【翻訳】ジョン・デューイ「ジェファーソンについて」(1943)【全文】

アメリカの哲学者、ジョン・デューイの短い文章を訳します。

ほんの少し前置き

"Statement on Jefferson"と題された文章で、The Collected Works of John Dewey, The Later Works, vol. 15, p.366に掲載。

ニューヨーク市にある「倫理文化協会」(Society for Ethical Culture)のジェローム・ナサンソン文庫(the Jerome Nathanson Papers)にあるタイプ原稿。科学的精神と民主的信仰(The Scientific Spirit and Democratic Faith)に関する会議(ニューヨーク市で1943年5月29日30日に開かれた)のプレスリリースのために用意された。

トマス・ジェファーソン(1743-1826年)は、言うまでもなく、第3代アメリカ合衆国大統領(在1801-9年)で、アメリカ独立宣言の起草者の一人である。

デューイは、ジェファーソンの微妙な貴族主義などの問題点を理解しながらも、やはり彼に有意義な思想的遺産を見出そうとしていました(1940年にThe Living Thought of Thomas Jeffersonというジェファソンの選集に、解説となる序論を寄稿したほどです)。

あんまり読み取れることは多くないですが、以下は間違いなく言えるでしょう。

同時代のアメリカに権威主義が吹き荒れていたし、政治的分断がひどかったとの認識(アメリカ社会や民主主義の状況に危惧を抱いていた)
ジェファーソンに象徴されるように、アメリカには自由と民主主義と科学の伝統があるとの考え(危惧はあるけど立ち返るべき理念はあると信じていた)
 信じることと民主主義が結びついているという発想(目の前のわかりやすいことを言い募るだけで、民主主義はやっていけないと思っていた)

いずれも、私の博論に関わる内容です。いつか本になるはずなのでお楽しみに。さて、以下本文。

「ジェファーソンについて」

 トマス・ジェファーソン生誕200周年を最近祝ったばかりです。彼が生きているときには彼を罵り、中傷したような人に近しい〔立場の〕人たちでさえ、ジェファーソンの記憶にリップサービスを述べていました。〔しかし〕誇張のない事実として言えば、彼が実に勇敢に奮闘して求めた様々な自由(the freedoms)のために闘い続けている人だけが、彼の名前に訴える権利を持っています。

 ジェファーソンは、自由な探求と、様々な真理を人びとに所有させるような自由な教育が、自由な政府と自由な社会を究極的に支持し、保証するものだと主張しました。それゆえ、彼の信じること(faith)を再確認すること、そして、この信仰(faith)が足場としている(is grounded)様々な理由を言い直すことは、この〔会議という〕特別な時間にふさわしいし、必須のことなのです。私たちを取り巻くどこにおいても、権威主義への逆コース(recourse)が強まっていることの様々なエビデンスを見つけられるでしょう。国際政治においてだけでなく、全体主義の独裁者たちの野望(ambition)においても、自由な探求と自由な教育の様々な足場(foundations)が今強襲を受けています。そうした強襲は、哲学や教育において、様々な道徳説(morals)において、宗教(religion)においてみられますが、そこでの強襲は、科学的方法を知らぬ間に攻撃する(insidious attacks)という形をとっています。そして、強襲は、繰り返し言われるように、権威が断言した「第一原理(first principles)」の無批判な受容に立ち返る必要性を主張しています。その権威というのは、社会的混乱と果てしない道徳的葛藤(moral conflict)というコストを払って調査ないし批判されうるようなものなのですが。

 こうした根本的な理由ゆえに、心の底から、私はこの会議を歓迎します。この会議では、自由な社会(a Free Society)における、民主主義的信仰(Democratic Faith)と、科学的精神(the Scientific Spirit)の本来的な奪いえない繋がりについて、建設的な基礎に根差した議論が行われる予定でです。

(了)

使用するとき、参考にしたときは、記事名、URLと翻訳者名を明記してください。つまり、適切な作法で引用してください。

谷川嘉浩 2019.10.30

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