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わたしの知らない息子になっていけ

暖冬の3月はいつまでも寒いという印象がある。今年の3月も寒の戻りが長く、ここさいたまでも、うっかり咲いたユキヤナギが寒そうに揺れている。

卓球サークル後輩の卒業を祝いに、出雲に住む息子が帰省した。帰省は例によって出雲-東京便の夜行バスをフル活用の弾丸ツアーだ。朝やってきてご飯食べながら昼までしゃべって、卒業を祝いに出かけていった。

彼は社会に出て約一年。就活は苦労続きだった。何社も申込み、お祈りメールを何度ももらった。大学4年の夏前にようやく出た内定。その会社で働いている。大学3年生の弟は鳥取に住んでいて(なぜか兄弟揃って山陰にいる)、就活についてときおり相談に乗ったりしていたらしい。

その弟が驚くほどの速さで就活を終わらせたことについて、兄としては
俺が知ってるM(弟の名)じゃなくなったよ…家を出て一人暮らしで世渡り身につけてるよ…」と、嬉しさ半分、さみしさとうらやましさ半分で話していた。二歳しか違わないのに何だか親みたい。素っ気ないようで何かと気に掛けている。

そう話す彼は大の卓球好きだ。
中学から始めた卓球を高校・大学・社会人になった今も続けている。わたしから見て驚くのは、生まれつき筋力が弱く卓球で華々しい成果を出していないのに、好きで続けていること。上手になりたい、だけどなかなか上手くいかない…それでも好きなのだ。

彼はわたしに「好き」とはどういうことかを教えてくれている。「上手くなければ好きと言えない」「知識がなければ好きと言えない」という「条件づきの好き」を蹴散らして、「好きだから卓球する」をひたすらやっている。

大会でも二試合は勝てるようになった。でもそのあとがずっと勝てなかった。練習で出来ているプレーが本番でなかなか出来ない。高校・大学とうなだれて帰宅することも多かった。だけど二週間もするとまた大会に出たいと言う。

そんな子が社会人になって、ついに3勝の壁を突破した。

先月さいたまに帰省したときに、賞状を夫に見せながらうれしそうに話していたそうだ。わたしは家を空けていて、夫から電話でその話を聴いた。これまでの道のりが報われたような気がして、胸が熱くなった。本人には「結果というより今までの努力が表に出たことが本当にうれしい、よかったなぁ。」とメッセージを送った。

改めて顔を見ながら直接、おめでとうを言った。彼は賞状とパンフレットをわたしに見せながら「社会人の今になって卓球が上手くなっている」と少し誇らしそうだった。

わたしの知らない息子が、そこにいた。


その息子が奥歯を見せてきた。銀色(アマルガム)の詰め物がセラミックになっていた。節約生活ながら、虫歯の治療のついでに思い切ったらしい。そして言った。

「おれ、親知らずが二本あるんだ」
「え? 上の二本だけ抜かずに残ってるってこと?」
「いや右は抜いた。左上に二本ある。たまにそういうひとがいるらしい。」

息子は親知らずを全部で5本持っていた。マジか…
わたしの知らない息子、ふたたび。


振り返ると干渉は避けていたけど把握したがりの母親だった。子どもたちに暑苦しいと感じさせたと思う。ごめんなさい。彼らが成長の過程で「把握の手から必死に守り抜いた事柄」もあったはず。今はそれで良かったのだと思う。守り抜いてくれてありがとう。ここまで育ってくれてありがとう。

全てを把握するのは支配と同じだ。把握したら「こうあってほしい」と欲が出る。子どもは敏感にそれを感じ取る。そして支配したりされたりの関係は、親子関係には要らないどころか悪影響で、わたしが嫌というほど経験したことだった。

子育てで一番避けたかったことなのに、支配に片足突っ込んでいたと思うと胸がえぐられる。息子達二人とも家を出て、それぞれが遠く離れた地方で何かと心細かったろうと思うけれど、頻繁に連絡することは控えた。親も子もこの距離に助けられたのかもしれない。


君も、君の弟も間違いなく、「わたしの知らない息子」だよ。
親から離れて、一つ一つの経験を味わい、じぶんで判断しながら人生を歩き始めています。そうやって自らの可能性を広げていってください。信じています。

春本番、花々がのびのびと咲く季節が間もなくやってくる。
わたしの知らない息子になっていけ。

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