【前書き】「人生で一番長い文章を書く」

前向上

 この文章は、私が非常勤として行った京都市立芸術大学の四回生と修士課程の学生たちが書いた論文をまとめた冊子に、「序文」として寄稿したものです。

 学生たちは、4月から7月の授業で、論文を書き上げました。厳密には修正期間などもあるので、冊子として完成したのは、9月の終わりか10月の頭くらいだったようです。

 個別に内容に言及するには、少し学生数が多かったので諦めました。何人か特筆するのは、個人的には気が進みませんでした。なので、学生たちの言及は、読んだ学生が「私かな?どうやろ」と思う可能性がある程度に留めました。

 割とエモエモのエモに書いたのと、眠らせておくのがもったいないので貼ります。それに、メルロ=ポンティ論の引用とか、自分にブーメランとして返ってくる内容でもあるので、「学生に言ったこと、自分でできてんの?」という戒めの意味でも。

 なお、謝辞パートは、ごっそり削りました。でも、学生たちのことは自慢したいので、学生への感謝パートは残してあります(ふふん)

人生で一番長い文章を書く――プロダクトデザイン専攻2019年度論文集に寄せて

 私は、2019年度前期の毎週火曜に論文指導の授業を担当してきた。この冊子は、プロダクトデザイン専攻の学部四回生による卒業論文と、修士課程の院生による論文から構成されている。いわば、私が担当した授業の成果だ。

 大抵の学生は学部で卒業してしまうのだから、卒業論文は、その人にとって「論文」を書いた最初で最後の機会ということになるだろう。また、ここに掲載された論文の大半が12, 000字以上あることを思えば、卒業する学生にとっては、人生で一番長い文章を書く機会だったかもしれない。

 そうした事情を酌めば、実存や個人的な事柄に裏打ちされた文章ほど、“読ませる”ものに仕上がっていることが意識される。自分の深いところから発する、自身でも明確に捉えられないような、根源的な欲動。平たく、「悩み」とか「好み」と呼んでも構わない。何と呼ぶかはともかくここで言いたいのは、書くことで実存と向き合い、迷走できた人の文章ほど力があるということだ。そのことは、「論文」としての出来とはまた違う水準で、学生たちの文章の魅力を形作っている。

 とはいえ、それ以上に心を打つのは、明らかに個人的な関心に掉さしているにもかかわらず、実存など関係ないかのように、さらりと書かれた抑制的な文章だ。論文としての質が高い数編からは、その静かな迫力を感じ取ってもらえることと思う。それらの文章は、「論文を書く」という、ごく地味で地道な作業が、個人的な情熱と論理的な抑制を調和させる試みであることを、研究者である私自身に思い出させてくれた。

 授業の中で、調査結果や考えている内容を、明快な言葉と構成で表現し、他者に的確に伝えて、説得していくための最も標準的なスタイル(=文体)を学生たちは身につけた。少なくとも、そうした機会になるよう意図して私は授業を設計した。

 書くことについて考える上で、私の先輩にあたる研究者の佐野泰之が示唆的なことを言っている。メルロ=ポンティという哲学者がポール・ヴァレリーについて述べたことを、彼はこう整理した(『身体の黒魔術、言語の白魔術』ナカニシヤ出版 p. 279)。

……持続的に作品創造の経験を積み上げてきた作家の手元には、自分が生み出した作品よりも、「もっといいもの」が残されている。それは、作品創造の経験を通して作家の身体のうちに構成され、その有効性を検証されてきた表現のための「器官」あるいは「能力」である。作家はこれらの「能力」をさらなる創作に利用できるだけでなく、これらの「能力」の存在自体が作家にさらなる創作の動機を与え、作家を「もっと遠くまで」導いていく。作品創造の経験を通して、作家の言語それ自体が鍛えられ、作家の存在それ自体が変容していくのだ。このようにして作り上げられた「能力の体系」としての身体……こそが、物質的に生産された作品よりもさらに深い意味で作家の「作品」なのである。

書かれたものと同じ、いや、それ以上に、それを書くなかで身につけた能力こそが、学生たちの作品である。学生がそれぞれの仕方で何らかの能力を身につけたこと、そして、その能力が、制作のときだけでなく、大学を出た後でも役に立ってくれることを、講師としては願ってやまない。

 この授業を成立させるのに、多くの人から力を借りた。ひたすら頭が上がらない。気持ちよく授業に取り組める環境を整えていただいたと思う。ここに記して感謝したい。(計七名への謝辞は割愛)

 そして、一緒に授業を作り上げてくれた学生たちに、一番の感謝を伝えたい。講演や教養講座など、人前で頻繁に話していたものの、私にとって、15回の授業を持ったのは初めてのことであり、従って、これが初めての論文指導だった。私の最初の学生が彼らだったことを、心から幸運に感じるし、とてもうれしく思う。それ以上の言葉がでないくらい。

 研究大学ではない環境にあって、書くことに苦手意識のある学生たちが、たった半期で、テーマを決め、論文が何かを知り、調査し、これを仕上げたということは驚嘆に値する。この高評価が私の身内贔屓でないということを、一読して確かめてみてほしい。

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