ジョン・デューイ「戦争の社会的帰結」(翻訳)

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ジョン・デューイ「戦争の社会的帰結」解題

内容というよりは、冒頭の一節に惹かれて訳出することに決めた。「新しい変化が起こったとき、その時には、まだ私たちは先例に縛られているので、その変化が意味するものを答えることができない」という趣旨の言葉だ。変化し続ける時代に、この言葉は思いのほか印象に残る。(デューイを記念した切手の写真↓)

本稿は、1917年6月29日に『ワールド』誌に掲載された、ジョン・デューイ(1859-1952)によるエッセイだ。彼は何か問題が起これば「デューイは何と意見をいうだろうか」としばしば意見表明を期待された当時の代表的知識人であり、彼と立場を同じくするかどうかとは別に彼の思想や発言は生前非常に大きな関心を持たれていた。そのデューイが、第一次世界大戦終結の一年ほど前に発表したのがこの短いエッセイである。(彼の文章は難渋で知られるが、インタビューを基にしたこのエッセイは驚くほど読みやすい)

2015年は敗戦後70年ということもあり、「戦後史」を振り返る機運が日本中で高まった。戦争の記憶を持つ人も少なくなっているとの焦りが真剣さを帯び、戦争に関する様々な証言が改めて集められた。政府による戦後七十年談話は、(談話が政治の道具化したきらいはあるが)多くの人々の注目を集め、メディアでも有識者が戦後史や談話を検証・検討する論考が多数出された。ただ、この国の人々の戦争に対する関心の宛先は、ほとんど第二次世界大戦に絞られてしまっている(実際、私たちは第二次大戦のことを「あの戦争」と言ったりもする)。安全保障に関する議論が過熱する今、未来を志向するためにも、私たちは自分たちの戦争概念を複数形にする必要があるのではないか。そして、複数形にするための一つの方法は、やはり過去のまた別の戦争に目を向けることだろう。

自由主義者であるジョン・デューイは、手段として戦争の一切を否定していたわけではなかった。時期によって立場はかなり変わるが、少なくとも第一次世界大戦のとき、彼はこの戦争を支持している。例えば、社会構造にもたらされた(皮肉であるにせよ)ポジティブな変化――女性の社会的地位の向上――をやや肯定的に彼はとりあげている。しかし、冷静な議論に徹しようとしているとはいえ、こうした議論の手つきは、やはり楽観的すぎるように思える。とりわけ戦争の非人道性に注目する人ならば、彼の楽観についていけないところがあるかもしれない。実際、デューイは第一次世界大戦前後、その楽観主義的な姿勢を批判され(有名なのは教え子のボーンによる批判)、そして、のちにはその批判を受け入れ、自身の哲学を再構築することになった。ともかく、このエッセイには、そうした批判で痛烈に批判される「やや軽薄なデューイ」が垣間見えることになる。

それにもかかわらず、戦争概念を複数化すると同時に戦争に関する語りを複数化する意味でも、戦争は何らかの「社会的帰結」つまり社会構造の変化をもたらすというデューイの視点は改めて共有されてよいと思われる。 そうでなくても、アメリカの自由主義者が戦争を肯定してしまった一つの事例として、あるいは第一次世界大戦中の知識人による発言の資料として、このエッセイは読まれるに足るだろう。

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