ほうちゃん

どうも、珍獣です。

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そういう意味でテクストに対する筆者の特権はある程度制限されると思う。なので確かに読解力というのはあると思うのだけど、「お前ら読解力がない」という筆者の言葉は読解力という能力の存在/非存在に関係ない最強(の拒絶)ワードであってあまり意味がないと思う。という当たり前な話。

    • ただ読者が批判的に読解するのはテクストであって筆者(の思考そのもの)ではない(もちろん通常は筆者に対して読者が抱く思考(筆者の意図を汲むことも含まれる)が反映されるけれど)のだから筆者の意図が伝わらない場合、そもそもそのテクストは筆者の意図を表現し得ないことはあり得る。

      • テクストを解釈としてあり得る可能性を批判的に比較検討しながら読む(あるいは揶揄でない意味で創造的に読むということも含まれるかもしれない)という仕方には人により巧拙があってその尺度を読解力というとき、そういう意味の読解力は確実に存在すると思う。

        • この前自分がC級グルメの天才かと思えるほど美味しいチーズ焼きうどんを作ったのだけどレシピを完全に忘れてもうた。ただ備忘的にSNSにレシピをのせるのって恥ずかしくてできないから、きっとこれからも作っては忘れていくんだろうな。人のレシピを見るのはとても好きで参考になるのだけど。

        そういう意味でテクストに対する筆者の特権はある程度制限されると思う。なので確かに読解力というのはあると思うのだけど、「お前ら読解力がない」という筆者の言葉は読解力という能力の存在/非存在に関係ない最強(の拒絶)ワードであってあまり意味がないと思う。という当たり前な話。

        • ただ読者が批判的に読解するのはテクストであって筆者(の思考そのもの)ではない(もちろん通常は筆者に対して読者が抱く思考(筆者の意図を汲むことも含まれる)が反映されるけれど)のだから筆者の意図が伝わらない場合、そもそもそのテクストは筆者の意図を表現し得ないことはあり得る。

        • テクストを解釈としてあり得る可能性を批判的に比較検討しながら読む(あるいは揶揄でない意味で創造的に読むということも含まれるかもしれない)という仕方には人により巧拙があってその尺度を読解力というとき、そういう意味の読解力は確実に存在すると思う。

        • この前自分がC級グルメの天才かと思えるほど美味しいチーズ焼きうどんを作ったのだけどレシピを完全に忘れてもうた。ただ備忘的にSNSにレシピをのせるのって恥ずかしくてできないから、きっとこれからも作っては忘れていくんだろうな。人のレシピを見るのはとても好きで参考になるのだけど。

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          これこれには経済的背景があるんですと「私の穿った見方」的な感じで語る人がいるのだけど、いや、そもそも経済的背景が無い社会的現象なんて無いんじゃないですかと思ってしまう。お金の話をすればリアリストみたいな風潮はいかがなもんだろう。

          これこれには経済的背景があるんですと「私の穿った見方」的な感じで語る人がいるのだけど、いや、そもそも経済的背景が無い社会的現象なんて無いんじゃないですかと思ってしまう。お金の話をすればリアリストみたいな風潮はいかがなもんだろう。

          今2000年くらいにでた論文読んでるけど、リファレンス見ると1940年代の文献が引かれてたり、1960年代の結果が1998年にパラフレーズされてたりでなんか不死鳥の様に蘇った分野感がすごくある。これもインターネットのおかげなのだろうか。

          今2000年くらいにでた論文読んでるけど、リファレンス見ると1940年代の文献が引かれてたり、1960年代の結果が1998年にパラフレーズされてたりでなんか不死鳥の様に蘇った分野感がすごくある。これもインターネットのおかげなのだろうか。

          大抵の場合は「考えるな、調べろ」という言葉を心に置いておくのがいい。

          大抵の場合は「考えるな、調べろ」という言葉を心に置いておくのがいい。

          人気者がたまたまトンデモなのか、トンデモだから人気が出るのか。トンデモ・トンデモ支持者である基準の一つとして「革新的な発見を世間は認めないものである」とか言い出してることを上げることが出来る。あと「今の科学者たちは(罵倒語)」とか「現状の科学の盲信が」とかいう言説も要注意だ。

          人気者がたまたまトンデモなのか、トンデモだから人気が出るのか。トンデモ・トンデモ支持者である基準の一つとして「革新的な発見を世間は認めないものである」とか言い出してることを上げることが出来る。あと「今の科学者たちは(罵倒語)」とか「現状の科学の盲信が」とかいう言説も要注意だ。

          新喜劇はどうなんだ、と言われそうだけど東京にいるので新喜劇を見る機会(一時期東京でも流してたけど)はあまりないのでよくわからない。松竹新喜劇と吉本新喜劇の違いだって微妙だもんげ。

          新喜劇はどうなんだ、と言われそうだけど東京にいるので新喜劇を見る機会(一時期東京でも流してたけど)はあまりないのでよくわからない。松竹新喜劇と吉本新喜劇の違いだって微妙だもんげ。

          しかし松本人志(か、その協力者達)はコントの型を作るのがうまかった。毎週コント番組をやっていたという関係もあるのかもしれないけどこれほど同じ型(兄貴とか子連れ狼とか)でたくさんのコントを作ってテレビに流した人はいないんじゃないだろうか。

          しかし松本人志(か、その協力者達)はコントの型を作るのがうまかった。毎週コント番組をやっていたという関係もあるのかもしれないけどこれほど同じ型(兄貴とか子連れ狼とか)でたくさんのコントを作ってテレビに流した人はいないんじゃないだろうか。

          最近の松本人志は腕の良い大工が周りの皆に推されて県議会議員になってしまったみたいな感じがある。本人もその気になってしまってる感があるけど。

          最近の松本人志は腕の良い大工が周りの皆に推されて県議会議員になってしまったみたいな感じがある。本人もその気になってしまってる感があるけど。

          普通の企業の節税ならあまり気にしなそうだけど税金の分配を決める政治家とその分配を大いに受けた東洋の元政府系航空会社なんかはそりゃ関心を引くよなと思う。

          普通の企業の節税ならあまり気にしなそうだけど税金の分配を決める政治家とその分配を大いに受けた東洋の元政府系航空会社なんかはそりゃ関心を引くよなと思う。

          TBSのアナウンサーみたいな人が「日本人は右脳が弱いなんて言われてますけども」と発言していたがソースはあるのだろうか。別に日本人様の右脳が弱いわけないじゃないか!と怒りたいわけじゃなくて、「右脳が弱い」の意味がわからないし、何と比較して「弱い」のかとかいろいろ疑問なんで。

          TBSのアナウンサーみたいな人が「日本人は右脳が弱いなんて言われてますけども」と発言していたがソースはあるのだろうか。別に日本人様の右脳が弱いわけないじゃないか!と怒りたいわけじゃなくて、「右脳が弱い」の意味がわからないし、何と比較して「弱い」のかとかいろいろ疑問なんで。

          あまりにも曖昧な原理にしがみついてしまうと、なんでもかんでもその原理に結びつける癖がついて、結局物事の文字通り分別がつかなくなることがある。そしてそれは結構な迷惑な時がある。「定説なんです」(ちょっと古いか)と連呼していた集団を思い出すとわかりやすいかもしれない。

          あまりにも曖昧な原理にしがみついてしまうと、なんでもかんでもその原理に結びつける癖がついて、結局物事の文字通り分別がつかなくなることがある。そしてそれは結構な迷惑な時がある。「定説なんです」(ちょっと古いか)と連呼していた集団を思い出すとわかりやすいかもしれない。

          オカルトと言ってるのは俗なギャンブル用語としてのこと。「実は等価交換なのです!」というのは結局(自分から見て)理不尽な取引や、自分の努力の投入が最終的には天罰を受けるや報われるだろうと考える綱にしかなってないことが多くて、「人生の運の量は一様」的な考え方と区別がつかない。

          オカルトと言ってるのは俗なギャンブル用語としてのこと。「実は等価交換なのです!」というのは結局(自分から見て)理不尽な取引や、自分の努力の投入が最終的には天罰を受けるや報われるだろうと考える綱にしかなってないことが多くて、「人生の運の量は一様」的な考え方と区別がつかない。

          「この世は等価交換」的な話(別にそういう心持ちを持つことが悪いとは言わないけど)が好きな人が多いのはおそらく鋼の錬金術師の影響だろうけど、何やらいろいろ質の違うものを持ちだして実はこれが等価だったんですってのは後付のオカルトであることが多い。

          「この世は等価交換」的な話(別にそういう心持ちを持つことが悪いとは言わないけど)が好きな人が多いのはおそらく鋼の錬金術師の影響だろうけど、何やらいろいろ質の違うものを持ちだして実はこれが等価だったんですってのは後付のオカルトであることが多い。