見出し画像

創生と再生のスパイラル~水力発電とサウナ(あとがき)”バス停留所 散宿所前”

愛媛県で 2番目の発電所が操業した 今治市玉川町長谷。
往時の長谷発電所の面影を残す “記念碑” ともいえるのが,
バス停留所 “散宿所前”
せとうちバスの大動脈 “大三島・今治~松山線” の特急バスが停留します。

“第九十九條 地方長官ハ必要ト認ムル場合ニ於テハ線路ノ各要所ニ技術者又ハ工夫ノ散宿ヲ命スルコトアルヘシ”

“第百條 散宿所ニハ屋外衆人ノ睹易キ所ニ其ノ標札ヲ揭クヘシ” 

明治29年5月9日 制定の電気事業取締規則(逓信省令第5号)には,電気事業者に対し,散宿所を設置し,技術者等を駐在させて,設備の保守点検に当らせることが定められています。

この “散宿所” の呼称及び施設は,いつ頃まで通用していたのでしょうか。

愛媛県北宇和郡日吉村「日吉村誌」(昭和43年)には,駐在機関として “四国配電日吉散宿所” の項目があり,駐在員1名が管理業務に当たっているとの記述があります。当時は ”配電” の呼称までも通用していたのでしょうか。

また,東京電力株式会社「社報」(昭和35年8月号)には,黒部幹線の保守を担当し,富山と新潟の県境に所在する笹川,上路,親不知の3散宿所を紹介する特集記事が掲載されています。
“本店から直線距離で約230㎞,鉄道で350㎞ある” 日本海側の山間部で,マムシとクマの出没する巡視路を,会社支給の鈴を鳴らしながら歩くとのことです。

かつて全国各地に設置されていた散宿所。織田史郎も中国山地のどこかの散宿所で,寝泊まりをしていたのかもしれません。

 路線バスの停留所としては,全国唯一その名を留めているかもしれない “散宿所前” は,鈍川温泉の最寄りのバス停留所でもあります。

松山あるいは今治方面からのバスを利用して “散宿所前” で乗降し,旧長谷発電所の遺構鈍川発電所をめぐり,木地川べりのテントサウナで “ととのう”。
”水力発電所とサウナ” ー 織田兄弟の事績をふりかえってみてはいかがでしょうか。

https://www.imabaricci.or.jp/wp-content/uploads/2020/08/hsg2_1718.pdf

この記事が参加している募集

#ふるさとを語ろう

13,638件

#一度は行きたいあの場所

50,536件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?