hoshikuzu

ちいさなものをつくっています。 ちいさな世界を描いています。 ちいさな言葉を書いていま…

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ちいさなものをつくっています。 ちいさな世界を描いています。 ちいさな言葉を書いています。 日々を眺める絵と文。 現実と詩と空想の真ん中あたり。 https://hoshikageworks.com/

マガジン

  • 誰かとかかわること。

    軋轢もあれば葛藤もある。 そんなときは、書いてみる。

  • 天気のこと。季節のこと。

    その瞬間にだけある色、音、匂い。 うつろう風景。

  • 日々思ったこと。

    巷で耳にした、誰かが話していた。 そんなことを、あれこれ考えてみる。

  • 描くこと。つくること。

    色を愛でる。 線を揺らす。 絵の中にあるもの。

  • 食べもののこと。

    食べものにまつわるあれこれ。 愛しき美味しい記憶。

最近の記事

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月の嫉妬

すっかり桜も散り落ち、いよいよそこかしこに新しい緑が覗くようになってきた。 実家の葉牡丹はゆうに一メートルを超えた背丈の先に、菜の花の如き花を咲かせている。 なるほど、そうこうしているうちに菜種梅雨なんて言葉の聞こえる季節になっていたりして。 夜のはじめ、ふと見上げた桜の木はすっかりこざっぱりとした枝葉を揺らしていた。 枝々の隙間から、上弦の三日月がこちらを見下ろしている。 三日月とはこんなにも明るいものだったか。 もしかすると、細いぶんだけぎゅっと明るさも凝縮されているの

    • 輪ゴムの君

      バチン、と音がしたと同時に、指先にちいさな衝撃が走る。 砂糖の袋を閉じようと捻っていた輪ゴムが切れた。 あぁ、切れたか。 そんな時、決まってぼんやり浮かぶ人がいる。 彼は輪ゴムを持っていなかった。 買い置きがなくなったとかではない。 彼の家には輪ゴムがなかった。 「輪ゴムは劣化するから。」 劣化したものを直すことを生業としている人だったから、自然な感覚だろう。 では彼は輪ゴムの代わりに何を使って食べかけのポテトチップスの袋を留めていたのか。 洗濯バサミだっただろうか。 あ

      • 背中押す緑

        あっという間に緑に囲まれる季節になってしまった。 決して言葉から離れていたわけではないのに、しばし自分の言葉を後回しにしていた。 朝、自転車で切る風の匂いに夏が混じっている。 視界に溢れる葉々に心地よさを感じながらも、湿気と熱を含んだ匂いに一瞬身構えてしまう。 次の季節の予感にせっつかれているようで、なんともいえない焦りが過ぎる。 そういえば、最近あまり新しいことをしていなかったな、と思う。 三週間おきに登場する夕飯のメニュー、いつも使う漆の色、職場での挨拶。 どれも慣れ

        • 逃げる花。

          明日の朝、起きたら死んでいるんじゃないかと思うことがよくある。 いや、死んでいたら起きないのだから、それも妙な話か。 とにかく、自分はとても、ギリギリのところにいるんじゃないかと思うことが増えた。 どこかで一本、か細い糸がピンと切れてしまったら、途端にすべてが崩れてしまうのではないか。 そんな気がしてくるのだ。 ビュンビュン自転車を漕ぎながら、あっと石にけつまづいた拍子に。 調子よく駆け上がった階段を、つい踏み外した瞬間に。 そんなことを言い出せばきりはないけれど。 「これ

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        月の嫉妬

        マガジン

        • 誰かとかかわること。
          23本
        • 天気のこと。季節のこと。
          31本
        • 日々思ったこと。
          50本
        • 描くこと。つくること。
          13本
        • 食べもののこと。
          37本
        • アクセサリーや服のこと。
          13本

        記事

          一期再会

          光陰矢のごとしとはよく言ったもので。 10年という桁の時間が過ぎていたことを、これほど意識していなかったことに驚いた。 ほんの一、二年ご無沙汰しているくらいの感覚だったのだ。 加えてこんなご時世。 ディスプレイには懐かしい顔がつい数日前にも映し出され、その人の今が手に取るようにわかる。 そのくせ、彼らといざ面と向かって再会すると、奇妙な心持ちになる。 それはまるで、浦島太郎のあの玉手箱のように、もくもくと時間という煙に巻かれていたような。 確実に年は取っているはずなのに、

          一期再会

          揚げ鍋からのアプローズ

          私としたことが、うっかりしていた。 明日の晩ご飯にと丹念に唐揚げを仕込んだあとで気づいた。 あぁ、私の誕生日じゃないか。 なぜ自分の好物にしなかったのか悔やまれる。 加えて、休日に揚げ物なんて、余計な労力まで費やさねばならない。 怠惰を決め込んでも文句を言われない年に一度の日を見落とすなんて、いやはや、うっかりにもほどがある。 ともあれ、ここ数年、どうにも自分の年齢がしっくりこない。 ふとしたときに、あれ、次はいくつだったっけ、と、しばし頭の中がゼリー状になる。 「十年後

          揚げ鍋からのアプローズ

          屑のような時間から生まれるもの。

          何から書けばいいかわからない。 そんな気持ちのまま、気づけばもう一月の終わりが見えようとしている。 新たな年を迎えたにもかかわらず、今年の見通しとか、予想図とか、そんなものが一瞬でぐにゃりと歪んだ年始だった。 明るい兆しを浮かべれば浮かべるほど、嘘臭く、空虚に見えてしまう。 それでも、誰にも変わらず、毎日は巡ってくる。 こういう時、いつも思う。 自分の手には実に無力なものしか備わっていないのだと。 誰かの命を救えるわけでもなく、誰かの得たいものを即座に差し出せるわけでもな

          屑のような時間から生まれるもの。

          blurred night hike

          久しぶりに夜道を歩いた。 といっても、二十分ほどの距離を往復するだけ。 けれども、なにぶん視力のせいか夜目がきかない。 といって、メガネをかけるほど見知らぬ道でもない。 すべてが闇夜にぼやけ、すれ違う人は皆、すりガラスの向こうにいるようだ。 時折、通り過ぎるのは外国人ばかり。 耳慣れない言葉が、すれ違う瞬間だけ音量を増す。 以前はよく通ったアーケード街。 すっかりシャッターが下りた店ばかりになってしまったのが、夜ともなると一層無機質に閉ざされる。 街灯だけがやけに煌々として

          blurred night hike

          幸不幸。

          昔から、「◯◯のようになりたい」という願望がない。 キラキラしたアイドルや、雑誌の表紙を飾るようなファッションモデル、憧れの先輩。 素敵だと思える人たちには数多出会ってきたけれど、彼らそのものになりたいというほどの思いに駆られることはなかった。 彼らと同じ服を纏ったところで、それは素敵な人の真似事でしかない。 彼らの振りを真似たところで、決してなりきれるわけでもない。 ずっとそう思ってきた。 けれども、今はこうも思うことがある。 もしかしたら、真似事を続けていたら、あるとき

          幸不幸。

          Unlock my locks.

          片付けるというのは、「動かす」と「捨てる」というじつに複合的な作業だ。 「動かす」だけならば単なる模様替えに過ぎないけれど、「捨てる」となるとまた話は変わってくる。 これまでも幾度となく取捨選択を強いられてきた、こまごまとしたものたち。 今、手元に残るのは、それらの中からさらにふるいにかけられた選ばれしもの。 要は、もう後がないベテラン小品ばかりなのだ。 そんな中でも、いつもとりわけ手が止まってしまうのが「鍵」である。 どこのどなたかまったく思い出せないそれらは、学校のロッ

          Unlock my locks.

          虹の切れ端

          下校時刻、電話が鳴る。 あぁ、またか。 だいたいは、誰それと遊んでよいか、お腹が痛いから迎えに来てくれないか、そんなのが大半である。 やれやれと思いながら通話ボタンを押す。 ところが、今日は何だか声音がすこし違う。 「めっちゃでっかい虹が見える」から見てくれ、と上気した息が混じる。 へぇ、虹か、ひさしぶりだな。 ベランダに出てみるも、それらしいものは見当たらない。 諦めてふたたびパソコンに向かうものの、なんだか落ち着かない。 やれやれと思いながら、気づけば玄関から走り出て、

          虹の切れ端

          秋の日

          グラデーションが好き。 それはわりと最近になって気づいたこと。 自分が描く絵にも、つくるものにも、やんわりと移ろう色が多い。 移ろい半ばの色が好きなのだと思う。 夕刻、見上げる空は白んだ空色から薄紅、茜、薄紫、ゆっくりと藍へと変化していく。 ふと目を落とした生垣の葉は、葉先を赤く染めて。 赤と濃緑を取り持つ黄が幾重にも連なる。 グラデーションは生きている証拠。 過ぎる時のなかで、自らが常に変化しているのだと主張している。 それでいて、何も押しつけはしない。 ただそこにあっ

          夢見る大人。

          子どもの頃の夢というのは、点だった。 きらきらと光る到達点は瞬いたり、移動したりしながら、そのときどきの標石でいてくれた。 ところが、大人になり近づいてみると、夢とはいかにぼんやりした広範なエリアだったのかと思い知らされる。 到達したと思っていたら、じつはそこからがスタートで。 夢の中に入ると、端から端まで、まるで霞がかかったような世界が広がっていて。 外から眺めていた壮大な物語は、一気にただのレシートのように輝きを失ってしまうこともある。 さて、今から何を夢としようか考

          夢見る大人。

          隔たりの中。

          日々流れくるタイムラインの混沌に混乱しながら、それに慣れてしまいそうな感覚の麻痺をどこかで嫌悪する。 普通に暮らすこと、と思い描いても、そこからかけ離れた無数の普通を垣間見ると、自分のいる場所がぼんやりと霞んでくるような気がする。 日常を続けられる人は日々を維持することで、回り回るうち、少なからず、日常が崩れた誰かの役に立つこともあるのかもしれない。 そう思っていた。 けれど、そんなふんわりと甘い考えがまるで意味を持たなくなるほど、きっとこの世界は奇妙で残酷な世界なのだと気

          隔たりの中。

          Perfect is not perfect.

          コンピューターを疑う。 それはじんわりと、目からウロコだった。 画像にテキストを入れる際に、文字と文字の間隔を調整する。 これまでも、ざっくり全体的な広狭を調節することはあったけれど、文字ひとつひとつを見ることはなかったかもしれない。 先日、職場の方にデザインツールの操作法を教えていただいたときの話。 隣り合う文字の組み合わせによって、その間隔はまちまちだから、そこを整えることが大切だと。 おそらくデザインを生業とする方々には常識なのだろうけれど。 キーボードを打ちこんだと

          Perfect is not perfect.

          砂糖を大さじ三杯。

          コロッケとは、よくできた食べ物だと思う。 ちょっとずつの食材をひとまとめにしてくれる。 タマネギをすこし。 お肉をすこし。 とりあえずジャガイモがあればなんとかなる。 牛乳と粉をぐるぐるしたものにくぐらせて、パン粉をまぶせばいっぱしのコロッケ。 ところが、子どもの頃を振り返ってみても、コロッケの並ぶ食卓が思い出せない。 コロッケの中身にすこしだけカレー粉を加え、餃子の皮で包む。 こんがりと揚がったそれは、サモサというインド料理を模したもので。 いつからか、なぜだかわが家のコ

          砂糖を大さじ三杯。