Maminga

🇺🇸🇨🇳🇪🇸 🇯🇵 マルチリンガルで元ホテルマン。 初めての就職は北京、オリンピックを経験して…

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🇺🇸🇨🇳🇪🇸 🇯🇵 マルチリンガルで元ホテルマン。 初めての就職は北京、オリンピックを経験してからスペインでフラメンコを習い、日本に戻るも超ドメスティックな企業に勤め、再度ホテル、ベンチャー、派遣など迷走しながら現在海外生活のため計画中。

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  • チャイナ~学生編

最近の記事

春行を観て

台湾の王品文監督、彭紫惠監督、女性2人の作品。 台湾映画祭にあり、友人がチケットを取ってくれて観にいきました。 長年連れ添った夫婦の片割れが突如亡くなる所から家族の関係などを繊細に描写していく、静かだけど色々考えさせられる映画だった。 観ていて自分の両親が浮かび、いたたまれなくなった。 自分の父親も主演の夫の行動や感情表現が似てるので余計にイライラしたり、もどかしかったり。。。 荷物を妻役の人がずっと持ってる所とかも同じで持ってあげてと心の中で叫んでましたw(でも持たない

    • 夢日記~逃げ切り~ ①

      結構夢を見る方で起きても鮮明に覚えてるうちにメモしよと思いnoteにつづっていきます。 昨晩見た夢は逃げ切り😂 どこかのホテルのスイートか宴会場で高校時代の元彼と同級生(全て香港人)がいる。 うち1人のボーイッシュな同級生が何故か上半身裸でそれを元彼がバカにし始めて、それをみて私の中にとてつもない怒り爆発 「そこまでお前堕ちたのか!」 と叫び間に入ろうとすると逆ギレされ、慌ててエレベーターがきたので閉じるボタンを必死に押す。 やっとエレベーターが動きだしたので撹乱のため1

      • 無くした財布は忘れた頃に

        中国の生活も早3年半の冬のある日 友人達と夜飲みに行った帰りタクシーで戻る チャイナのタクシーの運転手さんは当時まだ当たり外れが多く、オリンピック間際で車種が新しくなって金額も一律になったがまだまだ昔の安い(エアコンなし)とのタクシーで清潔感がない方も多数いる時代 夜中でほろ酔い気分の私にぞんざいな態度の運転手さんの態度にも腹は立たなくなってはいたが毎度ストレスではあった。 ただその日は支払いをすませエントランスに立った所で財布がみつからない。 ない、バッグにもポケット

        • カンボジア キリングフィールド

          2回目のカンボジア訪問でプノンペンにあるキリングフィールドへ。 昨年はS21までは行けたけどあまりの歴史の壮絶さに自分h何も知らなかった事に愕然として帰国してから関連文献など読み漁った。 キリングフィールドに行くまでの道にはとてつもない大きいイオンモールや新興住宅などがあった。 到着すると木々に囲まれた塔が見える。 音声ガイドをつけて友人と中へ進む。 進むごとにどれだけのひとが犠牲になり、理不尽に虐殺されたかが淡々と語られる。 慰霊塔の裏には池があり、とても綺麗な景色

        春行を観て

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        • チャイナ~学生編
          2本

        記事

          電磁波と母娘 (日本編)

          順を追ってないですが、 思い出したので書こうと思った対応しながらもネタにしかならないと思ったエピソードです。 ホテルは午後は当日の予約のチェックインがメイン。 当時私の業務はナイトマネージャーといい、夜間お偉い様のいない時の責任者と聞こえはいいが実質全ての部署からくるクレームや雑用を手伝ったりが(人手がいないとか)メイン。 ある夜ウォークイン(飛び入り)で予約なしのお客様がフロントに。。 中年の物腰穏やかな女性とちょっと足元おぼつかない初老の女性。 「予約がないんですがお

          電磁波と母娘 (日本編)

          7階エレベーター

          ホテルで働いてるうえで語られる話として 心霊現象。 私のいたホテルでも過去お亡くなりになった事案が。。。 欧米の夫婦で旦那様がジムで運動して帰ってきて部屋に戻ったら息を引き取ってたそう。外傷もなく心臓発作だったという話。 それが7階の部屋で奥様は毎年命日にその部屋を予約して滞在してるそう。 ある日その話をエレベーターの中で同僚が話してくれた時 押してもないのに7階でエレベーターが止まり、ドアが開いた。 2人で顔を見合わせて引き攣った笑いでお互いを見る。 その後何事

          7階エレベーター

          客室フロアのドアを叩く女

          ホテルのシフトは3交代で朝は7:00-16:00、午後は15:00-22:00、夜勤は21:30-7:00となっている。 私は当日午後シフトがメイン。 忙しくてもチェックインが終わると団体などがない限り20時くらいから閑散とする。 そんなある日セキュリティから連絡が。 客室フロアを歩きまわってドアを叩いてる人物(女)がいると。 当時同じようにドアは叩かないけどドア下にピンクのチラシをいれていく輩もいたのでそれかと思いつつ向かってみた。 マネージャーと一緒に行くと確かに

          客室フロアのドアを叩く女

          2004年 北京へ

          アメリカにて高校、大学と進んで気がついたら、周りにはバイリンガルがうじゃうじゃいた。 あさはかな私はそこで考えたのが、 「新しい言語」をまなべば、他の人とちょっと違うんじゃない?とおもい、北京に行くことにする。 もともとアメリカでも特に何かになりたい、やりたいという目標がなかったたのと、両親が中国語を話すので、案外スムーズにいくことになった。 その頃はまだ中国に対して、あまり目が向けられてない時代だったので、アメリカにいるのになぜ中国?という意見をよく聞いた。あの頃はあさ

          2004年 北京へ

          語学留学は太る

          まったく中国語がわからないなかでも授業が始まれば友達もでき、なによりDVDが格安で手に入るので日本のアニメを見ながら中国語の勉強をしたりと1人なりにも充実した最初の3か月はあっという間に過ぎた。 その間に遠距離していた彼氏には好きな人ができたと振られ、大泣きしていたら友人に慰めてもらうなど青春もありつつ、1つ気が付いたことがあった。 中国の物価は当時まだまだ安く、食事など約30元もあれば3食量もたくさん食べれた。餃子や、街角にでている出店にある豆乳や肉まんなど食は合ったの

          語学留学は太る

          なぜチャイナ?~渡航まで~

          2004年の冬。 アメリカに留学中にふとおもった。やりたいこともない。周りをみるとアジア人で英語をしゃべる若者はわんさかいる。じゃあせめて3か国語できれば人とはちょっと違うんじゃない?というとっても浅はかな気持ちでチャイナ行きを決定。 当時親はびっくりしつつも、勉強のためならと納得。そして周りの友人からは「え?中国?アメリカにいるのになんで?」 など、ちょっと蔑まれつつも新天地へ。。。 当初は語学学校に入るということでビザ申請用の書類、そして病院の証明書、なぜかX線の

          なぜチャイナ?~渡航まで~

          はじめに

          アメリカ~中国~スペインとふらふらして日本に帰国後、もろドメスティックな会社からまたホテル、ベンチャー企業、派遣などを経て過去を振り返ってみると結構おもしろい時代をおもしろい国にいたなと思い、思い出せる限りを文章にしてみようと思いました! 特に中国時代は2005年~2010年とオリンピック前~リーマンショックと時代の節目を見れたのはなかなか感慨深いし、そのあおりのせいで、新天地に向かったっていうのもあるけど。(笑) 海外に行ったからこそ日本ってすごいなっと思ったり、自分の

          はじめに

          仕事辞めますか?毛を抜きますか?

          私が北京の外資系ホテルに勤めて半年ほど。 やっと仕事のやり方や、同僚とも馴染みはじめたころのエピソード。 中国ではホクロから伸びた毛は幸運、縁起がいいので、生えてきたらそのまま伸ばす習慣がある。 ある日、ホテルの支配人(アメリカ人)がロビーを歩いてるのが見えた。そしてベルデスクで足を止め、そこにいるスタッフと何やら話していた。しばらくすると話が終わったのか、そのまま歩き去った。 話しかけられていた同僚に何をしゃべってたのか聞くと、彼のほっぺにあるほくろから毛が(約2c

          仕事辞めますか?毛を抜きますか?