書の身体 書は身体 第五回 「活字と書き文字」
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書の身体 書は身体 第五回 「活字と書き文字」

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止め、はね、はらい。そのひとつひとつに書き手の身体と心が見える書の世界。しかし、いつしか書は、お習字にすり替わり、美文字を競う「手書きのワープロ」と化してしまった。下手だっていいじゃないか!書家・小熊廣美氏が語る「自分だけの字」を獲得するための、身体から入る書道入門。



「お習字、好きじゃなかった」「お習字、やってこなかった」
「書はもっと違うものだろう」
と気になる方のための、「今から」でいい、身体で考える大人の書道入門!



書の身体、書は身体

第五回「活字と書き文字」

文●小熊廣美

肉筆と活字


 ここでは、“筆文字の弾力は、気持ちのままに書くためにある。美文字ばかりが美しいのではなく、形式ばらず、まずは素の心を描きだしてみよう。そこから感じよう。筆文字は誰でも書けば美しい”という話しをさせていただいていますが、こうしてフォントを使って、私はみなさんに、“筆文字で書くと好い”とパソコンに向かって、アルファベットを打って日本語変換して伝えています。肉筆のススメを活字(フォント)で伝えているのです。
 現代に生きるということは、稀有な例を除いては、多かれ少なかれ、好むか好まざるか、なにごとも文明の利器との共存の中で暮らしているようです。
 いい時代なのか悪い時代なのか、日帰りで海外にまで行って帰れる時代ですが、たっぷりした時間が余ってのんびり暮らすどころか、逆に朝から晩まで忙しく生きている社会になってしまっている印象の現代生活です。
 今回は、現代の暮らしの中から、文字が大量に必要になって、印刷されていくなかで、手書きしていた文字が、印刷に使われるための活字になって、現在、肉筆と活字には、どういうことが起こっているのか、垣間見ていきます。


活字の歴史

 まず、活字とは、フォントとは、それぞれ細かい定義があるようですが、ここでは、古くは木版印刷に使われたもの、その後、金属の型に組版として印刷に使われたもの、現代のIT全般に使われるフォントなど、便宜上、ひっくるめて活字としてお話しさせていただきます。

 もともと文字を発明し、文字を書くには手を使って書いていました。その歴史は長く現在まで続いていますが、複製を作るという点でいうと、石や木に刻したものを拓本に採ることがありますが、印刷というとまず版木一枚一枚に文字を刻して紙に刷ることを始めたのが中国は唐時代の8世紀にはじまり、その後の宋代に発展しました。
 日本には奈良時代、法隆寺などに伝わる「百万塔陀羅尼経」が制作年代の判る最古の印刷物といわれているものがあります(これは印刷ではなく、いわばハンコであるとの説もあるようですが)。

 唐代からの楷書を機能的に直線化したものが活字の原形となり、刻工や依頼者の好みによって宋代活字が出来上がっていったようですが、右上がりが強く、今では古風を感じるような現在の宋朝体と違って、当時はもっと肉筆に近いような楷書体であったことが古い印刷本からうかがわれます。

(例 宋朝印刷本 『姓解』)

 そして元時代を経て明時代となりますが、16世紀にいわゆる明時代、すなわち、明朝といういい方もありますが、明朝体活字の登場となるわけです。活字といえばまず“明朝”というほどですね。

 徐々にその特徴を洗練させて、水平垂直、横線が細く、縦を太く、小さくても中がつぶれない読みやすさと、45度の入筆と三角形のウロコを持っての終筆や左右のはらいなど、肉筆の楷書体の美しさをそこに残し、微妙な違いをもって様々な明朝体が現在まで作成されてきています。

 一枚一枚の版木印刷の歴史から、一字一字を作成し、組版にしていくようになると、創成期には木や粘土もあったようですが、鉛を使った金属活字は漢字圏では、朝鮮は13世紀の高麗王朝から。そして西洋では、16世紀のヨーロッパで、グーデンベルクの“活版印刷の考案”。現代印刷にとって、いや、文明にとって、あまりに有名な歴史の一頁です。
 グーデンベルクの機械印刷術は、キリスト教を中心とした宗教の布教のための印刷からはじまって以来、現代の情報広告社会につながっています。




康煕辞典と「旧字体」と「新字体」

 明治の初めに日本では、この金属活字の活版印刷術を輸入します。ここでの基本が明朝となるわけですが、この明朝活字の流行には、もうひとつ大事なことがあります。それは、18世紀初め、清朝の康熙帝の勅撰による『康煕(こうき)字典』の登場です。

 この『康煕辞典』は、後漢に成った文字学のバイブル『説文解字』以来の字書の集大成として5万字弱を収録し、画数別部首の採用など、今の漢和辞典の母親的存在です。
1946年に当用漢字を制定するにあたってこの『康煕辞典』の明朝活字を基礎とし、この時、新たに置き換えられた漢字のことを新字体、元の漢字を旧字体としました。
旧字体というと、それまでの歴史のなかで、ずーと長く使われてきたと思われがちですが、そうでもないのです。

 時代は7、8世紀の唐に遡ります。
 一画一画しっかり書いていく楷書体でも、いろいろな字形がでてきて、当時のキャリア官僚を目指す「科挙」の試験でも、採点の時に迷うほど。字の乱れを整理するため成った唐の『干禄字書』というものができて、当時の書体を「俗(な字形)」や「通(行している)」や「正(しい)」と分類しましましたが、「正(字)」として、すでに一般には使われてなくなっていたハンコの書体である難しい篆書の書体を、楷書に直したもの、また、当時、通行していたものよりも優先して篆書体に近いものを少数派であっても、『干禄字書』の正字として採用しました。
 その流れをくんだ晩唐の『九経字様』『開成石経』などを経て、『康煕字典』も、今のハンコ書体である篆書を楷書体に直した煩雑な字形のものを採用するなど、康煕字典体をもとに明朝活字ができて、活版印刷が普及して明治の前半から、日本の文字の基本となっていったのです。篆書から隷書へ、そして行草書を交えながら楷書の完成までの流れのなかにあった肉筆の歴史からみると、少し逆戻りしたような感覚になるのかもしれません。それでも、活字は活字。書く時は肉筆の書き方があった。それがごっちゃになって今の活字と肉筆があるのです。

 そういう流れのなかで、香草や草を刈るなどの意味を持つ「芸」という字があるのに、「藝」を「芸」としたり、「髪(ハツ・かみ)」の下部はもともと「犮」で“ハツ”という音を持っていたものを「友」とし、育毛剤の宣伝のためにか“髪は長い友だち”としてしまいました。ひでりが続くと「旱魃(カンバツ)」ですが、これは当用漢字外なので、「犮」のままで、干されたままです!? 「秘」という字など、旧字は「祕」で字源通りの「示へん」だったのですが、昔から間違って「禾へん」に書かれることもあった方を新字に採用。これは“秘密”にしておきたいもんです。まだまだありますが、当面用いるつもりで制定された当用漢字が登場すると、少し難しいと思われるものなど新字形となりました。

 以後、それまでの旧バージョンを「旧字」というようになりましたが、なかなか一括りに「新字体」「旧字体」と分けられるものではなく、新字体のなかにも唐の初めに使われていた字形が活字の上で復活したりしています。

 私の名前にある「熊」などは、“ムこうの山に月がでた、ヒがでたヒがでた四つでた”という漢字の覚え歌で書いたのですが、『干禄字書』が出る前は、“ヒがでたヒがでた”の代わりに「去」に似ている字を書いていました。
 つまり『干禄字書』勢力の台頭がなければ、「能」や「熊」の楷書は、初唐まで書かれていた下の楷書の形になって、今の活字ができていたかもしれないのです。

(能の変遷) 

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