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「断罪パラドックス」   第10話

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 なんだか段々と雲行きが怪しくなりはじめたのが一条くんに理科室に呼び出された時からだった。いつも一条くんは自分の家に私を呼び出していた。あの大きな二世帯住宅は右側に亡くなった一条君の祖父母が住んでいたらしい。そして、左側部分が一条くんと一条くんのお母さんが住んでいるということだったけれど、いつ行ってもあのお母さんの気配はしなかった。そして、何度もあの家に行っているうちにキッチンやリビングに生活感がないことがどこか不気味だった。

「ここって、通いかなんかで家政婦さんとか来てる?」

「どうして?」

「なんだか……」

 うまくその時は説明できなかったけど、使われていないかんじがしたし、個性がないような気がした。隠しきれない空虚さが露呈していたのだと一条くんが死んでしまった今なら言えるけれど、その時の私は言語化できずに、一条くんを苦笑させるだけだった。

 そんな家の中で、一条くんの部屋もなんだか違和感があった。本人が放っている個性と、部屋の中の雰囲気が妙にずれていた。小学生の低学年からしきっぱなしにしているような九九の一覧が書かれているデスクマットが目を引いたし、漢数字が振られている掛け時計はきっと一条くんが選んだものではないような気がした。

 部屋が小学生のまま成長を止めているようなかんじだったのだ。

 その部屋でセックスをするたびに、私は奇妙な背徳感を覚えていた。

 それでも、呼び出されるたび、私は一条くんの部屋に行った。

 そんな風にしていつも一条くんの家に行っていたのに放課後、理科室に呼び出された時は驚いた。しかもご丁寧に暗いカーテンを全部締め切って真っ暗だった。

 理科室のある理科棟には理科室や社会科室や視聴覚教室、そしてパソコンルームなどしかなく、放課後はほとんど人がいない。秘密めいたことをするならうってつけかもしれないとは思った。真っ暗な理科室にほんの少し不安を覚えながら中に入ってみたら、誰が私を呼んだ。

「二村さん? 意外と大胆なんだね、君は」

 振り返ると誰かに羽交い締めにされた。

「あんな官能小説のような手紙を書くなんて驚いたよ」

 なんのことか分からないけれど、私にとっては悪夢のはじまりだった、ショウさんに身動きを封じられた日のことが、フラッシュバックして石のように動けなかったのだ。そして、声の主がようやく分かる。

「大神先生?」

 私たちの学年担当の数学教師の声だった。真面目で神経質な先生という印象しかなかった。どうしてこんなことに? 頭の中は絶叫したいくらいパニックだったけど、体は動かなかった。大神先生は、何かうわごとのようにつぶやきながら私の体をまさぐっていた。言いわけをしているみたいだった。

 ショウさんみたいに。私がいけない。私が悪い。私が嫌らしいから。私が汚らわしいから。ああ、お母さんみたい。ぐるぐると色んなことが頭の中で駆け巡っていた瞬間に突然フラッシュが光ってシャッター音が聞こえた。私は叫ぶ代わりに過呼吸を起こしはじめた。大神先生は私以外にも誰かがいることに気づいて私から離れて、写真を撮った人間を追いかけはじめた。

 苦しい。本当に死んでしまうかもしれない。と思いはじめたころに思いもしない人が私にレジ袋をかぶせたので思わずその袋を払いのけた。

「……三国くん? な……んで?」

「過呼吸だろ? 死にそうにきついんだろ? いいから、それかぶってゆっ
くり深呼吸しろ。ゆっくり……」

 三国くんとしゃべったのはこの時が初めてだった。三国くんには確かに色んな噂があった。父親が反社だとか、生活保護をもらっているとか、中学生の時に鑑別所に行ったことがあるだとか、よくない噂ばかりだった。私も三国くんのことは、みんなと同じように遠巻きにしていたけれど、過呼吸で苦しんでいる私を三国くんは助けてくれたし、大神先生にめちゃくちゃにされた制服に気づいた、三国くんは自分の学ランの上着を私にかけてくれた。噂なんてあてにならないと思った。もしかしたら本当のことだってあるかもしれないけれど、今この瞬間、私を助けようとしてくれているのも三国くんだ。私の呼吸は徐々に落ち着いた。

「大神先生が追いかけてるのって、一条くん?」

「ああ。たぶんな」

「いったい、どうして?」

「俺にも分からない。一条の考えてることは全然分かんねーわ。でも自分の彼女にこんなことすんのはどう考えてもおかしい。二村は平気なわけ?」

 平気なわけじゃないけれど、私と一条くんの関係は三国くんには説明できなかった。

「きっと、何かわけがあるんだよ」

 私がそう言うと、三国くんは唇をわずかに歪ませて微笑んだ。それはとて
も悲しい微笑みで、そんなはずがあるはずもないのだけれど、身長が二メートル近くもある三国くんを小さくみせた。三国くんにも「何かわけ」があって一条くんと関わっているんじゃないかと思わずにはいられなかった。どうして三国くんがここにいたのか尋ねると、それは一条に聞いてくれと言われた。

 私は三国くんと理科棟を離れて、そのまま家に帰ってから、一条くんにメッセージを送った。自分がなんの役を受け持たされているのかが知りたかった。

――無事に逃げれた?
――どうして、大神先生を呼び出してたの?
――どうして、三国くんがいたの?
――いったい、何がしたいの?

 もやもやした気持ちから、いつになく矢継ぎ早に質問攻めにしたけれど、一条くんからはなかなか返事が来なかった。

 ようやく来た返事にますます、もやもやした。

――大神には変な噂があったから、証拠が欲しかった。
――三国を呼んでいたのは万が一の時のため。
――僕が何をしたいのかは二村さんは知らない方がいいと思う。

 大神先生の変な噂の証拠を掴んでどうしたのかを一条くんは教えてくれないまま死んでしまった。でも、あの理科棟での一件以来、私はあまり一条くんの家には呼ばれなくなった。だから、一条くんのお母さんは私と一条くんが別れたと言ったのかもしれない。でも私たちの本当の関係は絶対に知らないはずだ。同級生? セックスフレンド? 忠実なしもべ? 性奴隷? どの言葉も正しいかもしれないし、違っているかもしれない。でも、一条くんが死んでしまって私の胸に去来している寂寥感に似た感情は、私が少なからず彼に依存していたことを私自身に見せてつけているような気がしてならないのだ。

 そして、私は大神先生がやったことを五十嵐先生に話した。先生だけが私の異変に気づいたからだ。でも、それと一条くんの自殺はまったく関係のないことだと思う。


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