点があるときに不明点を補強したい衝動に駆られます。

「クイズ番組はおろか、もうTVを観ないから関係ない」とは言えないのです。

ネットメディアが行なう二次報道も原点を辿れば新聞報道、あるいは新聞・TVにニュースを提供している通信社によるものが多く、特にSNSには誤って要約されていることも少なくないタイトルが踊っています。それらの不完全な情報は容易に「クイズ化」し、それを本文も読まず「速答」しようとする人々はまさにクイズ番組の回答者そのものです。

回答者本人は「正解を教えられた年長の識者」のつもりでいるのでしょうが、実態は「ボケ続けるお馬鹿タレント」に過ぎません。

前編でも言ったようにクイズは本来悪いコンテンツではありませんが、理不尽なクイズには参加すべきではないという意識を持つことが大切です。

また、悪くないクイズ番組として例に挙げた『高校生クイズ』等も、「賢い人は、質問の途中でもすぐに答える」という部分をヒロイックなものとして広めたことは罪と言えるでしょう。『高校生クイズ』を観て知るべきは、「賢い人も、質問の途中で答えるとかなり不正解は多い」、そして「視聴者である我々は、ほとんどのことを知らない」という悲しい事実です。しかし、それに気付かなかった人たちは、ごく稀に正解したときの喜びを求めて今日も明日もSNSで加害を続けます。

「そんな人たち」を育てても、TVも誰も責任をとってはくれません。

「はい消えた!」のひと言で彼らのスイッチをOFFにできたらいいのですが、なかなかそうもいきません。この問題は理不尽にむつかしく、どうしたらよいのかは「わかるわけがない」としか言いようがないのです。

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