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まい すとーりー(20)DIDから見えてくるもの

『法友文庫だより』2019年秋号より
霊友会法友文庫点字図書館 館長 岩上義則


ダイアログ・イン・ザ・ダーク(DID)とは

 ダイアログ・イン・ザ・ダーク(DID)というイベントをご存じでしょうか? 文字通り「暗闇の中の対話」です。どんなイベントなのか、日本でDIDを立ち上げた志村真介(しむらしんすけ)著『暗闇から世界が変わる―ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパンの挑戦-』から引用してみましょう。

 そもそも舞台は、一筋の光も無い「暗闇の中」です。このイベントに参加するのは、1つのユニット(グループ)につき8人のみです。一つのユニットには1人ずつアテンド(全盲の案内人)が付き、真っ暗闇の中を歩き回って、さまざまな体験をします。もちろんこの暗闇の中には、「見えない」というだけで、豊かな世界が広がっています。そのときのテーマによって異なりますが、例えば鳥のさえずりや遠くのせせらぎが聞こえたり、土の匂い、森のぬくもりなどが感じられたり。足元からは葉と葉のこすれる枯れた音が聞こえたり、小枝を踏みつぶす感触などを味わうこともできます。

志村真介『暗闇から世界が変わる―ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパンの挑戦-』
(一部筆者の編集)

 このイベントの発案者は、ドイツの哲学者ハイネッケです。彼がラジオ局に勤務していたとき、交通事故で失明した人を職員に採用するに当たり、その人の教育係を任かされたことが視覚障がい者との出会いになり、意識革命を起こしたようです。
 それまでハイネッケは、視覚障がい者のことを自分より劣っている人と思っていたそうです。ところが、同僚となった視覚障がい者と接する中で、目が見えない人たちが持っている高い能力と豊かな文化を知ったのだと言っています。そのほかにも視覚障がい者に関するさまざまな気づきがあって、やがてハイネッケ自身も盲人協会で働くことになりました。そしてハイネッケは、目が見えない人たちと目が見える人たちがお互いを認めて対等な立場で接することができるツールとして、部屋の灯りを消すDIDのシンプルな仕組みを考え、1988年に世界で初めてDIDをドイツにおいてスタートさせたのでした。

苦難の末、日本初のDIDを開催した志村氏

 日本でDIDをはじめたのは、広告会社でマーケティングの仕事をしていた志村真介です。1992年4月に日経新聞に出たDIDの紹介記事を見て大きな衝撃を受けたのが、DIDを始める動機になったとのことです。その衝撃と感動がハイネッケに勝るとも劣らぬほどに高まり、1999年に東京で短期のDIDを開催することにこぎつけたのでした。
 以来20年、DIDの継続開催に多くの苦労と紆余曲折を経験し、2013年、ついに東京で常設展示場を持ちたいという長年の念願を成就させたのでした。

 志村の衝撃と感動の背景には、彼が趣味の写真にのめりこんだとき、弟子入りした写真家藤田浩(ふじたひろし)の教訓が生きているとのこと。それがDIDの意義を今日まで支え続ける基盤になっているようです。その教訓とは、

 あるとき、同じ場所で同じものを撮影しているのに、私の写真が藤田さんのものとあまりに違うことに首を傾げていると、「真ちゃん、写真は目で取るんじゃないんだぞ」と教わりました。「気配がする方向に1カットはシャッターを押しておけ」と言われたことです。当時は、言われた意味がよく分かりませんでしたが、目で何かを捉えようとするのではなく、五感を開き、自分の身体全体をアンテナにして何かを感じ、それを記録するのが写真家の仕事だということを伝えたかったようです。

志村真介『暗闇から世界が変わる―ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパンの挑戦-』


 志村の苦労話の中にこんなエピソードも載っていました。それは、イベント会場を決める際の条件となる会場と消防法の関係です。
 消防法は火災や地震による被害の発生を防いだり被害を小さくすることを目的とする法律ですから、不特定多数の人が集まる施設では誘導灯の設置が義務付けられます。暗い中でも、いつでも点灯しておかねばなりません。
 ところが、DIDは、微かな光も無い真っ暗闇の中で行うことで成立するイベントですから、誘導灯を消して実施するなど、法的に許されるわけがなく、最大の壁になり、「できません」の一点張りでした。

 そこで、志村は作戦を変えて、ある時視覚障がい者のスタッフと一緒に交渉に行ってみました。消防署が許可を出せない理由が誘導灯は全ての人が安全に避難するためにあるのだからという理屈です。それが、話し合いの場に視覚障がい者が入って、「オレたちはもともと見えないから、誘導灯がついていてもいなくても関係ないんだけどね」と言うのです。この発言で法の前提が崩れることになり、許されないはずだったものが許され、許可を引き出す上で大成功だったという実に面白い話です。

 そんなことから、署員がDIDに個人的に参加するようにもなり、さらにこんな話まで飛び出しました。
 実は、建物の火事を消火するときには感電しないように電気を落しているので、火災の現場というのは真っ暗な状態なのだそうです。訓練のときも実際の火事のときも、そのようにして消火活動や人命救助を行っているので、暗闇の中で自由に動き回っている視覚障がい者のアテンドの姿は驚きだったようです。
 ある消防関係者は、笑みを浮かべながらも「可能であれば彼らに消防士になってもらいたい」と真剣な顔で言っていたそうです。


DIDへの微かな危惧

 私は、ハイネッケや志村の気づきと認識に少なからず敬意を表したものです。なぜなら、藤田浩の教訓にあるように、視覚障がい者の多くが、目以外の身体全体をアンテナにして情報を収集し、感じた気配を頼りにして生きているので、それをこの2人が分かって、DIDを立ち上げた熱意を知ったからです。
 
 ただ、2人に敬意を表しながらも、その一方では、視覚障がい者の感覚や能力がDIDの体験で養えたり理解できると思い込んでしまうのは、いささか安易で飛躍し過ぎではないかと気になる一面も胸にくすぶっています。

 ハイネッケと志村が言う通り、視覚障がい者は自分の身体全体をアンテナにして情報を収集し、気配を感じるのは間違いないことだし、晴眼者が視覚情報に偏り過ぎるあまり、ときには物事の本質を見誤る側面があるというのも重要な指摘です。それに共感しながらも、あえて加筆したいのは、DIDを10回や20回体験したからといって感覚がシャープに磨かれるほど現実は甘くないし、イベント会場を移動するだけでも精いっぱいのはずだから、自然を楽しむといっても、とてもそんな余裕はないだろうという気がすることです。

 DIDはあくまでもエンターテインメントの一つなのですから、初めての体験者でも分かりやすいコンテンツを用意して、参加者から以外な気づきや発見を引き出し、アテンドと参加者同士の自然な対話が弾む雰囲気作りができれば、それだけでもこのイベントには意味があると評価されるのではないかと思います。

明を知っているからこそ闇への恐怖が生まれる

 私自身もDIDの体験者です。「万年DID当事者のおまえが参加する意味は何だ」と疑問を持たれそうですが、見える人がDIDを体験してどんな反応を見せるのか、そして、イベントを前向きに捉えている人がどんな発言をするのかなどに強い興味を持っていたからです。
 その日は、暗闇の中で大声を上げたり、ゲラゲラ笑ったり、何かにぶつかって悲鳴を上げたりする賑々しい雰囲気でした。
 このイベントの最後が、全盲のアテンドにビールやお茶を注いでもらって乾杯し、飲食と歓談を楽しむという企画で締めくくられましたが、私の横に居た参加者の一人が、私の存在を意識してかしないでか「見えない人はいつもこんな状態なんだからなあ」とつぶやいたのが、とても印象深いことでした。

 さて、少し小難しい話を書くことにしますが、晴と盲の間で全く認識が一致しないであろう闇の概念について言及します。
 ハイネッケは、「盲人は常に闇の中に居ながらも、目の見える人が、暗い中ではとうてい発揮できないするどい感覚と高い能力を持っている」と述べています。
 闇と能力の関係についてハイネッケは何も言っていませんが、あくまでも、その尺度として、暗闇と能力の間に光を介在させていることが想像できます。私は、光を尺度にしていては失明者の感覚も能力も文化も理解できないと思うのです。と言うのは、晴眼者は光を遮断すれば闇が訪れますが光が満ちれば明の世界に戻ります。明・闇共に無い状態は想像の及ばない世界なのです。闇の感覚がある限り闇の不安と恐怖からの解放はあり得ません。

 一方、盲は完全に光を遮断しても百万ルックスの明かりを浴びても全く光感覚に反応しないわけです。つまり、明と暗の両方がない状態が、不安と恐怖を和らげる大きな理由になることになります。不安や恐怖が和らげられても何も見えず、不自由が残るのは言うまでもありません。闇についての認識ははなはだ困難であり、実感することができないので、話は話だけで終わってしまいそうですが、晴眼者の、見えない人への理解が容易に進まない理由がこの辺にも潜んでいるのではないかというのが私の考えです。


明から闇の世界へ来た中途失明者のたくましさ

 この説を裏付ける実例として、見事な自立と社会参加を果たしている中途失明者のたくましさを述べておきましょう。
 中途失明者の中には、一流企業の第一線で活躍していた人が何人もいますし、学業半ばで失明の悲運に見舞われた若者もいます。つまり、こうした人たちは、明るい世界の中心で過ごしていた人たちで、明の世界から闇の世界に引っ越してきた人と言えます。もしも、彼ら彼女らが最近まで生きてきた明の世界の感覚を残していたとしたら、今の闇を生きることは難しかったに違いありません。

 ところが実際には、失明後の今日、見えないことを個性とまで言い切って、果敢に社会活動を行って、今の自分に誇りさえ持って働いているのです。そんな人たちから「闇を生きている」だの「今生きている世界が暗い」などの言葉をただの1度も聞くことはありません。しかも、盲人文化の体得も速く、点字やIT時代をまっしぐら。単独歩行を身に付けて、海外を旅し、ビジネスをこなし、グルメを満喫するなど、あたかも、見えない世界を謳歌しているようにさえ見えます。
 闇にたいする考えやDIDの問題点をいろいろ書きましたが、できれば、DIDのプログラムに、明から闇に引っ越してきて力強く生きている人を紹介するコーナーも設けていただきたいものです。そんな願いを込めて、この稿を終わります。


参考:ダイアログ・イン・ザ・ダーク 公式サイト


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