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2500年続いてきた哲学のプロジェクトをやり直す——ジョン・デューイ本連載②

前言っていた、書籍をみこした連載です。デューイの『哲学の改造』を読み解く、メンバーシップ用の記事です。

哲学ってなんなの?へのアメリカの哲学者による堂々たる回答から、デューイ特有の哲学の再定義プロジェクトまで。


さて、前回の記事はこちら ↓





『哲学の再構築』について

本章では、デューイの『哲学の再構築』という本を読み解いていく。この本は、1919年に東京帝国大学で行われた連続公演をもとにしている。この時期のデューイの様子は、下記の書籍『デューイが見た大正期の日本と中国』(書簡集)で知ることができる。

邦訳としては、『哲学の改造』(清水幾太郎訳, 岩波文庫)、『哲学の再構成』(河村望訳, 人間の科学社)などがあるが、前者が読みやすく入手しやすいので、そちらのページ数を示した。


デューイの哲学観

 妙な表現に聞こえるかもしれないが、デューイは、「反哲学的」な哲学観を採用していた。彼の哲学観のよく表れた一節が、『哲学の再構築』には度々出てくる。次に示すのは、そういう文章の一つだ。

このゆえに、最悪の場合、哲学は、手の込んだ用語法の展覧会、細々とした論理、包括的な論証や微細な論証という外的形式にすぎないものに対する偽りの献身へと変わった。最良の場合でさえ、哲学は、体系のための体系への過度な愛着を生み出し、確実性をあまりに仰々しく要求する傾向にあった。(Dover, p.12=29頁)

ジョン・デューイが、伝統的な西洋哲学に対して明確に批判的な姿勢をとっていたことが上記の引用からわかるだろう。

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