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書の身体 書は身体 第三回 「書をみる眼を養うために」 文/小熊廣美

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止め、はね、はらい。そのひとつひとつに書き手の身体と心が見える書の世界。しかし、いつしか書は、お習字にすり替わり、美文字を競う「手書きのワープロ」と化してしまった。下手だっていいじゃないか!書家・小熊廣美氏が語る「自分だけの字」を獲得するための、身体から入る書道入門。



「お習字、好きじゃなかった」「お習字、やってこなかった」
「書はもっと違うものだろう」
と気になる方のための、「今から」でいい、身体で考える大人の書道入門!


書の身体、書は身体

第三回「書をみる眼を養うために」

文●小熊廣美



書をみる眼を養うために

 今回は、いい字を書くために観る。いい字が判るために書く。というお話しをさせていただきます。

 結果的にいい字であった、ということはあってもいいのですが、自分自身がいい字や上手い字を書こうとする時、いい字上手い字というものが、どういうものかが観えていなければ書くことはできません。それはとても大事なことです。
 手より眼が先でなくては、そこに手が追いついていこうということにもなりません。

 書の鑑賞というのは、難しい鑑賞の筆頭になっているような今の時代ですが、まずは、身近なところから、身近な鑑賞の方法を試していただき、観る眼が出来て行く中で、名品をも鑑賞し、尚、手もそれに影響されていくようになっていくというステージに立ってほしいと心から願います。



観る力は書くことから

 前回の最後に、円相でも素敵な日本語「ありがとう」でも書いて、とメッセージを送らせていただきましたが、書いてくれたでしょうか。きっと書いてくれた方がいますよね。 

 さて、その円相の活字というのはないですよね。あるとしたら、単なる〇ですね。単なる〇を筆で書くと、それぞれの〇になって、言い方を変えれば、円相になる、ただ、ほぼ全員悟ってないだけの円相が出来あがってくるんだと思います。でも嘆くなかれ、「煩悩即菩提」。煩悩があるから悟りを求めようとする心も生まれるのですとの格言があるわけです。

 この〇を円相として、書いたものが五つあったとする。それぞれ、いい、悪い、うまい、へたと四つをそれぞれ決めつけたとして、あと一つは何とする?

 たとえば、“高い”という。“澄んでいる”という。“練れている”という。等々、人の数ほどいい方はあるのだと思います。上手い字、下手な字は分かりやすいが、その中にも、いい字、悪い字があると前回触れましたが、じつはそう単純に済むわけでもないのです。

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