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就活ガール#300  内定式での立ち振る舞い

これはある土曜日、谷川ゼミでの出来事だ。わざわざ休日にこの場に来るのは、研究熱心なアリス先輩と、彼女に就活相談をしたい俺以外には存在しない。担当教授の谷川先生は今日もフィールドワークで出かけているようだ。

「アリス先輩って、そろそろ内定式ですよね?」
「ああそうだった。忘れてたわ。ありがとう。」
「えっ」
「どうしたの?」
「内定式って忘れるようなものなんですか? 何日も前から緊張したりするものかと思ってました。」
「別におじさんの話をオンライン会議で聞くだけでしょう。大学の講義みたいな感じだと思うわ。」
「そうなんですか……。」
「今年入社した先輩に聞いたから、大きく変わってなければ今年もそんな感じだと思ってるわね。念のため後でちゃんとメールとかを見て調べておくけど。」

「そもそもなんですけど、内定式って何のために開催して何をする場なんですか?」
「まず何のためにって質問の答えだけど、特に明確な理由は無いわ。」
「開催理由が無いんですか……。」
「一応建前としては、『10月1日の時点で内々定から内定に正式に変わるから』、『内定者としての自覚を促すため』、『入社までの流れの事務説明』、『同期入社者との顔合わせ』などがあるんだけど、どれもわざわざ内定式を実施しないといけないほどの理由ではないわね。」
「たしかに、内々定と内定って実質的にはほとんど変わらないですよね。経団連が10月1日以降にしか内定を出したらダメというルールを決めているから、なんとなく多くの企業がそれに従っているというだけだと思います。」
「そうね。他には、内々定は内定よりも企業から一方的に取り消されるリスクが高いというのもあるけど、そうはいっても基本的には取り消されないし。」

「はい。次に、内定者の自覚を促すためっていうのは、具体的にどういうことですか?」
「内定式では役員とか人事部長とかのお話を聞くの。」
「なるほど。そこで説教的なものが行われるわけですね。」

「そうそう。それから、入社式までの手続きの説明があったり、それに関して書類をいくつかやり取りするわ。」
「書類?」
「ええ。例えば成績証明書の提出とかね。あとは企業側から内定承諾書を貰って、それにその場でサインして提出することもあるわ。」
「内々定承諾書とはまた別のものなんですね。」
「そうね。それ以外にも、企業によっては入社時の事務手続きに必要な書類が他にもあるわよ。」
「なるほど。」
「で、最後に事務連絡があって終わりね。入社前健康診断はいつどこで受診するとか、入社式の日は何時にどこに集合するかとか。」
「半年後の話をされても忘れそうですね……。」
「ええ。そもそも人事もまだ入社式のプログラムを決めてないことが多いから、『おって連絡します』みたいなことになることがほとんどじゃないかしら。」
「そう聞くと、なんだか内定式を開催する意味があるとは思えなくなってきました。」

「でしょう。まぁ同期と顔合わせできるのはありがたい気もするけど、今時は企業側が内定者のみが使える掲示板のようなものを作ってくれていて、そこで仲良くなった人と勝手にイベントを開いたりしてる内定者も多いわよね。」
「はい。まぁそういうのが苦手な人にとっては強制的に全内定者が集まる場が設けられるというのは嬉しいことなのかもしれませんね。」
「そうね。内定式自体は1時間くらいで終わるんだけど、その後にグループワークや交流会が開催されることもあるし、せっかくの機会だからうまく利用するに越したことはないと思うわ。」
「あ、なるほど。内定式とその後のイベントは厳密には別なんですね。」
「そうそう。結婚式と結婚披露宴みたいな関係だと思えばいいんじゃないかしら。あるいは成人式とその後の同窓会みたいなものと考えてもいいわ。式自体はわりと厳格に粛々と進むんだけど、その後が企業によっていろいろと個性がでるのよね。

「正直面倒くさいなぁと思ってたんですが、どうせ参加するならうまく活用したいですね。何かおすすめや留意事項はありますか?」
「うーん。私もまだ参加していないから、あくまでも先輩から聞いた話なんだけど。」
「あ、そうですよね。それで大丈夫です。」
「まずは会社との関係が自分に近い人と仲良くなるといいと思うわ。単に気が合うっていうだけじゃなくてね。」
「どういうことですか?」
「例えば、理系か文系か、大学卒か大学院卒か、男性か女性か、入社にあたり引っ越しが必要か不要か、一人暮らしか実家暮らしか、既婚か未婚か、入社する年の1月から3月にバイトなどで収入があるか否かなどで、入社時に必要な事務手続きが異なる場合があるのよ。そういう時に、自分だけ特別な対応が必要だと不安でしょう?」
「あ、なるほど。たしかに自分と同じように上京予定の人とかと仲良くなっておくと良さそうですね。会社から説明されてもわからないことや忘れることってどうしても生じると思うので、相談できる相手がいると心強いと思います。」
「そうよね。不安なのはお互い様だし。」

「ところで、入社する年の1月から3月に収入があると何か手続きが変わるんですか?」
「ええ。所得税は1月から12月っていう区切りで計算されるからね。会社としては4月以降の分については把握して源泉徴収できるけど、そうじゃない部分はできないから。だから、いろいろと書類を提出させられたりすることがあるわ。」
「なるほど。なんか面倒くさそうです。」
「まぁ個人的には最後の3か月くらい、バイトを忘れて自由に遊びまわるのがよいんじゃないかと思うわ。どのみち4月からは嫌でも40年働くわけだしね。」

「それに、新生活の準備でいろいろと大変そうですもんね。内定者研修とか、書籍を読めとか言われることもあるらしいですし。」
「そういうのは適当でいいけどね。」
「適当でいいんですか。」
「内定式の場でも、入社までしっかり勉強しろとかって言われることがあるんだけど、実際はほとんどの人がしないもの。したって入社後に差がつかないから。人事は学生が気を緩めてトラブルを起こしたりしないように、大げさ気味に言うしね。」
「そうなんですね……。既に出世レースが始まってるのかと思ってました。」
「内定者の段階ではまだ会社が指揮命令できる立場ではないのよ。だから、まともな会社ほど強制的に何かをやらせたり、それによって差をつけたりはしない傾向があるわ。」
「なるほど。わかりました。」

「他に、内定式関係で気になることはあるかしら?」
「そうですね。服や髪が気になります。」
「なるほどね。たしかに、就職活動が終わったら髪を染める人は多いわね。」
「はい。服はまぁスーツを着れば無難かなと思うんですが、髪をまた染め直す必要があるのかは気になってます。」
「まず前提として、一度内々定や内定を得た人が、今さら髪色等を理由に取り消されることは無いわ。せいぜい人事から口頭で軽く注意されて終わりくらいよ。」
「よかったです。でもできれば注意もされたくないです。」
「それなら、暗めにしておいた方が無難でしょうね。8トーンくらいがボーダーラインと言われてるわ。あとは、男性の方が女性よりも厳しく見られがちよ。」
「それは日常生活と同じですね。男性の方が暗い色の人が多いので、明るいと悪目立ちしやすい気がします。」
「ええ。あと、女性の場合はメイクも気になるところだけど、これも別に派手すぎなければ問題ないと思うわ。いわゆる就活メイクでなくても全然いいわよ。」
「総じて、面接よりは緩いけど日常生活よりは厳しいって感じですかね。」
「曖昧な回答になるけど、そんな感じね。」
「わかりました。今日もいろいろとありがとうございました。」

アリス先輩に礼を言って、席を立つ。今日は内定式についてあれこれと話を聞くことができた。前提として、内定式は特に深い意味があって行っているわけではなく、そこまで気負いしなくてもよさそうだと感じた。しかし、オンラインでの交流が主流となった昨今においては、内定式のような機会を利用して同期と仲良くなっておくと得になる場面は多いだろう。特に、入社手続きはその人の置かれている立場や状況によって微妙に内容が異なっている場合も多くあるので、自分に近い属性の仲間が見つけられるとなおよいと思う。

また、内定式に呼ばれるような立場になっている人は、原則として今後内定が取り消されることはないと思って良いだろう。そう考えると、過度に企業側に気を遣いすぎる必要はないはずだ。しかし、変に悪目立ちをしても得することはないので、ある程度無難な風貌で、無難な立ち回りをしておくのがよいと思う。そんなことを考えながら、一日を終えるのだった。

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