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しんどかったけど、ひとの優しさの中で新たな人生の歩みを感じた帰省旅

腰を痛めて入院中だった86歳の母が、引き続き施設でリハビリを続けることになりました。入所日が確定して一週間後の11月下旬、手続きや付き添い等のため埼玉県から郷里の島根県に帰省しました。

母に会うのは5年ぶり。この間一度、郷里を訪れましたが母に会えないままでした。

母はわたしが車の運転をすることをとても嫌い、以前からわたしの運転する車には乗ったことがありません。3年前、息子の引越しで鳥取まで来たので車で寄ると伝えたところ、途中で何度も「帰ってくるな」と電話がきました。

「渡したいものがあるから玄関先で帰る」と言ってもけんもほろろ。いくらなんでも…コロナ禍を割り引いても寂しかったです。

荷物は結局郷里の郵便局から小包で送り、局員さんから「これで合ってますか?」とマスク越しながら怪訝な顔をされました。「ここまで来たのなら直接渡せば…」そうですよねぇ…そう思いますよね(苦笑)、みたいな間のあと、荷物を引き受けていただきました。

そんなほろ苦い出来事を経て、5年ぶりに母に会います。

今回の帰省も楽しい旅行とはすこし違うものですが、多くの方に助けられました。終わってみればひとの優しさを受け取る旅になり、記録に残したいと思いました。時系列で追っていきます。


1日目:さいたまから島根(益田)まで

さいたま市内から電車で羽田空港へ。飛行機は久しぶりでもあり、旅の高揚感があります。保安検査場では「くるぶしの隠れる靴は脱いでください」…ハイカットシューズを脱ぐ羽目になり、もたもたしながら通過。(こういうところをさっと通れるひとに憧れるけど、完全に無いものねだりだ…)

乗ったのはJALのディズニー塗装の飛行機。サービスドリンクで使われた紙コップにもミッキーたちが。そして降りるときに記念のステッカーをいただく。

搭乗記念のステッカー

広島空港からリムジンバスで約1時間で広島駅へ。紅葉が、暖色系のパッチワークみたいできれいでした。駅ビルのアンデルセンでパン二つとサラダとハーブティーの昼食。(ラーメンにしとけば良かったかも)なお値段でしたが、旅のささやかな贅沢ってことで。

一休みして今度は益田行きのバスに乗り換えます。一級河川の高津川を見ながら走る約3時間。高津川は中国地方でもトップクラスの清流で、上流にダムがありません。久しぶりの高津川は水がとても澄んでいました。水底の石までよく見えます。18時頃ホテルに入りました。

新型コロナの後遺症になってから、休養目的で広島に行ったことが何度かありますが、広島だったから何とかなったのだと実感。丸一日の移動で疲れました。21時には猛烈に眠くなり電池切れ。

2日目:益田にてめまぐるしい一日

午前中、前回の入院でお世話になった親戚を訪ねてお礼。その後実家の近所の方を訪ねて挨拶。未払いのものやたまった郵便物の確認。中に入院時のレンタル品の請求書が来ていて慌てて払う。(医療費はわたし宛てに請求が来たのになんでこれだけ本人宛て…)

益田川。久しぶりの郷里の風景。

お昼は37年ぶりに思い出の味「グラタン」を食べました。
高校生活が終わる頃、クラスメイトに誘ってもらって初めて行ったお店。喫茶店に行って初めて食べたメニュー。グラタンは知っていたけど食べたことがなかった。とても緊張して、だけどワクワクしながら食べたっけ。

かつては屋根が緑色でした。喫茶グリーン。

店主は現在、マダムという感じの上品で笑顔のかわいい70代の女性。パートナーが療養の身になって26年、ひとりでお店を切り盛りしてきたそうです。グラタンとサラダと、食後にコーヒーを懐かしくありがたくいただきました。当時と値段が変わらないことに驚愕。

(この後やってくる嵐を知らない、のんきなわたしです。)

午後は包括支援センターにて担当者さん、そしてこの度入所する施設の担当者さんと打ち合わせ。契約内容について説明を受ける。

え?わたしの印鑑もいるんですか?!(買わねば…)入所のしおりはこっちに来る前に欲しかった。持ち物に記名…そりゃそうですよね、集団生活、しかも入れ替わりが激しいのだから。そして利用料の減免を受けられる可能性があるからまず市役所で確認した方がいいとのこと。

のっけから情報量多すぎやしませんか…このあと自分が日程を軽く考えていたことを思い知ります。

  • 市役所に行き、利用料減免の条件や申請方法の説明を受ける

  • 病院に行き、支払いの話をし、母の持ち物の希望を聞き、鍵を受け取る

  • 実家に行き、施設で必要な持ち物の準備、貴重品を預かる

  • ホテルに戻り食事(20年以上ぶりに苦労続きの従姉妹に会った)の後、書類の準備

病院は面会禁止中でしたが、主治医の許可が出て母に会うことが出来ました。短時間で済ませねばと焦るわたしと、あれもこれも話しておきたい母。思うようにはいきません。

そしてとにかく持ち物準備の時間がない。車がないので用意したものを乗せておくことが出来ず、タクシー使うにしても乗るまでは全部抱えて歩くことになる。おまけに実家は団地の3階でエレベーターは無し! 

ハアハア言いながら車に乗れたのは、指定時間に来てくれたタクシーがしびれを切らして帰りかけたときでした。ドライバーさんは、謝るわたしに「大丈夫ですから、落ち着いて下さい」。穏やかで優しい声でした。

初日にして早くも息切れ…(わたしはコロナ後遺症。重いものを持って走るなど悪化の要因でしかないのです。)

食事の後は疲れ切ってしまい、いろいろあきらめて横になったけど明日のことが気になり…脳のスイッチが切れなくて寝付けず困りました。

3日目:いよいよ退院と入所

寝過ごすことを怖れて4時頃目が覚める。5時から書類を書いて、名前書きはできないまま8時半にタクシーで病院に向かう。

「これから母を迎えに行って、○○苑(施設の名)に行くんですけど、9時半に来ていただくことって出来ます?」
「それは出来ますが…お母さんタクシー乗れそうですかね。うちの会社には車椅子のまま乗れる車両もあって、僕担当者です。
「ええっ?! それすごく助かります!! その車で来ていただくことって出来ますか?」
「いいですよ! 9時半ですね」

なんというミラクル!

前日、母は「タクシーくらいは乗れる」と豪語していました。ですが傍から見てどうにも危なっかしい様子だったのです。看護師さんからは何度も確認されたのですが、本人は大丈夫だと言うし他の選択肢もよくわからず心配でした。

このタクシーのおかげで、母は病院の車椅子からタクシーの車椅子、施設の車椅子に乗り換えるだけですみました。運転も丁寧で本当に助かりました。第一交通さん、ありがとうございました。

本人の「出来る」と実際に安定して「できる」かどうかは一致しない…うーむ。

入所する施設は「介護老人保健施設(いわゆる老健)」で、基本的に3か月の入所期間です。ここでリハビリなどを通じて日常生活に戻る練習をします。3か月後は退所して自宅に戻るか、別の施設に移るかになります。
(やむを得ない場合には契約延長もないわけではありませんが、基本的になかなか空きが出ない施設で、待機者もおられるためあくまで例外措置。)

ここに入所できるだけでもラッキーだった

いろいろ足りないものはあったものの、どうにか入所完了。
必要ないとされた荷物が大きな袋一つ分戻されました。それを持ってバスに乗り、買う時間の無かった日用品や認印の買い出しに行き、お弁当を買い、13時ごろホテルに戻りました。寒く、風が強まっていました。

5年ぶりの母はちいさく、すっかり細くなっていました。言葉でのやりとりも一部、おぼつかないところがあったりします。施設での母は、環境の変化に心細い様子です。それはいままで見せたことのない姿でした。

母とわたしの間にはいろいろなことがあったのですが、この二日間を通して感じたことは、86歳まで気をはって、一人暮らしを頑張ったんだなぁ、おつかれさま。それしか…それしかなかったです。

ホテルに戻ったら、もう立ち上がる気力も残っておらず、涙がポロポロこぼれてきます。やることが終わってないのに動けない情けなさと、母の姿も含め、いろんな情報に圧倒されていました。

食事の後ベッドで休んでいましたが、実家に戻り毛布などを施設に届けねばなりません。15時にようやく起きて荷物を持ったけど、この上毛布なんて無理だと思ったのでレンタカーを借りることにしました。幸運にもホテルの向かいがレンタカーのお店でした。

「予約無しでこれから借りたいんですが、一番小さい車はありませんか?」
「下から二番目のクラスならご用意できます」
「助かります! 19時半にはお返しします。」

というわけで、郵便局で記帳をし、実家に戻り不用だった品を元に戻し、必要書類や毛布などを積み込み、再び施設へ。着いたときには物品の受取時間をとうに過ぎていたのですが、無理を言って受け取ってもらいました。すみません。そしてありがとうございました。

車を返し、ホテルに戻り、怒濤の一日が終わりました。
暖かい部屋、すぐ横になれるベッド。家事をしなくていい空間がただただありがたかった。

4日目:支払いなどでこの日も外出

いろいろあっても、入所できたという事実は大きく、肩の荷が下りました。
ホテルの朝ご飯がとても美味しいのにも助けられ、本日の用事へ。

  • 配食サービスのお店に行き、未払いの精算。

  • 県の住宅供給公社で年明けに行う手続きと、住み替えをする場合の手続きについて聞く。

  • 銀行で母の印鑑の照合を依頼する(これは本人以外不可で断られました)

  • 市役所で書類を出してもらったり、戸籍の文字について伺ったり。(もう一つ用事があったのにするのを忘れた)

お昼は懐かしのお店第二弾、手打ちうどんの萬栄さんへ。
ここの肉うどんが美味しかった。でも1、2度食べてから行けないままだったのを思い出したのです。

開店40年を迎えたお店はこの日も賑わっていました。大将はいまも現役でした。そして注文した肉うどんは美味しかった!かつて食べたときより汁は美味しくなっているのでは?! 隣のお客さんが全部飲み干していましたが、それくらいおいしい。行って良かったなぁと思いました。

昼食後に買い忘れに気がつき、大型スーパーへ。
そこからホテルに戻ると、もう体力は残っていませんでした。無理はしないでその日はホテルにとどまり衣類の洗濯。牛乳代の集金はホテルまで来てもらいました。ありがたかった!

この日はホテルの大浴場を初めて利用。大きなお風呂は温まります。
夕食はスーパーで買ったおでんと、乾燥野菜で増量したインスタント味噌汁です。

わたしの旅の友、乾燥野菜。

食後は母にあて、大きめの字でメモ書きをする。わたしが話したことがいまいち理解できなくて、母が不安になってしまうのはよくないから。

5日目:従姉妹のMちゃんと一緒に行動

朝9時半、従姉妹(2日目に会った従姉妹とは別人)のMちゃんがホテルまで迎えに来てくれる。「翔んで埼玉」の埼玉ポーズとともに!

Xの公式アカウントを発見!(フォローしてないんかい…)

埼玉からMちゃんへのお土産はもちろん『翔んで埼玉』の原作コミック(カバーが映画第二弾の仕様になっているもの)。さいたま新都心のショッピングモール、コクーンでゲットしたチラシと、魔夜峰央さんの原画展で押したスタンプ、どれも埼玉の空気がしみこんでいるはず。彼女からは『百姓貴族』をいただく。

車に乗り込み一路、Mちゃんの家へ。76歳のおじちゃんが笑顔で迎えてくれた。母の妹(故人)のパートナーなので血縁はないけれど、何かと気にかけてくれているのがうれしい。仏壇にお参りして小一時間話を聴く。こういうの、久しぶりだなぁ…何しろコロナでこういうことが全然できなかった。

市内中心部に戻り、コメダですこし早い昼食。サンドイッチを頼んだけどメニュー通りの大ボリュームで食べきれず、Mちゃんに食べてもらう。

Mちゃんとも再会は5年ぶりだ。母が入所中、足りないものがあれば買って届けてくれることになった。とはいえ彼女も忙しい介護職。なるべく今のうちに揃えておきたいとも思う。

ユニクロで衣類を調達し、コンビニでコピーを取り、施設まで走ってもらう。母に手渡してもらうもの、必要書類の記入等、入所にまつわるいろいろがようやく完了した。(面会禁止中のため、わたしも従姉妹も母に会うことは出来ません)

その後実家に移動し、二人で布団や冷蔵庫の中身を片付け、ゴミをまとめ、空気を入れ換える。

実家はきれい好きの母らしく、どこもかしこもピカピカ。冷蔵庫も余計なものは入っていなくて棚の汚れも皆無。モノも増やさず気をつけていたようで大抵のものは母の言った場所に収まっていました。入院前まで86歳の一人暮らし、あっぱれです。(だからといって一緒にはいられないのが難しいところ…)

母の希望で精米済みのお米をご近所と従姉妹にお渡し。ご近所さんにゴミ出しのお願い。最後に市役所で降ろしてもらい、車を出してくれたMちゃんにお礼を言って別れる。市役所では前日忘れた手続きを行って、この日の全日程を終える。

この日の夕食はご飯少なめの中華丼とみかん。スーパーをウロウロしていて、みかんが食べたいことに気がついた。みかんおいしい…
この夕飯ですこし落ち着きを取り戻した。

6日目:益田最終日。80代の恩師に会う

10時半、80代の恩師、K先生と5年ぶりに再会。先生お勧めのコメダに向かう。

K先生は高校の頃、「これにあなたの思いの丈を書いてごらん、返事を書くから」と言って大学ノートを出してくれた保健室の先生です。昭和から平成にかけお仕事を続けながら二人のお子さんを育てたキャリアウーマンでもあります。

すこし前屈みになったK先生は、話すうちに表情が明るくなっていった。
わたしの自己紹介noteも、すこし読んでいただいた。

「わたしはもう一度人生を送ることが出来たら、結婚はしないと思うねぇ。もっと自由に生きていきたいと思う。」と、K先生は言った。

今ですらそうだけれど、80代の女性が生きてきた時代を思うと、家庭生活に使う時間とエネルギーが奪う「自由」は今よりずっと大きいものだったに違いない。パワフルで家庭もキャリアも諦めなかった先生ですらそう思うのかと胸がきゅっと締めつけられた。

「もうあなたの人生を自由に生きたらいいと思う。」とも言っていただきありがたかった。

コメダではサラダ付きモーニングを昼食代わりにしたけれど、先生のすすめでケーキとコーヒーも追加。もうお腹は120%コメダでいっぱい。驚いたのは先生もほぼ同じメニューをわたしより速いスピードで完食したこと。お元気な様子がうれしかった。

ホテルに戻った後、母が入院していた病院にお礼に行く。これで郷里での全日程が終了。荷物の一部を宅配で自宅に送り、明日の荷造り。

7日目:広島へ移動、大学の同期と会う

お世話になったホテルの皆さんにお礼のメッセージを書く。ホテル代をケチって実家に泊まらなくて良かった。ここにいられたから何とかなったのだ。

朝の空。冬の山陰は雲がとても低い。

10時台のバスに乗り、広島へ。13時過ぎに無事到着。
お昼を食べて、宿泊予定のホテルへ。荷物を預かってもらうつもりが、チェックイン可能というので部屋で休むことが出来た。ありがたい。ホテル内のコインランドリーで洗濯をする。

予約してくれた和食のお店で同期のSちゃんと乾杯。彼女は大学卒業後、途中で手術などを乗り越え、公務員としてキャリアを続けています。

お料理がとても美味しく、雰囲気もよく、つい長居。「弥山スパークリング」は異様に飲みやすかった。泡の出る日本酒は初めてです。

子どもたち(といっても皆成人してます)の話、じぶんの話、親の話…同期ならではの当事者感ある話をする。親と離れて仕事をしていると、介護は大きな問題になる。親に近くに来てもらうのか、自分が親の近くに行くのか、遠距離を通うのか。親の希望ももちろんだけれど、じぶんはどうしたいのかが問われていると感じた夜。

また会おうと約束して、部屋に戻りました。

8日目:戦争のむごさを改めて知り、ビジネスコンサルのばたちさんに会う

午前中、平和記念公園に。学生のころ行って以来で気になっていた。意を決して行く。平和記念資料館では有料の音声ガイドを借りる。ナレーションの一部は俳優の吉永小百合さんでした。

原爆ドーム
平和記念資料館からの眺め
安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから

世界のあちこちで争いが起きている今年、改めて訪問できたことはとても良い経験だった。戦争は、それを望んでいない人たちも巻き込み、犠牲を強いるもの。何一つ良いことはない。広島はその痛みを知っているまちです。

焦土から再生したまちはゆったりとして、当時の都市計画が目先だけで作られなかったことにいつも感動します。

平和大通りにはベゴニアなどが植えられていました。


お昼に、ばたちさんこと川端幸子さんと、はじめましてのランチ。
実はなにがきっかけでX(Twitter)のアカウントをフォローしたのかよく覚えていないのです。あ、広島の方だとおもって音声配信を聞いて驚いた。なんか似たところある!

だけど全然違う面もお持ちで、わたしは稼ぐことがとても苦手で、ばたちさんは稼ぐための戦略づくりが超得意! がぜん会いたくなってお声がけしました。

予約してくださったヒルトンホテル、近いよねと思って歩いたら結構な距離があり着いたら汗だく…高層ビルって思ったより近くに見えません?

(こんな高級ホテル、ドキドキするなぁ…あ、入口入ってすぐロビー…ではないのね。どこかな…)
恐る恐る進んでいくと、黒いワンピースの女性が満面の笑顔で「ホシノさん、はじめまして!!」と迎えてくださりホッとしました。小柄な方かと思っていたら、わたしより背が高い。エネルギーに満ちあふれたばたちさんでした。

ピアスを開けたばかりのわたしに合わせて、シルバーのピアスを付けてきてくださった。うれしいなぁ。

ここから2時間以上、濃い会話が続きます。
はじめましてで年収の話とかふつうしないよね…じぶんの崖っぷちさ加減もふくめ、いろいろ話す。せっかくなので料理も楽しめばいいのに、話に意識を持って行かれて味を覚えていません(笑)。

「これだとまだ弱いです。ホシノさんだから出来るサービスになっていないと思うし、もっとそうできると思う」
「一時的に他の仕事をするときは、それにかかる時間のことも考えて。」
「一年間のコースにして単価を上げることも考えたらどうですか? この場合中途半端な値段設定は良くないです。」

もはや有料のビジネスコンサル…しかもノリノリで話してくださる。

一番驚いたのはわたしの望みを書いたマップを見て、
この優しく穏やかでありたいっていうの、もう実現してますよね。すぐわかります。いろいろ変化があったと思うので、このマップはもう一度書き直すといいですね。」

何だって~!!!
確かにコロナにかかってからいろいろ取り組む中で、自分に優しくなり感情の起伏も前ほど激しくはなくなっているけど…そうなの?!

だったら「本来のじぶんを表現でき始めてる」ってことで、それはそれはうれしかった。そして大丈夫、やっていけますよと言われて涙が出ました。(いや、これからちゃんと道筋付けるのは自分なんだけどやっぱり泣けた)

一方でじぶんの弱さが出た場面もあった。かつて言われたことと正反対の提案をうけたとき、「他の方にはこのように言われたのですが」とつい反応。

誰からどんな提案を受けたとしても、選んで取り組むのは自分。わたしの反応はそこから逃げているような気がした。これからもいろんな人からヒントをもらったり助言を受けたりするだろうけれど、選んだからには自分の選択として話をしようと思いました。

ばたちさんとクリスマスツリーをバックに記念撮影

ばたちさん、初対面のわたしに全力でぶつかってくれてありがとう。いただいたエネルギーはちゃんと循環に乗せます!

帰り道、そのまま部屋に戻るのももったいない気がして、丸善に寄る。いつになく本を買いたくなりまとめ買いしてしまった。

9日目:学生時代お世話になった人との再会

月曜日は公共の図書館や美術館など、お休みのところも多いです。どこに行こうか…天気も良いので縮景園に行くことにする。

原爆の爆心地から2キロ以内のここ縮景園も、壊滅的な被害を受け、また一時、遺体が埋葬されていた地でもあります。今は復元されて、貴重な都会のオアシスです。ちょうどこの日は結婚写真を撮影する若い人たちが多かったです。

広島藩主の別邸として設けられた縮景園
この池は海に近い川から取水していて海水が混じる
最終盤の紅葉がきれいでした

晩秋の紅葉に癒やされたあと、学生時代お世話になったMさんと朝日珈琲サロンでランチ。前回は約一年前だったと思うのですが、表情がまるで違って生き生きとしておられました。

Mさんは広島市のシニア大学に当選し(抽選で決まるほど人気なのだそうです)、お仲間が出来て生活に張り合いが出たそうです。今までご苦労の連続だった方ですが、お話を聞いてうれしくなりました。

自分の置かれた環境をまるごと変えるのは簡単ではないですが、習い事やボランティア等、自分に合ったコミュニティにたどり着くだけでも、自分を変えていくことが出来るのだと改めて思いました。わたしも第3の場所( #対話のコミュニティ というオンライングループ)に参加してからいろんなことに気づき変わって来たことを思うと、じんわりする再会でした。

この日はもうひとり、ここ5年メンター役となっているKさんともお会いしました。コーチの資格とかはないのですが、それが自然と出来る方。人生の大先輩でひとの成長に強い関心をお持ちです。

80歳のKさんはああしろこうしろとは全く言いません。それが物足りなく感じることもありましたが見捨てることもしないのです。そしてこちらの変化にはとても敏感で、ごまかしても見破る鋭さをお持ちです。今回は「顔に生気がよみがえってきている。もう大丈夫。」と言ってくださいました。

わたしには「自由にしていたいけどほったらかされるのは嫌」という天邪鬼なところがあります。Kさんと話をしていると、自分がまるで孫悟空のような気がします。好き勝手しているようでお釈迦様の掌の上をぐるぐる回っている。ちょっと悔しいけれど、これが今の器の違いなんだろうなぁ。

10日目:広島からさいたまへ

10時過ぎ、広島の新幹線口からリムジンバスで三原市の広島空港へ。
美しかった紅葉はもう終わりを告げていました。行きの車窓から写真撮っておけば良かった。

空腹で飛行機に乗りたくなかったので、何か食べたいけど量は食べられない…と思っていたら、八天堂のクリームパンを発見。一番甘くないあっさり系を教えてもらいました。(甘いもののお店で一番甘くないものを聞くってどうなのよ…)

空港らしく、空飛ぶくりーむパン

八天堂は三原市の会社です。広島最後の食事としては良かったのでは?と自己満足。

保安検査場では上着を脱ぎ靴を脱ぎ、またもやモタモタと通過。後ろの人のことを思うとやっぱり緊張。そんなこと考えないで、自分のやることをやればいいのですけど。

搭乗口ではJALのディズニー機とこれから乗るANA機が並んでいました。

となりのJAL機。ディズニー仕様。

約一時間の空の旅で、羽田到着。気流の影響により所々で揺れました。無事に着陸してくれたクルーの皆さん、ありがとうございました。京急とJR、バスを乗り継ぎ16時半頃自宅へ。

旅のまとめ

母の施設入所がきっかけのドタバタ込みの旅でした。一方で感染対策に気をつけつつ、地方でも会食できるようになったのはうれしい変化です。

かつては人が怖くて自分を守ることばかりだったわたしが、たくさんの人と出会い、ひとの優しさを感じられた10日間でした。とてもうれしかったし感謝の気持ちでいっぱいです。

老いること、人を頼ること
年を重ねてもその人らしく生きるのに必要なこと
同じものを見ても人により見方は違う
ひととは付き合っていける部分で付き合えば良く、距離は自分で決めること
自分のあり方と親子関係
わたしだからできるビジネス
…たくさんのギフトをいただきました。

これまで療養中心で人と会わずにいたのですが、今年はオンラインコミュニティがきっかけで交流が一気に広がりました。出会いの中での学びが多い一年、その締めくくりとしてふさわしい旅だったように思います。また自分自身の新たな暮らしへの萌芽も感じているところです。

一年前より食べられるようになったものの、体力がまだ戻っていないのも実感しました。いま自分にあるものを大切に、優しく笑顔でこれからも歩んでいきたいです。

(母は施設の方のご尽力により新しい環境に慣れ、リハビリに取り組んでいるそうです。退所後の暮らしについては母の状況で決まるため、それまではわたしも自分のことをやっていきます。)

長文の旅行記を最後まで読んで下さりありがとうございました。年末年始、旅に出られる方に素敵な出会いがありますように。

最後まで読んで下さって有難うございます。 頂いたサポートは、noter さんに会いに行くために使わせていただきます。「愛を配って生きていく」意欲が3割増し!!! 応援して下さるあなたにも素敵な出会いがありますように。