優先席に座るか座らざるか。

結論から言うと私は優先席が空いていたとしても座らない。だからといって「優先席は譲ればいいんでしょ」という理屈で座る人を責める気にもならない。その理屈はある種の正しさを持っているからだ。ただ正しさは一つとは限らないので座らない側の理屈も書いておきたい。

理由の根幹は何かというと「今席に座るべき人を見分ける能力」の問題である。譲ればいいという理屈はプライマリーにはこの能力が自らに十分に備わっているという前提の上に成立するのではないだろうか。「もちろんその通り自分にはその能力がある」と言う人もいるだろうが私にはそこまで自信はない。身体の不自由さが必ずしも見た目に表れるとは限らないからだ。こういうことはざらにある、その想像から私は優先席に座るのは躊躇してしまう。

これに対して「席をゆずれと主張すれば良いではないか」という反論があるかもしれない。しかしながらこれも今座っている相手と自分どちらが座るべきか判断する必要がある。侃々諤々議論できるわけでなし、余程のことがない限り譲ってくれとは言いにくいものである。(そういうことが気軽に言える社会である方がいいとは思うが)

この様な事態はそもそも身体に余裕がある人が優先席に座ってなければ起きないし、まさにその席は必要な人へ開かれている訳である。それは効率が悪いだろと言われるかもしれないがそれは飽くまでも特殊な効率であって私は他の意味の効率を主張していることを理解されたい。

ということから私自身は優先席に座らない。もちろん優先席云々というのは狭い世界の話でじゃあふつうの席は?とか公共交通機関全体の?とか話を大きくすればきりがない。でもそれは私の身に余ることである、私には個人の考えを人に押しつけることなくここに書き記すのが精一杯である。