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Episode 669 地動説を知るのです。

「それでも地球は動く」はイタリアの天文学者、ガリレオ・ガリレイが言った有名な言葉です。
「近代科学の父」や「天文学の父」と呼ばれる彼は…

1632年、地球が動くという旨を書いた著書『天文対話』を発刊した。
それに対する罪で1633年に裁判が開かれ、有罪が告げられ、地動説を放棄する旨の異端誓絶文を読み上げた後につぶやいた

wikipedia「それでも地球は動く」より

…と、されているのです。
裁判や言葉についての詳細は「諸説あり」のようで、本当のところはどうだったのかは今ひとつ謎に包まれているようですが、コペルニクス以降の中世ヨーロッパにおける天文学で、彼が果たした役割が極めて大きいのは間違いありません。

ところで、私は前回のnote記事で、あれほど「物理的に良く見える眼を持つ」と言い放っておきながら、星を見る眼は持ち合わせていないのです。

「座標軸を引けない」と言ったら良いでしょうかね、春の一等星と言えば、しし座の「レグルス」おとめ座の「スピカ」うしかい座の「アークトゥルス」なのだそうですが…空を見上げても、何を基準にしてどのように見たら良いのか、私にはサッパリわからなくてですね…。

そんな天文学にとんと疎い私が、何故わざわざこんな話題を出したのか…と言えば、先日のこのツイートが気になったからです。

このツイートは次のように続きます。

どんなに地動説が常識になっても、地面に立って生活する分には、地面は動いていない…感覚的にね。
天文学に興味がなければ、地動説を理解しなくても生活には困らないワケで。

多様性とは、ここからどれだけ自らが回っているという相対的なイメージが作れるのか…ということなのだと思うワケです。

地上で生活する私たちは、「地面は動かずにお天道様が地球を回っている」方向のイメージで日常を送っているワケでして、それはガリレオ以前から何の変化もないのですよね。
当然のことながらガリレオ以降は徐々に地動説が優勢となり、今となっては「地球は丸い」は常識で、それ故に飛行機などの高速移動手段を使った海外旅行などをすれば、地球の自転分の時間のズレを「時差ボケ」という形で体感することになるワケです。
それはその通りなのですけれど、あくまでも相当な距離を一気に移動した時の「不思議な現象」のハナシでして、日常生活を送る上で時差を経験するなんてことは、そうあることではないのですよね。

この「地動説という真理」がありながら、日常生活は「既存の天動説で十分」という感覚が、(ニューロ)ダイバーシティをめぐる社会の現状とよく似ている…と私は感じるのです。

天動説の最大の特徴は、自分たちの視点から見た周囲の動きでものごとを考えることにあるのだと思います。
それ故に、自分たちに都合の悪い出来事は、粛正や排除の対象となる…ガリレオが裁判て有罪になったようにね。

私たちが認識する「障害」とは、私たちの日常生活に支障を来たす事象を指していることが一般的です。
ザックリ言えば、この「障害」を社会生活に支障が出ないように治療/療育する方向が「医療モデル」という障害に対する考え方です。
敢えて乱暴な言い方をすれば、社会構造に合わせて障害を矯正しようとする天動説的な考え方と言えるでしょう。

ただね…この考え方だと、私たち障害を持つとされる人は、その障害が社会の迷惑にならないように常に神経を使って生活することを求められるのですよね。
ここに障害があることが原因になる「他の障害(≒二次障害/疾患)」を招く素地があるワケです…コレは上手くない。

このようなことが「医療モデル」と呼ばれる障害者福祉の、わかりやすい限界点なのだと私は思うのです。
もちろん「医療モデル」の限界は、この一点のみでは語れないのですけどね。

それ故に「医療モデル」と言う天動説ではない、地動説的な理論が必要になる…それが「(ニューロ)ダイバーシティ」という発想ということなのです。
この辺りの考え方については、過去記事「必要、必然、ベストです。」に書いているので、そちらにジャンプしていただくとしまして…。

ポイントになるのは、天動説でも何の問題もない多数派である「ニューロティピカル(Nurotypical)=定型発達」の人たちが、地動説をどれだけ理解して受け入れるのか…ということです。

野球で日本のナショナルチームである「侍JAPAN」の優勝で幕を閉じたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の予選ラウンドは、世界3ヵ国(地域)の4つの球場に分かれて行われ、クライマックスである準決勝・決勝はアメリカ・フロリダ州のローンデポ・パークで開催されました。
ローンデポ・パークのあるフロリダ州は、グリニッジ標準時から5時間遅れのアメリカ東部標準時間で動く地域、方や「侍JAPAN」が準々決勝までプレーした東京は、グリニッジ標準時から9時間早い日本時間の地域、時差は実に14時間もあるワケでして。
決勝のアメリカ戦があった3月22日9:00(日本時間)は、フロリダ州のローンデポ・パークは3月21日19:00(アメリカ東部標準時間)でした。
「平日の午前中から決勝なんて、見れない、残念!」と思っても、コレは時差があることが当たり前で、それの同時(LIVE)配信が可能になった今だからこそのハナシでして、地動説的な理解があれば「時差は仕方ないよね…」という納得に繋がるワケです。

ものごとの理解とは、こうした自らの常識を相対的に捉えることで大きな進歩を生み出すのだと思うのです。
今回のハナシは現代社会の構造的な問題と、その解決方法としての(ニューロ)ダイバーシティと言う考え方を「天動説/地動説」に例えてお話ししました。
それとは別に、ASD的な他者視点の欠如を題材にした全く別の「天動説/地動説」のハナシがあるのですが、そちらのハナシはまた次回に…。


(ニューロ)ダイバーシティをイメージした「天動説/地動説」の解説については、提唱者であるすぷりんと(@External_WM)さんのツイートに詳しく書かれています。
興味のある方、ぜひご一読を。

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